― 2 ― エスケープ・フロム・コート

 古来より罪人が背負わされるのは悔恨と十字架。そう相場が決まっている。

 如何なる容疑者も罪が確定するまでは無罪であり、公正な裁判を受ける権利を有している。建前上だが、拷問や自白の強要は厳禁されている。

 だが、常道に囚われていては裁きを下せない場合もあった。世間にはそうした悪鬼のような犯罪者も実在するのだ。


 月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーンもまた特A級の危険人物に指定されていた。彼は正座で座るシット・アップライトことが流儀とされている白州しらすにおいて、実に特異な方法で列席させられていたのである……


 螺旋階段の最上段からは裁判所コートたる白州が一望できるはず。

 昨日、自分が裁かれた場所において、黒衣に身をかためたキス泥棒が判決を受けている様子を見遣るのは、感慨深いものがあるに違いない。

 もちろん判決にも興味がある。ナオミはそう思い、サーカス一座に帰るのを後回しにして、生死を分ける勝負を観劇していたのだ。


 堅苦しいメイド服は脱いでいた。返却してもらった衣装は本当に肌に馴染む。やはり着慣れて動きやすいものがいちばんだ。

 彼女は急いで螺旋階段を駆け上がった。海から吹き付ける潮気を含んだ風が、短いスカートの間を擦り抜けていく。たちまち彼女は最上段まで身を運んだ。


 そこから白州までは五〇フィート(約一五メートル)前後。


 視力に恵まれているナオミは、裁判所で発生している事態を見遣みやり、愕然がくぜんとしたのだった。


 月下の騎士は磔刑たっけいにされていた。


 急ごしらえした木製の十字架が白州の中央に打ち込まれ、彼はそれに四肢を固定されているのだ。流石さすがに杭や釘ではなく、手錠だけで手足を縛りつけていたのは、せめてもの慈悲であろうか。


 どきり、とした。


 自分の唇を奪った男が苦痛と恥辱の限りを与えられている。複雑な感覚が波となって押し寄せてきた。熱い感覚が下腹部を駆け抜けたのがわかった。自分の中に嗜虐的な感覚が眠っていた現実に気づき、恥ずかしくなるナオミであった。


 あと数年もすれば、大概の少女が自分の性癖を否応なしに受け入れていくわけだが、若すぎるナオミはそれを承知していない。初めて体験する感情のうねりに戸惑うだけだ。


 やがて槍と銃で完全武装した保安官カウンティ予備隊リザベーションズが十字架の周りを固めた。ものものしい雰囲気が充満していくなか、遠雷のような爆音が遠くから響き、空気を震わせた。クルップ爺さんが撃った時報代わりの大筒おおづつに違いない。


 ということは時刻は午前六時ジャスト。

 時間から考えて、ソフィー・ホチキスが帰宅していてもおかしくない頃合だが、まだ彼女は姿を見せていない。こんな大事なときに何をやっているのだろう?


 そして――

 ウッドデッキに征督府長官コンスルが現れた。


 やはり白一色の衣装だ。彼が頻繁に着替えて清潔さを維持しているのは、昨日格闘した洗濯物の山が証明している。


 彼は場が静まるのを待ち、やがて重々しく口を開いた。

「それではこれより〝月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーン〟こと南部峯ナンブミネ益荒男マスラオの裁判を開廷する。なお被告人は無信仰であるゆえ、宗教的セレモニーはこれを省略。吟味、開始」


 征督府長官コンスルの声色には張りがあり、会話は逐一ちくいち聞き取れた。ナオミは固唾を飲み、成り行きを注視した。


「この者が犯した罪状は語り尽くせぬ。まともにすべてを論じていては冗談抜きに日が暮れてしまう。余は誠実を旨とする裁きを心がけておるが、被告人が無限のパワーを手にできる時間帯まで引き延ばすのは本意でない。よってここでは窃盗罪の中でも最も罪が重いと思われる〝ノックス列車強盗事件〟に関してのみ取り扱うものとする。異存があれば今、この場で申すがよろしかろう」


 返事は、なかった。

 沈黙を返事と解釈した征督府長官コンスルみことのりを発しようとしたとき、長髪で顔の半分を覆い隠した月下の騎士は、こんな台詞を絞り出したのだった。


「……やっぱりそうか。呪われし〝エクリプス虐殺事件〟を俎上に乗せる覚悟はないわけだ。あれを見事に裁ききったなら、大人しく死刑台に送られてやろうかと思っていたが、そんな度胸は持ち合わせていないか」


 瞬間、征督府長官コンスルの表情が歪むのを、ナオミは見逃さなかった。


「それもむべなるかな。最初から茶番とわかりきっている裁判だ。どこの世界に容疑者をはりつけにして始められる公判があろうか。敗者に一切の情けもかけぬ貴様という弟を持って、兄としては恥ずかしいだけだ」


「白州に公私の区別を持ち込むのは卑怯。都合のいい時のみ兄貴風を吹かすのはもっと卑怯。なにより余としても負ける試合はしたくない。どの事件を取り上げようと結論は同じ。下される判決には変化なき故にな」


 そこまで語り終えたときだった。月下の騎士は饒舌じょうぜつの罰を受けたのである。

 昇り続ける日輪が、その魔の手を月下の騎士の顔面へと伸ばした。長い髪で覆った頬へと、ナイフの鋭さで日差しが突き刺さっていく。

 縛り付けられたままの手足が痙攣けいれんするのがはっきり見えた。叫びたいのを必死で堪えているのだ。きっと虫眼鏡ルーペで焼き殺される昆虫の気分を満喫しているに違いない。


 どんな悪党でもこれは残酷すぎた。

 裁判が終わるまで命が持つかどうかも怪しい。


 ナオミは女だてらに義侠心を全開にした。どさくさに紛れて返してもらっていたテンガロン・ハットを、サイドスローで投げ飛ばしたのだ。

 遠投なら自信があった。こっちにはナイフ投げで鍛えた肩があるし、コントロールだって抜群だ。風を捕まえたテンガロン・ハットは、狙い違わず月下の騎士の頭にふわりと着地したのだった。


「誰だ!」

 保安官カウンティ予備隊リザベーションズの隊長らしい男が怒鳴った。城壁の追撃戦で傘を投げつけた相手だと一目でわかったため、ナオミは賢明にも風よけに身を隠し、なんとかやり過ごした。そいつは口汚く罵りながら、テンガロン・ハットに手をかけようとしている。


 けれども――

「そのままでよし」


 征督府長官コンスルが鷹揚にもそう命じたため、隊長はすごすごと引き下がった。

 のぞき見ると、月下の騎士が赤すぎる唇の端を歪めるのが見えた。彼は残る気力を振り絞ると、

「恩に着るぞ。投げてくれた者も、着帽を認めてくれた者もな。礼として命だけは助けると約束しようではないか」


 あくまでも強気一辺倒の物言いであった。男とは、あそこまで意地を張らないといけない生命体なのか。女の子に生まれて本当によかった。そう思い、薄い胸を撫で下ろすナオミであった。


 だが、征督府長官コンスルは意にも介さなかったようだ。咳払いをしてから、彼は朗々と語り始める。

「昨年春三月一三日。被告人はノイエ・アビリーン駅近辺において線路を爆破。東部へ向かう弾丸列車〈モーニング・スター号〉を転覆させ、護衛の騎兵隊一九名に重軽傷を負わせたあげく、積荷の金塊230万$を強奪したのは明白なり。

 言い逃れは不可能であろうが、被告人の権利として尋ねてしんぜよう。申し開きがあるか」


 月下の騎士は、帽子一つでずいぶん楽になったらしく、場違いなまでに元気に満ちた調子で答えた。

「言い訳などするものか。事実を否定するほど愚かではないのでな。裁判長よ、私は有罪だ」


「……その決断の早さだけは認めよう。盗まれた黄金は大陸横断鉄道の恵殿エデン線着工のために準備したものだ。

 土地取得競争ランドラッシュも昔の話。世界は狭くなったとはいえ、東部と西部の格差は存在する。それを埋めるためには物流を促進するしかない。奪われた金塊はそれを実現する為の手段だった。市民が供出した文字通りの血税。文化と物流の動脈となる予定だった鉄路の導入は、一時的に頓挫せざるをえなくなった。恵殿エデンは物心両面で多くの被害を蒙ったのだ」


「被害を蒙ったのは一部の土建屋だけだろう? 奴らを喜ばせ、次の選挙で票を買おうとしたそっちの目論見は脆くも崩れ去った。お前は昔からお金の使い方が下手だったが、悪癖はまだ直っていないようだ。悪い子から小遣いを取り上げるのは兄としての義務だよ。言うならば愛の鞭だね」


「公金と私金の区別がつかぬような輩が口にしてよい台詞ではない。では話せ。奪った黄金をどこに隠した? 国中の宝物探索者トレジャー・ハンターが目の色を変えて探索しているが、発見には至っておらぬ。素直に白状し、国庫に返納すれば、判決に幾分かの手心が加わるやもしれぬぞ」


「結論は同じ、下される判決には変化はないと言ったのはそっちではないか。自白などするものか。現状を認識できぬほど愚かではないのでな」


「ならば情状酌量の余地なし。被告人を改心させる方策なし。極刑をもって望むより他に道はなし。判決を申し渡す。死刑! 死刑! 死刑あるのみ!」


 幼い子が癇癪を起こしたような物言いにナオミは危惧を抱いた。人命を奪うような判決が、こんな簡単に下されていいわけがない。


 心なしか日光が陰ってきた。空が暗くなってきたようだ。

 そんな折り――征督府長官コンスルは暗雲を吹き飛ばすかのような勢いで、こんな台詞を飛ばしたのだった。


「死刑は即時施行だ。楽な死に方をさせれば被告人が英雄視される恐れがあるゆえ、銃殺でも縛り首でもなく、最高の苦痛を伴う方法で命を奪うものとする。この者から服を剥げ。生まれたときの格好で太陽に曝すのだ」


 ナオミは思わず身を乗り出した。色素性皮膚ムーンライト火症候群・シンドロームを患う月下の騎士は、顔に日光が当たっただけで苦悶の呻きをもらす程だ。太陽光線で全身を貫かれれたならば、悶絶死は必至だろう。


「被告人に期待するのは、可能な限り無惨な最期を迎え、第二・第三の月下の騎士が登場する悪夢を未然に防ぐことのみ。死をもって公共の利益に貢献したまえ」


 主の命令に従い、保安官カウンティ予備隊リザベーションズの隊長が無骨な腕を黒褐色のポンチョへと伸ばそうとしたとき――


「不潔な指で私に触れるな。この三下さんしたが!」


 その一言で隊長は石のように凝固させられた。威圧感充分の台詞にもはや指すら動かせない様子だ。


 直後に、異変が、起こった。


 月下の騎士は、両手にはめられていた四つの手錠を、まるで手袋でも脱ぐかのようにするりと外したのである。

 それに要した時間は僅かに五秒。それから重りと直結した足輪を外すまでに、もう五秒。彼はたったの一〇秒という短期間で自由を取り戻したのだった。


 人は意外すぎる光景に直面すると動きを止めてしまう。武装している保安官カウンティ予備隊リザベーションズはこの状況に対応しきれなかった。彼らは映写機の回転を止めた活動写真の銀幕みたいに凍りついた。


 原因はあった。理由は存在した。ナオミはいち早くそれに気づいた。

 空だ。

 すべてを説明する所以ゆえんは東空にあった。


 太陽が、いびつにゆがんでいる。

 通常なら真円を描いているはずの日輪が大きく欠けているのだ。

 まるで三日月クレッセントだった。


 ナオミは声にならない声を上げた。これほど奇異な光景を目撃したのは初めてだったのだ。

「……しまった! 日蝕エクリプスか。まさか今日であったとは。余としたことが何たる不手際」

 征督府長官コンスルは苦悩が滲み出た調子で告げた。


 それとは正反対の調子で月下の騎士は返す。

「そう。天に隠れた新月が太陽を覆い隠す天文現象だね。今日は、日の出前から太陽は欠けていたのだ。私の予測どおりに」


 彼は白砂を土足で踏み荒らしながら、なおも復活した調子で語り続ける。

「何の策もなく敵の本陣に斬り込むほど、この私は暗愚ではない。ましてや女人にょにんをもって釣れるなどと考えてもらっては困る。月下の騎士もずいぶんと見くびられたものよ。では披露してやるとするか。月の影で華麗に復活した私の力を」


「その者を捕らえるのだ。もちろん生死を問わずデッド・オア・アライブだ!」


 スイッチが一斉に入ったかのように、周囲を固める保安官カウンティ予備隊リザベーションズが六本の槍を怒濤の勢いで繰り出した。月下の騎士は微動もせずにそれを受け止める。


 胸に、腰に、腹に、それぞれ殺到してきた切っ先は、そのことごとくが岩礁に叩きつけたもりのように弾き返されてしまった。月下の騎士は余裕綽々といった口調で、

「これは王水甲虫アシッド・ビートルの死骸を万単位で磨り潰し、生地に織り込んだ特製のポンチョなのだ。下手なよろい甲冑かっちゅうよりもずっと頑丈でね。そんなじゃ、かすり傷もつかぬよ」


 彼は手近に転がる槍を蹴り上げる。同時にポンチョの裾から類人猿のそれを連想させる長い腕を伸ばし、落下してくる凶器を鮮やかにキャッチした。

 途端に槍は、腕の延長線上に位置する物体に変化した。ナオミはありありと見た。それを流麗と呼んでいいフォームで振り回す月下の騎士の雄姿を。


 柄の部分で巧みに宙を切り裂き、それで六名の男たちの側頭部をしたたかに打ち据えた。被害者は例外なしに耳から血を流して倒れ、白州を汚していく。

 保安官カウンティ予備隊リザベーションズを壊滅させるのに必要とされた時間は一二秒ジャスト。一人当たり二秒という荒技であった。


 いまや相対する敵は征督府長官コンスルただ一人。月下の騎士は短い槍を掌中で一回転させ、穂先を敵へと向け直した。彼の怪力で投げつければ、雪男サスカッチとて絶命するだろう。


 それを悟ったナオミは、精一杯の大声で悲鳴をあげた。

「やめなさいっ!」


 女性ならではの一喝に、まさに投擲とうてきの姿勢に入ろうとしていた月下の騎士は、一瞬で全身の筋肉を凝固させてしまった。彼はテンガロン・ハットをわずかに傾け、左目だけでナオミを認めると、こんな言葉を舌に乗せたのである。


「叫びが我が腕を止めた。少女の一言に救われたな。私はたったいま約束を思い出したぞ。命だけは助けると言ったことを。約束は守る。我が弟よマイ・リトル・ブラザー……」

 そう言うと、月下の騎士は新たな攻撃行動に移った。槍をウッドデッキの屋根を支える大黒柱へと勢いよく投げ飛ばしたのだ。


 ナオミの角度からは、征督府長官コンスルへと投げつけたかのようにも見えたが、実は違った。

 尖った先端は節の目立つ柱へ深々と突き刺さり、柄は上下にたわんだ。月下の騎士は地面を蹴り飛ばすと、大黒柱に突き刺さった槍に片足をかけた。そのまま膝と腰のバネを活用し、一気に二階部分へまで巨躯を持ち上げたのだった。


 それで終わりではなかった。


 彼はブーツの爪先つまさきに仕込んでいた金釘かなくぎを生かし、二階の出窓の突起部キャットウォークにそれを引っかけ、実に器用に壁を歩いてゆく。城壁を駆け上がったあの夜の再現だ。


 そのまま勢いを増した彼は、末端部でハイジャンプを強行した。ガキンという金属が軋むノイズが響いたかと思うと、鋼鉄製の螺旋階段が少し揺れた。


 ナオミが手摺りから下を振り向くと、そこには巨大な蝙蝠こうもり人間がいた。

 円滑に日蝕が進行するなか、パワーを徐々に充填しつつある月下の騎士は、大きすぎる掌で金枠かなわくをとらえ、握力に任せてそれを握りつぶしながら、上へ上へとやって来る。


 逃げる暇も隠れる暇もなかった。

 彼は巨体を軽くはずませ、螺旋階段の最上階に着地すると、沈黙したままのナオミの手を握りしめた。鉄柵をつかむ要領で。容赦なしに。


「離してよ 痛いじゃないの!」


 月下の騎士こと南部峯ナンブミネ益荒男マスラオは、分別をわきまえた淑女でさえ虜にするに違いない瞳を煌めかせ、頼もしすぎる口調でこう述べたのである。


死にたくカム・ウィズなければ・ミー・イフ・いっしょユー・ワァン・に来いトゥ・リブ

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