― 3 ― 白洲の舌戦

 連れて行かれたのは恵殿の中央に位置する執政議事堂と呼ばれる建物だった。


 クリーム色の壁が目立つ三階建ての大きな営造物である。正方形を基調としたデザインを貫いており、外見は笑えるほど真四角だ。

 市民から〝四角堂スクウェア〟と呼ばれているそれは二階が執務関連の部屋で占められ、一階は待機所と受付、そして広めの庭で構成されていた。


 ナオミはなぜか、その内苑ないえんへと誘導された。

 時刻は朝五時三〇分。ようやく東の空には太陽が昇り始め、周りには明るさが満ちていく。ガス灯の明かりよりも、やはり日光の方が安心できる。


 あらためて周囲を見回すと、そこがかなり奇妙な空間であることがわかった。

 広めの庭園には海岸から運んできた白砂が一面に敷き詰められており、それには丁寧に波の模様が刻まれている。隅には控えめに針葉樹が数本だけ植えられ、品の良い調和を醸し出していた。シンプルながら奥の深い風景だった。


 これが東洋オリエンタルの様式美というものだろうか。

 目を建物に転じる。木造のそれは上品なセピア色で統一されていた。酒場サルーンのカウンターで多用されているマホガニーとは一線を画する木材だった。


 庭に直結する場所はウッドデッキを大きくしたような感じであり、一段高い場所には座卓のようなテーブルがあった。その奥にはスライド式の不思議なドアがある。どうやらそれは紙製らしい。大雨が降ったら、いったいどうするつもりなのだろう?


「座れ」


 薄黄色シャンパンイエローのジャケットを羽織った若い男が偉そうに言った。保安官カウンティ予備隊リザベーションズの一人だ。庭には不思議な色と質感のカーペットが敷いてある。そこにひざまづけと命じているのだ。

 文明人としては椅子に座りたかったけれども、こちらは丸腰。そして相手は長い槍を持っている。逆らうわけにはいかない。

 どう座ったらよいのかわからないので、とりあえず膝を抱えてみたが、すぐ文句が来た。


正座で座るのだシット・アップライト


 戸惑っていると、相手が実演してみせてくれた。びっくりした。ひざを折ってそのままかかとにお尻をつけるとは。すねももにずいぶん負担がかかる座り方だ。


 真似をしてみた。背筋が伸びるのは気持ちいいが、痛めた足首に不快感が走る。思わず顔をしかめると、屋内から声が響いてきた。


「楽にしてよい。咎人とがにんとはいえ、怪我をしているのは事実。ここは真実を追求する裁判所コートであって、拷問をする施設ではないのだから」


 南部峯なんぶみね憲治郎けんじろうであった。紙のドアを開けて登場した征督府長官コンスルは、座卓の前にゆっくりと座ると、ありがたくもそう言ってくれた。ナオミは彼の言葉に甘え、足を崩しながら、


「ここが裁判所コートなの?」


「左様。白州しらすという。誰にでもわけへだてなく光を注ぐ太陽の下で、闇にまぎれた事件を裁く場所。ここでは一切の虚偽は通じぬ。そなたへの慈悲は正座の免除で尽き果てた。あとは厳しい詮議が待っておることを覚悟せられよ」

 一気呵成にそう語ると、南部峯は口調を変えた。

「速記の準備はよいな? 皆、早朝より御苦労だが、政治と司法に空白期間は許されない。余も多忙を極める身ゆえ、これより即決裁判を行う。吟味ぎんみ、開始。

 まずは被告の娘に尋ねる。そなたはクリスチャンか? それとも他の宗派か?」


 ナオミは相手に負けぬよう背筋を伸ばし、

「先祖代々のクリスチャンです。宗派としてはネオ・ネストリウスに属する回顧系の……」


「余計なことは語らずともよい。では例のものを持て」


 予想どおりだった。保安官カウンティ予備隊リザベーションズが恭しく持ってきたのは聖書バイブルに他ならない。


「真実のみを語ることを聖書に賭けて誓うか?」


 ナオミは熱心な信徒というわけではないが、聖典への敬意も一応ある。彼女は表紙に片手を添えると、毅然とした声で言ってのけた。

「誓いましょう」


「よろしい。ではそなたの名前と年齢、職業を述べよ」


「ナオミ・サマーソルト・デリンジャー。年齢一七歳。移動サーカス団〝プリティ・ズー〟の代表を務めています」


「……ナオミか。聖書のルツ記に登場するエリメレクの妻だな。夫と息子に先立たれた不幸な女性だ。冗談めかしてはいるが、不平ばかり言う老婆。嫁のルツに助けられたが、あれでは幸せは逃げてしまう。そなたは彼女の特性を色濃く受け継いでいるのかも知れぬな」


「余計なことを語っているのはそっちじゃない。姓名判断なんてあてにならないモノを信じているようじゃ、この街の将来も見えたわね。幸せになるかならないかなんて、本人の努力次第だと思いますけれど」


 鋭い指摘にも南部峯は表情一つ変えない。

「そなたのように努力ができる者はよい。だが世の中には諸般の事情で、努力すら許されぬ人もいる。余はそうした弱者を救うべく努力しておるのだ。早朝からこのような瑣事さじで貴重な時を失うのは嬉しくない。裁判の迅速じんそく化は余にとっても命題であるからな。

 なら急ごう。罪状認否に移る。そなたは逮捕時、余の前で罪を認める発言をした。現時点でそれをひるがえす意志はあるか?」


「認めたのは不法侵入のみです。許可なしに恵殿エデンに入ったのは私のあやまち。それだけは認めますし、翻意する気はありません」


「反省の意志を認める。その思いを他の罪に関しても適用するがよい。そなたには他に六つの咎の疑惑がある。証拠は揃いすぎておるぞ。まさかこれを否定する度胸はあるまい」


「間違いではありません。けれども正確でもありません。ちゃんと説明できます」


「ほう。ではご高説を承ろう。まずは関所破りからだ。そなたは意図的に象を用いて正門を破壊した。申し開きがあるか」


 ナオミは唾を飲み込み、思いの丈を舌に乗せた。

「あれは事故にすぎません。サーカスで飼育しているマンモスが暴れ、門扉を壊してしまったのは確かですが、なにしろ動物のすることです。充分に飼い慣らし、管理にも気を配ってはおりますが、不意に野獣の本能を発揮してしまうのもある程度は仕方ないでしょう。もちろん破壊した門扉の補償はさせてもらいます」


「とても払える額ではないと思うが。では許可なく猛獣を市内へ入れた罪は?」


「モコモコ――つまり例のマンモスですが、彼はとても興奮していました。あのままでは見境なしに衛兵たちを踏み潰してしまう危険性があったのです。落ち着かせるには何か食べさせるのがいちばん。とりあえず馬草まぐさを与えれば宥められます。だからこそ城内のホテルへと導いたのです。幸いにも〝蒼ざめた馬パール・ホース〟の馬小屋で預かってもらえましたが、あの子は寂しがり屋です。私が顔を見せないと、哀しみのあまり粗暴になるかもしれません」


「それは脅しであろうかな? いや、ここは警告だと好意的に解釈しておこう。余に恐喝を試みるような命知らずなど、世間にいる筈がないから。

 それでは凶器準備罪は? ソフィー・ホチキスから証拠品として預かったポンチョには、五〇本以上のナイフが隠匿されていたぞ。申し開きをしてみよ」


「あれは商売道具です。舞台の出し物に使うために携帯していただけ。調べていただければ殺傷能力のある刃物はごく少ないのがわかるはず」


保安官カウンティ予備隊リザベーションズに対する暴行は?」


「警告なしにいきなり撃たれたからです。私には追いかけてくる男たちが暴漢に思えました。だから傘を投げ、その足を止めたのです。ナイフを使うことも考えましたが、それでは正当防衛の範疇はんちゅうを超えてしまうでしょうから」


投擲とうてきした傘はどうしたのだ? 洗濯屋から盗んだのであろう」


「違います。新聞記者見習いの男の子から双方合意のもとに借り受けたのです。城壁に張られたロープを渡り切るには、どうしてもバランサーとして傘が必要でした。あれがなければ私は墜落死していたでしょう」


 よどみなく自己弁護ができたおのれにちょっとびっくりしたナオミであった。彼女は自覚こそしていないが、サーカスの舞台をこなすうちに勝負度胸を培っていた。人前で話すことに苦手意識などあるはずもない。糾弾される場では声が大きい方が勝つ。その事実をナオミは肌で知っていたのである。


 こちらの雄弁ぶりに多少は驚いたのだろうか、南部峯の表情が変わった。けれども屈服を意味する顔つきに凋落したわけではない。

 むしろ逆。相手は不敵な笑みを浮かべているではないか。自分の能力をフルに発揮できる強敵にめぐりあったハンターのように。


「それならば最後の罪を問おう。広域指名手配犯の逃亡扶助である。そなたは〝月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーン〟とつるみ、逮捕を妨害したばかりでなく、その遁走エスケープに力を貸した。こればかりは言い逃れができまい。貴様たちが仲良く肩車をしていたという物証もあるのだぞ」


 南部峯は、書記がトレイに入れて運んできた新聞を取り上げた。〝エデン・サンライズ〟と記されたそれは刷り上がったばかりらしく、インクの匂いがわずかに漂っている。


 一面には写真がでかでかと掲載されていた。

 黒衣で身を包んだ男の肩におさげ髪の少女がしがみついている。粒子は粗いが、それが誰であるかは一目瞭然だ。


 まさに決定的瞬間。あっちゃーウープスという単語をぎりぎりで飲み干すナオミであった。

(……新聞屋のあの子が撮ったのね。スクープをあげてしまったわけか。まさか自分で自分の首を絞めることになるなんて!)


 舌打ちの誘惑から辛うじて逃れたナオミは、

「これは仲良くしているわけではありません。逆です。私が危険人物に拉致されている現場ではありませんか。ナオミ・デリンジャーは加害者でなく被害者であることをわかってくださいませ」


「では尋ねよう。どうして月下の騎士を追跡したのだろう。危険人物と知っていながら何故あの男を追いかけたのだろうか?」


「それは……」


 口ごもるナオミであった。いくらなんでも『ファーストキスを奪われて頭にきて深追いしました』なんて恥ずかしくて絶対言えないし、また信じちゃくれないだろう。


「……あいつは20万$の賞金首じゃないですか。捕まえれば現金がもらえますよね。正直、サーカスの経営は赤字続きでして。私には責任者として財務を健全化する義務があるのです。たとえ虎穴に飛び込んででも」


「そうか。すべて読めたぞ。虎穴に飛び込んだそなたは、月下の騎士の捕縛が不可能と知り、密約を交わしたのであろう。脱出を手伝えば相応の代価を払うと。恐らくは20万$以上の額を提示したに違いない。あの男は、下手をすれば大統領よりも金持ちなのだから」


「密約なんかありませんってば!」


「説得力はないな。そなたは先程から苦しい弁明ばかりしているではないか」


「弁明じゃありませんっ! これは事実であり……」


「立証できぬ以上、事実か否かは余が決めるしかあるまい。いずれにせよ、結果責任からは免れないと思え。そなたが密着していたがために、準備させた狙撃班は発砲できなかった。月下の騎士はまんまと逃げおおせたのだ。

 法と秩序の大敵である彼奴あいつが生きている限り、恵殿エデンの民は安眠できぬ。城外へと逃げてしまったからには、まず見つかるまい。嚮導追跡隊チェイサーリーダーを出したが、徒労に終わるだろう。

 これもすべて金にくらんだそなたが逃亡を手伝った結果。罪は万鈞ばんきんの重みあるものと知れ」


「そんな! すべて憶測じゃない! 弁護士だっていないし、こんなの裁判じゃないわよ!」


 南部峯はかすかに笑って、こう短く告げたのだった。

恵殿エデンでは余こそが法なのだ」


 過度なまでの自信に満ちた台詞に、ナオミは相対する男の本性を垣間見かいまみた気がした。


(……こいつは相当な曲者くせものね。本性が悪か善かもわからない。とても一筋縄じゃいかないわ)


 反論する言葉を持たない彼女が沈黙していると、秘書らしき男が書状を携えてやって来た。それを広げ、一読した南部峯は、指先でこめかみを掻きながら言った。


「……ふむ。どうも余の推理は間違っていたようだ。月下の騎士の逃亡を幇助したと断定したのは早計にすぎた。それだけは認めねばならない。

 奴はここにいる。大胆不敵にもまだ恵殿エデンに潜伏中だ。すぐに嚮導追跡隊チェイサーリーダーを呼び戻せ。家屋の一軒一軒を洗わせろ。煙突から下水に至るまで、くしですいてでも捜すように申し伝えよ」


 予想もしなかった報告に思わず胸をなでおろすナオミであった。眠気を誘うまでの安堵感が束になってやってきた。

 それが、自分の疑惑が晴れた吉報を聞いたせいか、それとも月下の騎士が近くにいるという事実に感極まったせいかは、彼女自身にもよくわかっていない。


征督府長官コンスルにお尋ねします。これで私への嫌疑は冤罪であるとわかったはず。もう帰ってよろしいでしょうか。さっさと一座のもとへ戻り、公演の準備に入らなければ。貴重な時間を浪費したのは、お互いにとって不幸でした」


 余裕綽々でそう宣言したナオミだったが、南部峯はなおも威厳を崩さずに、

「いや、無罪放免とはいかぬ。新たなる被害届が提出されたのだからな。これを見るがよかろう」

 南部峯から受け取った用紙ペイパーを、秘書がうやうやしくナオミへと差し出した。かすれた活字がタイプされている公文書だ。


 それにはこうあった――


『 盗難届

  申告者  : 月下の騎士

  容疑者  : ナオミ・デリンジャー

  被害物件 : 黒色テンガロン・ハット一頭いちず

  追伸   : 近日見参 』


「ナオミ・デリンジャー。君はなかなか命知らずのようだな。事もあろうに月下の騎士からトレードマークの烏帽子えぼしを盗むとは」


 首を振りながら呆れた調子で南部峯は言った。

「ち、違います。あれは無理やり被らされただけ!」


「ソフィー・ホチキスから委託されたそなたの私物リストがここにある。確かに男物の帽子が記されておるな。現在そなたの手元にあるのは間違いない。仮に押しつけられたとしても返す機会はあったはず。それを怠ったのは申し開きができまい。

 では判決を申し伝える。ナオミ・デリンジャーは窃盗犯として刑に服すべし。ただし初犯であろうし、軽犯罪でもあるゆえ、服役の要はこれを認めず。その代わりに四八時間の勤労奉仕ボランティアを命ずるものとする」


「ちょっと! 横暴だわ!」


「反抗的態度が認められるゆえ、拘束時間を七二時間に延長するものとする」


「待って!」


「九六時間に……」


 値切れないディスカウント・インポッシブル。そう確信したナオミは、客の呼び込みをするときのような音量で、早口にまくしたてたのであった。


「……実刑をご勘弁してくださった御温情に深く深く深く感謝いたします。ナオミ・デリンジャーは心から反省し、七二時間の奉仕活動に喜んで従事させて頂きたく存じますっ!」


    第3章 終わり

  ――第4章 「素晴らしきお仕事」に続く

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