第4章 素晴らしきお仕事(ワンダフル・ワーク)
― 1 ― ボヘミアン・ボランティア
三日間の
気分で決められたとしか思えない判決であったが、ナオミ・デリンジャーに不服はあまりなかった。
無罪放免がベストだけれど、禁固刑や鞭うちといった実刑を打たれるよりは一〇二四倍はマシだ。現状に文句をつけるだけでは何も解決しない。何事も
(……どうせドブさらいか、ゴミ捨て場の掃除か、看護婦の真似事でもやらされるだけでしょ。楽勝楽勝!)
責任感旺盛な彼女は、自分の事ではなく、サーカスの興業を案じていたのだった。
エンターテインメントに携わる者なら知っている。客入りは初動がすべてなのだ。
今日は金曜。
つまりいちばん動員が期待できる日だった。
これを逃すとまた一週間も待たなければならない。平日に興業をスタートさせたところで、お客の入りは目に見えて鈍る。過去の苦い経験がそれを教えていた。
交渉次第だけれど、市内の広場をステージとして貸してもらえるのはせいぜい二日が限界。こっちは貧乏な移動サーカス団だ。資金に余裕なんかあるわけない。
予定では土曜に開幕して、日曜に力を入れるつもりだった。そうやって銭を稼ぎ、女の子たちにたまっているお給料を払い、余裕があればもう数日の興行権を買うという青写真を描いていたのだ。
(……予定は未定。どうも計画はダメみたい。このままじゃ封切りが火曜か水曜になってしまうわ。来週の土日まで待つ? 冗談じゃない。荒野で一週間も野宿をさせたら、プリティ・ズーの女の子たちはみんな逃げてしまう。
一抹の不安を抱くナオミだった。経理を一手に引き受けるクルップ爺さんだけど、最近はどうも
心配しても始まらない。そうは思うが、心には暗雲がたちこめていく。
内心げっそりしつつ、ナオミは
向こうは少女の歩幅に合わせる気遣いなどさらさら持ち合わせてはいないらしく、勝手にずんずん進んでいく。ついていくのが大変だった。
背筋の伸びきった広すぎる背中へと、ナオミは問いかける。
「私はどこで何をすればいいのですか?」
「そなたの体は
「ミスター・ナナブミネ。それってもしかして……」
「
「失礼。噛みまみた。正確にはナブブナネ?」
「NANBUMINE、だ」
「……発音が難しいからケンと呼んでいいかしら?」
一瞬だけ相手の肩が動くのをナオミは見逃さなかった。
動揺してる、動揺してる。
「舌の矯正でもせぬかぎり、そなたに正確な発音を求めるのは間違いなのであろう。よい。ならば温情深く、ケンと呼ぶ許可を与える」
随分もったいぶった言い草だった。
(変な名前のそっちが悪いんじゃない。東方から大洋を渡ってきた民の一族だろうけれど、生粋の英語圏の人間に読んでもらうには異質すぎるネーミングよ)
そんなことを考えながら追いかけていくと、南部峯は勝手口のような小さいドアを開け、中庭に出た。さっきの白州とは違い、花壇と泉水が美しい西洋風の庭園だ。四隅を建築物で囲まれており、出入口はここだけらしい。
その一角にある螺旋階段に向かった南部峯は、小走りにそれを駆け上がっていく。ナオミも急いで続いた。彼は二階の出入口にさしかかったとき、不意に足を止めた。
異常に気づくナオミだった。そのドアは封印されていたのだ。
木材がいくつも不格好に打ち据えられ、ノブには何重にも鎖が巻かれ、大きな錠前が三個も取りつけられている。嵐に備える準備みたいだった。
「これだ。これが
なぜか無念そうに南部峯はつぶやいた。
「二階は余と
「狼藉者が殴り込んだというわけですか?」
「左様だ。そなたが逃がした月下の騎士がな。二度と同じ
「そなたにもわかっておろうな。この街は不格好でいびつな平和を手にしているにすぎぬ。四方を城壁で囲い、出入りを厳しくしているのは、市民に取りあえずの安寧を提供するため。余とて無粋な
ナオミはちょっと驚いた。相手は自分が管理する街の現状を理解しているのだ。
「政治家とは医者に近い。街という病んだ患者を癒すためには、スピード感溢れる治療が必要となる。それが余の理念だ。
ここ執政中央府には、
行政府は街の頭なり。その神経の役目を担う組織は密集していなければスマートな運営などできぬからな。
だがそれも無期延期となった。警備上の観点から実現化には問題があると判断されたのだ。万一にも同様の事件が発生したなら、余が斃れるだけでなく、市議の重鎮が全滅する可能性もあるではないかと言われては反論できぬ。それもこれもすべて忌々しき
ナオミは言葉を選びながら反論した。
「物事は両サイドから見なくてはいけないと思います。月下の騎士を一方的に凶漢扱いするのはどうでしょう。彼の名は西部の随所に鳴り響いています。福音をもたらす好漢として。もし根っからの極悪人なら、支持など集められるわけがありません」
政治家はすぐさま言い返す。
「
経済もまた永遠の病人なのだ。奇策を講じて表向きの具合を良くしても、病巣はより深くなるばかりだ。いまは完治よりも寛解を目指さなければ」
南部峯は首を横に振りながら、なお続ける。
「残念ながら世界はユートピアではない。それゆえか、暴力こそが社会を変える有益な手段だと誤解する輩もいる。この封印は余の焦りの現れなのだ。だからこそ法律と監獄が必要なのだ……」
彼はそう言いながら螺旋階段を昇り続けた。二人はすぐ三階へたどりついた。頑丈という単語をを具現化したらこんな感じになると思われる豪奢なドアがナオミを待ち受けていた。
南部峯は腰につけていた鍵束を外すと、片っ端から鍵穴に差し込んでいく。その数、なんと一三個。火事や地震が発生したなら、とても逃げ出せないだろう。
ドアが開け放たれた。
防犯用の鉄格子がはめられた窓がいくつもあり、
「ここがそなたの戦場となる。余の私邸だ。三階すべてがな」
ここに連れてこられた意味を理解し、目が点になるナオミであった。
「そう驚く必要はなかろう。
「……いえ、そうじゃなくて、つまりここで
「いかにも。ここも市内には相違なし。では職務に励め。子細は
背中を押されるようにして廊下に歩を進めたナオミは、そこでスカートを翻しながらやって来る女性と鉢合わせした。
非の打ち所がない正装をしたメイドであった。
顔を見て驚いた。意外すぎる人物だった。
衣装は違いすぎたが、見間違えるわけもなかった。
「こんにちは。またお会いしましたね」
ナオミの
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