― 2 ― 西部のナンブミネ

 心臓が早鐘を打つ。情けなくも膝が笑い始める。好奇心が頭で暴れだす。血液が逆流するかと思ったのは、風呂あがりのせいばかりではないだろう。


 己が動揺している現実を自覚したナオミは、深呼吸をしながら現実を受け止めようとしたが、あまり効果はなかった。

 相手が放つ個性と意志はあまりに強烈であり、乱れた心では太刀打たちうちできそうにない。


 何よりもこちらをにらむ眼光が鋭敏すぎた。その瞳は新月の夜空より黒く、中には綺羅星きらぼしが輝いている。油断していると、あっけなく吸い込まれてしまいそうだ。


 ナオミは敗北を意味することを自覚しつつ、交差したままの目線を外した。けれども観察を止めるわけにはいかない。新たに現れたこの男の顔立ちは、やはり無視できないまでに似すぎてた。


 そう、月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーンに……


 けれど違う。この男は違う。絶対違う。別人だわ。

 たしかに、よくよく観察すれば、相違点が際だっていた。


 まずは身長だ。月下の騎士も背丈はかなりのものであったが、この男はそれより頭一つ大きい。

 理由はすぐにわかった。月下の騎士が猫背ぎみだったのに対し、この人物の背骨は収穫間際のトウモロコシみたいに一直線に伸びていたのだ。


 それに顔色も違う。月下の騎士は、タイプされた活字を直す修正液のように色白だったが、この男は茶褐色の頬をしているではないか。


 黒人というわけではない。極度の日焼けだ。化粧である程度はごまかせるとしても、ここまで自然な色合いにはなるまい。


如何いかがいたした? 余の顔になにかついているのか?」

 相手は古風な言い回しの英語でそう言った。声はやや枯れた調子だったが、やはり似てはいた。

 返す言葉を持たないナオミに、月下の騎士の偽物は極めて事務的に語りかける。


「我が名は南部峯ナンブミネ憲治郎ケンジロウ。自由中核都市恵殿エデン征督府長官コンスルなり。法と正義と秩序の名においてそなたを逮捕するユー・アー・アンダー・アレスト。以後発言は裁判コートで証拠として採用されるゆえ、そのつもりでいるがよろしかろう。話したくないことは話す必要なし。弁護士を呼ぶ権利はこれを保証する」


 そうか。この男がそうか。

 ナンブミネという固有名詞は、恵殿エデンに乗り込む前から耳にしていた。門番もそんな名前を口にしていたはず。この街で町長と警察署長を兼ねた役割を担う真の実力者らしい。


 群保安官カウンティのように選挙で選ばれ、連邦保安官マーシャルと同様、中央政府から任命を受けて奉職していると聞いた。この城塞都市を切り盛りし、自治権めいたものまで獲得している。結果的に恵殿は半ば独立したような格好になっているそうだ。


(……本命のお出ましってわけね。こりゃあ逃げられないかな?)


 ナオミはそう直感した。たとえこの場を凌いでも、相手は地の果てまで追ってくるだろう。一人ならともかく、今の自分にはプリティ・ズーを束ねる責任がある。勝手はできない。


 しかし従順になりすぎる愚は避けなければならない。治安機関に期待しすぎるのは禁物だ。せめて自己の権利は主張しなければ。


「逮捕ですって? 何の罪で?」


 相手は準備していたに違いない台詞を、超早口でまくしたてた。

「市内への不法侵入と関所破り。許可なしに猛獣を搬入した罪。凶器準備罪。保安官カウンティ予備隊リザベーションズに対する暴行罪。またアモーウ洗濯屋ランドリー新聞店ペイパーから傘を盗まれたとの被害届が出ている。それに加えて指名手配犯の逃亡扶助だ」


 ぐうの音も出ないナオミであった。指摘されたのは、いちいち身に覚えのあることばかり。事実は否定のしようもない。


「他にも余罪はあろうが、それは白州しらすで明々白々としてみせる。大人しく縄を打たれるというのであれば、御上にも慈悲はあるぞ」


 そう言うと、白で統一した男は銀に光る手錠を取り出した。鋼鉄の輝きが夜陰に光った。


「南部峯さま、どうかお待ちを。相手は未成年の女の子です。その手首を鉄の輪で拘束するのは不人情というもの。哀れとは思し召しにはなられませんか?」


 ソフィーが横から助け船を出したが、白の男は冷徹に言い返す。


「それは相成らぬ。この者はサーカスを率いる座長だと調べがついておる。つまり住所不定ではないか。身元を証明する書類を持参していない以上、逃亡の恐れがある。執政を司る者としては現行犯逮捕以外に道はない。そのためには物理的な拘束もやむを得まいな。

 それから〝蒼ざめた馬パール・ホース〟の裏の間バックルームを仕切る女主人グッドワイフソフィー・ホチキスにも申し伝える」


 ソフィー女史の素姓にびっくりするナオミであった。女主人グッドワイフといえば経営者と同義語だ。そんな偉い人だったとは意外だった。


「そちは犯人隠匿いんとくの疑いが濃厚なるも、捜査に協力した点を考慮して特別にとがめなしとする。以後は同じあやまちを繰り返さぬように」


 征督府長官コンスルの台詞に頭を下げながら、なおもソフィーは食い下がった。

「ご寛恕に天よりも高く感謝いたします。その寛容の一割で結構ですから、この娘に向けてやってはいただけませんでしょうか? よろしければ私が身元引受人ギャランティになります。これなら居所アドレスがはっきりするはず。さすれば力任せに逮捕する必要も薄れましょう」


「周囲が押しつけても仕方あるまい。こうしたことは自発的でないと意味はない。改悛の情を片鱗でも示せば、余としても考えはあるのだが」


 それを聞いたソフィーは、ナオミの袖を引っ張り、耳元でささやいた。


「すぐ自首を申し出なさい。南部峯さまはそれを待っているのです。自分から奨めたのでは、酌量できる余地が小さくなってしまいますから」


「どうして! 私、なにも悪いことしてないのに!」


「充分以上にしていますわよ。ここは折れなければ全てを失うのですよ」


 正論だった。最後に勝つためには、不本意でも膝を屈しなければならない場合だってある。ナオミは隠れるように溜息をついてから、


「他の罪はともかく、市内への不法侵入だけは認めます。自首させてください」


 深く頷いてから、征督府長官コンスルの南部峯は答えた。

「よろしかろう。罪人が皆、そなたのように利口なら余の仕事も楽なのだが。それでは捕縛だけは目溢めこぼしするとしようぞ。ついてまいれ」


 きびすを返す南部峯であった。振り返る素振りさえ見せない。こっちが同行すると信じ切っているが故の行動だった。


 堂々としすぎた態度に、ナオミはかえって自由を封じられた。これでは逃げるに逃げられない。ここはおとなしく連行されるしかあるまい。


 そう思った彼女の背後から、脳に直接言葉が響いた。

《……無事なお帰りを。お喋り、楽しかったですわ。よろしければまたお越しくださいな。私はいつでもここにおりますから》


 ケルビムだ。巨亀はお別れのメッセージを送り出してきたわけである。礼儀正しい彼女に、ナオミが返事をしようと振り返ったとき――


「そこの下等動物に申し伝える。脳波をみだりに発するでない。贖罪の最中さいちゅうならば大人しくしておれと何度命じればわかるのだ。罪人は過去のあやまちを悔いつつ、奉仕活動に従事しておればいい。そなたの刑期はまだ五一年も残っていようぞ」


 発言者は南部峯だった。

「それから、名残惜しそうにくわえておる男をさっさと吐き出すのだ。どんな悪党であろうと、貴様の餌にするかどうかは裁判が決める。現場の判断で下手人の命を奪うような非道は、この南部峯が許さぬ」


 ケルビムは仕方なさそうな顔をすると、大きな口をあけた。半死半生のグレゴリー・ゴンドルフの体が、ごろんと転がり、温泉の中へ落下していった。


「ソフィー・ホチキスに依頼する。裏の間バックルームで飲んだくれている者には医者もいよう。その者に治療を施すよう依頼してくれ。延命が叶えば、税制面での緩和措置を考慮すると伝えてやれば、やる気を出す者もいよう」


 彼はぴしゃりとそう告げるや、返事も聞かず、振り返りもせずに歩いていく。

 ナオミは驚いた。発言内容にではない。純白の衣装で身を包んでいる征督府長官コンスルがケルビムの言葉を把握しているという現実にである。


 信頼に似た何かを感じるナオミであった。動物の意志を理解するには、常識がこびりついた耳を塞ぎ、純粋な心のみで聞かなければならないからだ。


 それが可能なのは穢れなき思いを持つものだけだ。灰かぶりのサンドリヨン王子プリンスに似たあの人が、そう教えてくれたじゃないか……

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