― 2 ― とあるメイドのジェラシー

「それで?」

 サイズのあわない制服に身を包んだナオミは尋ねた。洗濯のりにおいも強烈なそれは、ソフィーの着ているメイド服と同一のものだった。


「私をメイドに仮装マスカレードさせていったい何をしろと?」


仮装マスカレードではありません。その洋服はプロの証し。いったん袖を通した以上、プロとして働いてもらいます。四角堂スクウェアの三階、すなわち南部峯さまの私邸では女手が極端に不足しているのです」


 やれやれ。ナオミは計略にはめられた現実に気づき、暗澹あんたんたる気分になってしまった。

 恵殿エデンに君臨する若き征督府長官コンスルは、最初からこっちを召使いとしてこき使う腹積もりだったに違いない。


「それで?」

 今さら反抗的な態度をとってもメリットは零だろう。尊厳だけは失わぬように気をつけながら、ナオミは言い返す。

勤労奉仕ボランティアといえば清掃活動が相場と決まっていますけど、私もやっぱり掃除をすればいいのでしょうか?」


「いえ、とんでもない。それだけではとても償えません。炊事に洗濯に裁縫もあなたを待っています。家事全般をサポートして貰えと、南部峯さまから指示を頂戴しております」


 ますますげっそりするナオミであった。これでは、きっと過労死するまで休ませてもらえないだろう。


「それではついてきて下さい。忙しくなりますよ。残り八時間で、あなたに家事の何たるかを叩き込んでさしあげますから。まずは台所です」


  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


 第三者の視点から公平に見ても、ナオミ・デリンジャーに家事の才能はなかった。

 炊事。洗濯。掃除。

 それらは生きていくうえにおいて必須とされ、とりわけ女性に期待される技術であるが、彼女はいずれも不得手だった。


 できないわけではないが、仕事ぶりは男のように荒っぽく、繊細な配慮には欠けている。どちらかといえば実用一点張りだ。


 理由は簡単。ナオミは家事全般の経験が浅いのである。

 幼い頃に家を焼かれ、後はクルップ爺さんと一緒に旅から旅の生活をしてきたためである。彼女にとって炊事、洗濯、掃除とは生き抜くための技術にすぎなかった。

 商売柄、舞台衣装を準備しなければならないため、裁縫だけは人並み以上にこなしたものの、他に自慢できるような特技はない。


 もっと困ったことに、ナオミ自身はそれをちっとも自覚していない。名より実を取る世界に生きてきた少女にとって、家事におけるデリケートさなどは枝葉末節しようまっせつにすぎなかった。


 荒野の飯は質より量。そこでは基本的に五つの食い物があれば充分とされている。

 コーヒー、豆、肉、パン、シチューだ。

 ナオミはコーヒーを忌み嫌っており、代わりに紅茶を愛飲していたが、残りはカウボーイが食するものばかり。これではどんな天才料理人だってバリエーションは限られてしまう。


 西部の旅では、味より日持ちするか否かに重点が置かれるのは仕方がない。特に豆類は値段も安く、腐りにくいので好まれた。ウズラ豆かササゲ豆が特に人気があり、インゲンは飽きられているのか、値段は安い。野菜はこれまた日持ちがするニンジンとタマネギ以外は滅多に口にできない。


 辛うじてコックの腕前が披露できるのはシチューだが、これもワンパターンに陥りがちだ。

 肉類にしても使えるのはビーフと塩漬けのポークのみ。信仰上の問題からかマトンはあまり好まれなかった。これをニンニクと月桂樹で臭みを消し、缶詰のトマトで味をつけるのだ。


 ナオミも当番でよく炊事車チャック・ワゴンの手伝いをしたが、できあがったのはシチューと言うよりも雑煮サンノバガンに近い物体であった。


 丁寧な家庭料理とは程遠い代物である。けれども彼女はコンプレックスなど微塵も抱いてはいなかった。プリティ・ズーの女の子たちからも、同じモノばかりという不満はあったが、味に関して文句が出たことはなかったからだ。

 だから台所に立てとソフィー・ホチキスに命じられたときも、ナオミはそれほど不安は感じなかった。


 しかし――

 思いのままにやってみなさいと命じたソフィーの言葉に従い、本当に思いのまま 朝餉ブレックファーストの支度に着手したところ、ナオミは五分とたたないうちにキッチンから追い出されてしまった。


 ソフィーが見せた哀れみの視線はナオミのプライドをしたたかに殴りつけた。

 無理もなかった。雑役女中オールワークスとして家事全般をこなすソフィーにしてみれば、肉類の下ごしらえも野菜の皮のむき方も知らないような小娘など、とても台所に入れるわけにはいかなかったのだ。


 面白くなかったナオミだが、彼女もまた自覚していた。そのまま最後まで料理を作り上げたところで、けっしておいしいものはできないことを。

 何事もそうだが、嫌々する仕事で結果など出せるわけもないのだ――


 ソフィーが手早く朝食を作り直し、ワゴンでそれを居間に運んでいく間、ナオミは鍋とフライパンを洗うよう指示を受け、忠実にそれを実行していた。

 磨き砂がないのには戸惑ったが、不都合はなかった。贅沢なことに、水がいくらでも使えるのだ。地下水を半自動式のポンプで汲みあげており、汚水は水道管を通って下水道に流れ落ちるしかけになっていた。


 雑事が軽便になった結果、そのぶんの時間を調理に割ける。結果として食卓は彩りが増えていく。富める者はますます富み、窮する者はますます窮していく。社会の縮図がここにも存在した。


 すぐにソフィーは帰ってきた。無言のまま、台所で手早くまかないの用意にかかる。どこに何が置かれているかを丸暗記している彼女の動きにはまったく無駄がなかった。ほんの数分の流れ作業で彼女は二人分の朝食をこしらえてしまった。


 サラダとスクランブルエッグ、サラミと堅パンのスライス、そしてミルクティー。


 けっして難しい料理ではない。材料と時間さえあればナオミにも似たものは作れるだろう。けれども見ただけでわかる。端々にまで細やかな神経が張り巡らされていることが。


「あなたも徹夜でしょう。無理にでも食べないと、お昼まで持ちませんわ。これからぐうの音も出なくなるまでしごいてさしあげますからね。この食事はいわば最後の慈悲。倒れないようにそれをお腹に詰めてしまいなさいな」


 遠慮している場合ではなかった。ナオミは猛然と食卓に襲いかかった。寝ていない状況で体を活性化させるには、取りあえず食事がいちばんなのだ。

 見た目だけではなかった。やっぱりプロの手際はそこかしこに隠れていた。味も歯触りも文句なしだった。


 通常なら、前歯がもげるかと思うほどの強度を誇る堅パンは適度に蒸らされており、簡単に噛み切れた。スクランブルエッグは適度に塩味が効いており、サラダには品のいい酸味のドレッシングがかけられていた。主体はザワクラフトっぽいキャベツだが、トウモロコシがきれいな彩りを伴っており、横には茹でたブロッコリーが飾られている。中央の赤いアクセントは初めて見るプチトマトだ。


 量こそ少ないけれど、味は上品そのもの。申し分ない食卓だった。


 満腹感とともに、ナオミは敗北感を味わった。

 ソフィーと自分との間には星より遠い距離が開いている。こんな料理ができるようになるには、いったい何年修行しなければいけないのだろう。打ちのめされた彼女は無理に意識を他へ向けようと試みた。


「それで?」

 ナオミは感じた疑問を直接口にした。

「一つだけ教えて下さい。ホテル〝蒼ざめた馬パール・ホース〟の女主人グッドワイフを務めているはずのあなたが、どうしてここにいるのです? まさかあちらは双子の姉とか、生き別れた妹とか、ドッペルゲンガーとか言うんじゃないでしょうね」


 華麗にメイド服を着こなしている相手は、微かに笑ってから、

「私はソフィー・ホチキス本人です。それ以上でも以下でもありません。夜はあちらで働き、朝方から日暮れまではこちらで奉公している。ただそれだけですわ」


 嫌みのつもりでナオミは問いかけた。

「働かざる者食うべからずとはいえ、儲かってしょうがないですね」


「いいえ。恥ずかしながら、私にはけっこうな額の借金がございまして。返却にはこうするしかないのです」


「でも、それじゃほとんど寝てないんじゃないの?」


 相手は一切表情を変えずに答えた。

「問題ありません。私はあまり眠りませんから。あなたも動物を側に置いているのならわかるはず。高等生物になればなるほど睡眠の必要性は薄れるのです」


 前半はともかく、後半の説にはうなずくしかないナオミだった。

 肉食獣は比較的長く眠るが、草食獣は短時間しか睡眠をとらない。一日あたり馬は約二時間、マンモス象のモコモコも寝ているのは三時間に満たない。夢の世界に逃避すると肉体が無防備になるからである。キリンのように一日あたり十数分だけ微睡まどろんで終わりという凄い奴もいるのだ。


「……でも人間は牛や山羊じゃありません。まったく眠らなければ死んでしまうでしょう。あなたは見たところ健康そうですけど」


「そうでもありません。いつもはセフィロトの霊泉でうたたねをするのですが、昨夜は珍客の来襲でそれも叶いませんでした。ケルビムが吐き出した男の治療ができるお医者を捜すのも一苦労でしたし」


「あの詐欺師は、助かったのですか?」


「悪運強く、命だけはとりとめたようです。皮膚の三分の一が溶けてしまい、再生するまで時間がかかるみたいですけれどね。しばらくは全身包帯ぐるぐるのミイラ男ですわね」


 うえ。想像してちょっと食欲が失せたナオミであった。


「風呂炊き亀に食われた哀れな男をご存じで?」

 そう訊いてきたソフィーに、ナオミはプリティ・ズーの座長として簡単に事情を説明した。グレゴリー・ゴンドルフという名の男は、こともあろうに月下の騎士の名を騙ったのだと。


「それを知っていれば医者捜しにより時間をかけ、絶命させてやったものを。あんな顔で月下の騎士になりすますなんて、死でさえあがなえないでしょう」


 ナオミはプチトマトをフォークで突き刺しながら、

「ずいぶん月下の騎士にご執心しゅうしんの様子ですね。義賊の名はここ恵殿エデンでも轟いているみたい。やはり彼の人気は不動なのですか」


「それもありますが……私は彼とは特別な関係なのです。少なくとも命令を下されて無視できるような度胸はこちらにはございません。靴を舐めろと言われれば、そうせざるをえないのが私の立場なのです」


 プライドを捨てたかのような言い分に、なぜか不快感を感じるナオミだった。

「弱みでも握られているの? それとも脅迫でもされているの?」


 相手は表情を微動だにせず、口元を軽く拭きながら、さらりと言い切った。

「男と女。ただそれだけ。それ以上でも以下でもないわ」


 真の意味を理解し、耳朶からまで首筋まで真っ赤になるナオミであった。目線をそらせば、それが完全敗北を意味するのはわかっていたが、年季と経験にはとても勝てなかった。


 ソフィーは上品に小さなあくびを一つすると、

「やはり昼間のお仕事に連れてきて正解でした。その様子では、ベッドでの肉体労働にはとても耐えられないでしょうから。あれに比べれば家事全般のメイドなんて楽なもの。それはわかるでしょう」


 いや、わからなかった。

 ナオミとて子供ではない。ハウス・ホテル〝蒼ざめた馬パール・ホース〟の正体には薄々気づいてはいた。その裏の間バックルームともなれば、を意味する場所であるのは察しがついていた。春だけでなく春夏秋冬のすべてを売りまくる女性の巣窟だ。


 幸か不幸か、ナオミにはそっちの経験はない。知識としては仕入れているが、それが真実かどうかは確かめる術も、またその気も持ち合わせてはいなかった。

 なにせ唇を奪われただけで感情が暴発するような娘だ。それ以上の行為を体験したならば、どんな反応をしてしまうかは本人にさえ想像もできない。まあ、なにぶん相手がいないのでは単なる取り越し苦労かもしれないが。


「不夜城の異名をとる恵殿エデンですが、昨夜はにぎやかすぎました。そんなわけで私も寝不足なのです。自分の体力の低下には驚かされるばかり。まだ二十歳をすぎたばかりなのに」


 かろうじて立ち直ったナオミは、同調するように言った。

「それにしても、こんな半死半生の二人に重労働を強いるなんて。もしかして征督府長官コンスルは血も涙もない冷血動物なのですか」


「まだわからないのですね」

 ソフィーは知恵の回らぬ相手を哀れむかのような口調で説明した。

「南部峯さまがあなたをここへ寄こしたのは懲罰でも幽閉でもありません。保護なのですよ。あなたはとても危険な立場に置かれているのです。月下の騎士に付け狙われたら、生半可なことでは逃げられません。でもここにいれば取りあえずの安全は確保できますから」


 それは薄々ながら、感づいていたことだった。しかし同時にナオミには別の確信があった。南部峯ナンブミネ憲治郎ケンジロウは絶対に純粋なる人徳の持ち主ではない。

「もう一つ意味があるはず。征督府長官コンスルは私を餌にして、月下の騎士を罠に誘い込もうとしているのではありませんか?」


 ソフィーは口元に運んでいた紅茶のカップを止め、それを丁寧にテーブルに置き直してから、

「その鋭いカンは、いつかあなたの命を救うことでしょう」


「当たりってことね。浅黒い顔色には驚いたけれど、どうやら腹の中はもっと真っ黒みたい。あのケンという御仁は……」


 そうつぶやいた直後、眼前に光が舞った。

 ぱしーん。

 あまりに意外すぎて何が起こったかわからなかった。

 鳴り響いたのが自分の頬であるのに気づいたのは、それから数秒が経過してからだった。

 じんじんじん。

 鈍痛と一緒に、口の中に鉄分くさい血の味が広がった。ちょっと切れたようだ。


「もう一度、その名で南部峯さまを呼んだら、二目ふためと見られない顔にして、穴という穴を全部使えないようにして差し上げますわ……」


 殺気すらこもった一言だった。


 平手打ちにこれ程の破壊力があるとは思っていなかった。ナオミは痛む頬を撫でながら、言葉を選択する。

「……何が気に障ったのかわからないけれど、そう呼んでも構わないと征督府長官コンスル本人が明言したのよ。私に正確な発音を求めるのは間違いだから、ケンでいいって」


 一瞬凝固したあと、ソフィーは蒼白い顔をさらに蒼くしながら、ぽつりと言った。

「そう……あの人がそんなことを……。叩いたりしてごめんなさい」


 直後、異常事態が勃発した。ソフィー・ホチキスの両眼が前触れなしに潤んだかと思うと、瞳から大量の液体がこぼれ落ち、頬を伝ったのだ。

 立ち振る舞いと言葉遣いから、相手が完璧に近い女性だと確信していたナオミだったが、その観察は間違いだったらしい。


 声を押し殺して泣く女ほど手に負えない相手もいまい。ずっとサーカスの少女たちの面倒を見ていたナオミは、こうした場合に対策が存在しないことを知っていた。慰めようと元気づけようと、相手は激高するか沈没するかのどちらかだ。


 やがてソフィーは、乾ききったレモンからを果汁を絞り出すように言葉をもらす。

「……南部峯さまにお仕えして今日で二五ヶ月と四日。私はただの一度とて、そんなお言葉を頂戴した経験とてないのに。なにゆえこんなぽっと出の小娘にそこまでの寛容を賜るのか、私にはもうわからない……」


 女であるナオミにはわかった。

 この人が恋をしていることに。


 それも途轍もなく高い確率で、悲恋のまま終わるであろう恋に身を焦がしていることに。


 ますます声をかけられなくなってしまったナオミであった。

 ケンこと南部峯に対する気持ちは不快と不信の域を出ないけれど、あるいはソフィーの脳内では勝手に恋敵に指名されてしまったかもしれない。

 女の子の嫉妬――それは時として殺人の引き鉄に化けることも多々ある。警戒信号を一段階引き上げなければ。


 ナオミがそう判断したときだ。不意に呼び鈴が鳴った。

 こうした広すぎる御屋敷で召使いを呼ぶための道具である。それは知っていたが、ソフィーが次にとった行動にはびっくりさせられた。彼女はエプロンで涙を拭うと、壁際に取りつけられていた鉄のパイプへ手をかけたのだった。


 鈍い金色に輝くそれは伝声管だ。

 船など騒音が激しい場所で会話をスムーズに行うための装置である。広すぎる家でも需要はあったわけだ。声は遠くなるが、意志の疎通は可能である。


 ソフィーはしばらくそれに耳を傾けていたが、やがてわかりましたとだけ答え、ナオミへ向き直った。彼女の瞳はウサギのように赤く染まっていたが、表情だけは威厳を取り戻している。


「あなたにお客だそうです。プリティ・ズーでピエロを務める老人だとか」

「クルップ爺さんだ!」

 ナオミは反射的に叫んだ。きっと心配して来てくれたに違いない。いつもは小姑みたいに口うるさい好々爺こうこうやだが、囚われの身に面会人は嬉しいものだ。


 立ち上がろうとした彼女であったが、冷たい一言がそれを制した。

「待ちなさい。どこへ行くのです?」


「どこって……迎えにですよ。彼は私の保護者みたいな人なんです。待たせるわけにはいかないでしょう」


「待たせておきなさい。あなたは仕事中なのですよ。行動はすべて優先順位を考慮した上でなければなりません」


「優先順位ですって?」

 ナオミは思わず聞き返した。

「異性と老人は待たせてはだめでしょう?」


「それを判断するのはこの私なのです。どうもあなたは御自身の立場がわかっておられないようですね。まずは食事の片づけが先。次に洗濯。その次に清掃。運が良ければ昼食の前に休み時間が数分間とれましょう。その時にでも会うのですね。まあ、あなたに一階まで降りていくだけの体力が残っていればの話ですが」


 相手の瞳が野望と嫉妬で爛々と光っているのを、ナオミは見逃さなかった……

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