― 2 ― 野獣捜査線

 闇に走る黒衣の背中。


 モコモコの背中にしがみついたナオミ・デリンジャーは、唇を奪った男から目線を離さず、必死の追跡を続けていた。


 マンモス象であるモコモコの首にかかった太い手綱たづなを握りしめ、丸い背中に両足をで立ち上がる。地震よりも揺れるが、鍛え抜かれたバランス感覚を駆使すれば落ちることはない。ちょっとでも高いところから見た方が視界が確保できるのだ。


 それにしても相手は早かった。

 時速一五マイル(約二四キロ)で疾走するモコモコでさえ、なかなか追いつけない。それどころか間合いは離れていく一方ではないか。


 たしかに俊足ランナーには時速一七マイル(約二七キロ)で走れる人もいる。けれどもその状態が持続するわけもない。


「ええい! 怪物め! どうして息が切れないのよっ!」


 苛立いらだちまぎれにナオミは叫ぶ。だが月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーンは振り返りもせず、夜の静寂しじまへと姿を融け込ませてしまった。


 すぐにモコモコが吠えた。


 ぱおぉぉん。


「なに? 潮が混ざって匂いがわからないですって? じゃあ足音はどうなの?」


 象は嗅覚に秀でており、また人間には聞こえない音域も察知できる。追跡に用いる動物としては犬の次に役に立つ。ナオミはそれを知っているからこそ、モコモコに乗って来たのだ。


 ぱおぉぱぉぉぉん。


「止まらなきゃとても無理? だめ。今は時間が惜しいの。このまま西へ向かって。どうせエデンに向かったに決まってるわ!」


 ぱおぉぱおぉぱぉぉぉん。


「お腹がすいて走れないって? あんた男の子でしょう! ママのアミマミはこれくらいでへこたれなかったわよ!」


 ホーリー・ウッズ村焼き討ち事件を機に動物語を完璧に解するようになっていたナオミは、モコモコと巧みに会話を交わしながら西進した。


 キャンプを張っていたなだらかな禿げ山の中腹をくだると、一気に荒れ野に出た。先には土石を盛って造った不自然な形の丘が二つ見える。

 その谷間を駆け抜けると――


 城壁が広がっていた。

 緩やかにカーブを描くそれは、内陸部から浜辺まで延々と続いている。色は茶色と灰色だ。煉瓦レンガと大岩を組み合わせたものではないだろうか。


 間違いない。外界からの流入を遮断する防御壁だ。

 長城のような壁の先端は波打ち際にまで到達している。その向こうはまだ工事中だ。どうやら港まですっぽりと城壁で包む計画らしい。


 ナオミは目をみはった。その高さに圧倒されたのだ。

 街をぐるりと囲む城郭は五〇フィート(約一五メートル)を越えていた。これを堂々と乗り越えていくのはちょっと無理だろう。


 入口らしい部分は正面にあった。分厚そうな門構えだ。高さも幅もかなりある。蒸気機関車アイアン・ホースの線路なら三輛分は確保できそうだった。

 壁の上部には一定の間隔で見張り台が設けられており、深夜だというのに煌々こうこうと明かりが灯っていた。まるっきり不夜城である。


「これが……エデンなの……」


 思わずそうつぶやいたナオミだった。

 彼女がここにプリティ・ズー一座を移動させ、興業を打とうとしたのは、子供でも夜一人で外出できるまでに平和な街だと聞いたからだ。


 そんな楽天地パラダイスならきっと人間も多い。倒産寸前である貧乏サーカス一座をうるおすくらいの余裕はあるだろう。座長であり経営者でもあるナオミはそう考えたのだ。


 けれども種明たねあかしはこれだった。

 何のことはない。ここの住民は自分の殻に引き籠もって、模造品イミテーションの平和を堪能たんのうしているだけだ。


 大げさな壁はそのための道具にすぎない。手はこんでいるけれど、これだって大砲を撃ち込むか、ダイナマイトを使えばたやすく破壊できる。騎兵隊キャバリーが本気になって攻め寄せれば、あっという間に陥落するだろう。


 勝手にイメージを脹らませていたこっちも悪いけれど、ちょっと期待はずれの現実だった。これじゃ〝エデン〟の名前が泣いてしまう。


 モコモコの上でそんな事を考えたナオミだったが、不平を棚上げしなければならない状況が訪れた。視界の先に真っ赤な帽子を捕捉できたのだ。


「私のカウボーイ・ハット! あいつだ! こらぁー待てぇー!」


 月下の騎士は壁際に沿って走っていた。まさに人間離れしたスピードだ。よじ登れる場所を探しているのだろうか。


 ナオミは膝上まであるウォーキング・ヒールの拍車スパーでモコモコの背中を刺激する。とたんにマンモスは速度をあげた。壁との距離がみるみる詰まっていく。


 すると――


 城門の影から四人の人影が現れた。全員が鋭い槍を持ち、隊列を組んで駆け寄ってくる。きっと門番なのだろう。

 まさか押し潰して通るわけにもいかない。ナオミは愛象あいしょうに向かって語りかけた。


『止まれ。モコモコ』


 おとなしいマンモスは素直に命令に従った。足並みを緩め、やがて勢いを鎮める。

 四人組みはたちまちモコモコを包囲した。リーダーらしき男が大声で怒鳴る。


「そこの殿方に物申す。こんな夜更よふけに象で闊歩かっぽされるとは尋常じんじょうにあらず。地に降りて正体を見せるがよろしかろう」


 古くさい英語だった。けれど何を言っているかはわかる。ナオミはモコモコに、怖がらなくていいと告げたあと、こう返したのだった。


「殿方じゃなくて女。象じゃなくてマンモス。下馬ならぬ下象するのが礼儀でしょうけど、刃物を持った四人組の前に体をさらすほど無茶じゃないわ」


 相手は四人ともおかしな鉄兜をかぶっていた。中世の区次州エウロパで用いられていたモノかと思ったが、よく見ると違う。

 どうも鎖帷子くさりかたびらを編んで作られているようだ。カブトムシのような角が二本も生えているのが印象的だった。頭部全体を覆うタイプではなく、首筋や頬は露出している部分も多い。


 純粋な防具ではなく、装飾品としての意味が濃いのかもしれない。ナオミはそう思った。番兵には威圧感も必要だからだ。


 臆することなく、彼女は叫ぶ。

「私はナオミ・デリンジャー! 移動サーカス『プリティ・ズー』の座長。賞金首を追ってここまで来た。どうか門を開けていただきたい!」


 こっちが女だということに驚いたのか、それとも警戒感を解いたのか、相手は切っ先を空へと向け直してからこう返してきた。


「これは粗相そそうを致した。しかし開門はもはや相成あいならぬ頃合い。あれを見られよ」

 槍で指し示した先は門構えの真上だった。そこには英語と漢字チャイニーズ・キャラクターが併記された大きな看板が掲げられている――


 自由中核都市 恵殿エデン

   開門時間 午前五時より午後七時 例外なし

   大陸横断鉄道恵殿線、路線決定会議まであと二八日!

   みんなの力で誘致を成功させよう!


 ナオミは自分の想像が的中していたことを悟った。

 間違いない。これが、そしてここが恵殿エデンだ。


(……けれど朝五時から夜七時までしか出入りできないって、どんな街なのよ。夜の興業がほとんどできないじゃない。門限付きの自由都市なんて初めて聞いたわ)


 後半のスローガンは、地方都市ならどこでも欲する大型公共事業だ。鉄路ができれば、人と物の流れがスムーズになる。恵殿エデンは隣のシスコン市まで馬車で三日もかかる僻地にあるから、なおのこと鉄道が欲しいのだろう。


 ちなみに数字のところだけは交換可能な板でできていた。なかなか芸が細かい。妙な所に感心しているナオミへと、門番は大声で続けた。


「この極楽門ヘブンズ・ゲートは、朝五時になるまで何があろうとも絶対に開扉されぬ。無理に押し通れば関所破りとなる。その罪は縛り首だ。素直に夜明けを待つがよろしかろう」


「ふうん。じゃあ一つだけ教えてくれます? 門を潜り抜けるのはだめでも、城壁をよじ登って入るのはOKって意味?」


「なにをたわけたことを。夜半、恵殿エデンには何人なんぴとたりとも出入りは認められていない。これは夜盗や風紀の乱れを防ぐ措置だ。征督府長官ナンブミネ様がこの掟を制定なさった後、犯罪発生率は激減している。健全を保つための法規を曲げることは許されぬ」


 ナオミはちっちと舌打ちをしてから言った。

「じゃあ、あれはなに?」


 彼女が片手で指した先には、重力を微妙に無視している影があった。

 黒褐色のマントを羽織はおり、深紅の帽子を被った男――月下の騎士だ。


 彼は爪先つまさきだけを城壁につきたて、飄々ひょうひょう防塁ぼうるいを登っていくではないか。まるで軽いステップでも踏んでいるかのようだった。


 魔法? いや違う。科学万能の世の中にそんなモノはない。仕掛けはあった。

 ナオミはすぐそれに気づいた。何のことはない。ブーツの先端に金釘かなくぎのようなモノを装備しており、それを壁の境目に突き刺しているのだ。


(でもすごい。あんな角度の壁を歩けるなんて。足首と大腿筋と背筋の鍛え方が普通じゃないんだわ。私じゃとても無理。両手を使っていいなら、何とかなるかもしれないけれど)


 その時、突風でマントがめくれた。サーカスの団長はあっけにとられた。生意気にも相手は両手を尻のポケットに突っ込んだままだった。

 余裕なのか、世間をなめているのか。


曲者くせものだ! 皆の衆! お出会いそうろう!」


 門番はそう叫ぶと笛を吹いた。凄まじい音量が夜の闇を切断していく。それに呼応するかのように、見張り台から警戒にあたっている歩哨ほしょうらしき人たちが何人か顔を見せた。


 そして彼らは口々に叫んだ。


「あいつだ! 月下の騎士だ! エデン不倶戴天の敵!」

「奴を召し捕れば、恩賞は思いのまま! 左様さよう心得よ!」

「神妙にお縄を頂戴せい! 御上にもお慈悲はあるぞ!」


 古めかしい表現で叫ぶエデンの門番たちを見て、ナオミは思った。

(私の唇を奪った男はずいぶん悪名が高いらしいわね。この手で捕まえたいけれど、通常の方法じゃ困難だわ。手荒にいくしかないかな)


 軽業師としても舞台ステージをこなすナオミだったが、特殊装備なしにこの壁を上がるのは不可能に思えた。月下の騎士に追いつくには、彼が入ろうとしている恵殿エデンの内部に潜り込み、先回りするしかないだろう。


 ならばやるべきことは一つだけ。


 彼女はモコモコの丸みを帯びた耳に小声で命令を告げると、ひらりと大地に降り立った。

 幸いにして、番兵と門番はスマートに壁をよじ登る侵入者に夢中だ。賞金獲得条件である〝生死を問わずデッド・オア・アライブ〟を思い出した男がいたらしい。カラスのような背中にむけて、三つまたの槍が投げつけられた。


 ナオミは思わず息を呑んだ。どんな不埒ふらちな者であっても、目の前で死体に変貌していく様はみたくなかった。

 物騒な刃物は狙い違わず肩甲骨の側に命中した――かのように見えたが、効果はなかった。穂先は奴に突き刺さることなく、横方向へと弾かれてしまったのだ。


「これはしたり! 槍がすべったぞ!」


 どよめきが周囲を満たすと同時に、ナオミは自分でも理解できない感覚に包まれた。それが安心感であることに気づいたのは、事件がすっかり終わってからだった。


(……どうせ外套マントみたいな服の下に鎧でも着てるだけだわ。でも確かめなければ。生け捕りにすれば謎はすべて解ける!)


 彼女はマンモスのお尻を力任せに叩いた。頑丈な皮膚に覆われているモコモコだが、臀部は中でもいちばん脂肪の厚い部分である。これくらいやらないと反応してくれないのだ。


『モコモコ、やっていいわよ』


 ぱおぉぉん。


 マンモスは小さく吠えると、ゆっくりと四本の足で歩み始めた。その肩高けんこうは一三フィート(約四メートル)。体重は七トン。地上の哺乳類ではいちばんの力持ちだ。たいていの門戸など簡単に打ち崩せる。


 番兵がいない隙に、モコモコは慎重に極楽門ヘブンズ・ゲートの中央部に接近した。そっくり返った二本の牙が刺さらないように頭を下げ、額で分厚い木製の扉に密着し、そのまま押し始める。

 賢いモコモコは勢いよく激突したりしない。あくまでもゆっくりと体重をかけ、じわじわ圧力を増していく。


 男が一〇人がかりでなければ動きそうにない巨大な門に振動が走った。ぎしぎしときしむ音が周囲に鳴り響く。

 すぐにかんぬきが折れた。扉がゆっくりと開いていく。


「関所破りだ!」


 こちらの以上に気づいた門番が叫んだが、ナオミはしれっとした声で言い訳をした。


「すみませーん! なにしろ象のやったことですので! あとで弁償しますねー!」


 彼女は半壊した門の隙間からエデンの内部に潜り込んだ。運良く、門の内側付近にも番兵はいなかった。月下の騎士を追いかけるのに手一杯なのだろう。

 街に突入を果たしたナオミは、まず靴の裏に強烈な違和感を覚えた。それは石でも砂でも土でもない。木造のなにかだ。


 すぐわかった。それはブリッジだ。

 ということは……


 素早く視線を両サイドに投げた。やっぱり。外壁の内側に沿って水路が設けられていた。

 かなり深い。そして広い。幅二〇フィート(約六メートル)はあるだろう。澄んだ水がよどみなく流れているのが一目でわかった。


(これは内堀うちぼりだわ。恵殿エデンって街はどこまで引き篭もるつもりなの!)


 後ろからモコモコが門扉を完全に突き破って現れた。褒めてくれといわんばかりに首を振っている。放っておくと走り出しそうな勢いだ。ナオミはあわてて言う。


「モコモコ! り足でゆっくり歩きなさい」


 橋がマンモスの体重を支えきれるか不安だったが、がっちりとした木の足場は煉瓦レンガのそれより頑丈がんじょうだった。サーカスの座長とマンモスはやっと市内に足を踏み入れたのだ。


 今度の旅の目的地の一つ――恵殿エデン市内を一望したナオミだが、水路以外にも驚かされる点はたくさんあった。

 まずびっくりしたのは街の明るさだった。本当に今が夜なのかと疑いたくなるほどである。


 光の発生源はガス灯だった。道路の両端にはそれが一五フィート(約四・五二メートル)ごとに設置されており、眩しい光輝を放っている。その下では新聞だって読めそうだ。


(きっと防犯対策ね。光は犯罪者を追い払うんだ。夜盗や泥棒はなによりも姿を見られるのを極端に嫌う生き物だもの)


 他にもびっくりする点はあった。道にほこりっぽさがまったく感じられないのだ。

 こうした街では空気はいつもカビくさく、足もとは馬糞ばふんだらけなのが普通なのだが、嫌なにおいはしないし、ちり一つ落ちていない。まるで掃き清められたかのようだ。


 遠くから耳障りにならない音量で楽曲が奏でられている。聞いたことのないメロディだが、とても綺麗な音色だった。噂に聞いた極東ファーイースト胡弓こきゅうだろうか?

 視角と聴覚と嗅覚で新しい街の雰囲気を感じたナオミだが、すぐさま耳に馴染んだいななきで現実に引き戻された。


 ぱおぉん。


『ごはん? もうちょっと待ちなさい』


 ぱおぱおぉん。


『お腹空いた? すぐ食べる? いまは無理だってば』


 ぱおぉぱおぉぉん。


『約束が違う? 労働基準法違反? いいこと。マンモスには人権はないの!』


 ナオミは知っていた。モコモコはちょっと気が立っているのだ。

 マンモスは一日あたり三三〇ポンド(約一五〇キロ)もの草を必要とする。ところが彼は朝からその半分も食べていない。一座が運搬していた手持ちの餌が尽きてしまったからだ。恵殿エデンに到着しだい、お腹いっぱい食べさせてあげる。そう約束をしていたことをナオミはやっと思い出した。


 モコモコが四つ足で地団駄を踏み始めた。やばい。暴走スタンピードが始まったらクルップ爺さんでないと宥められない。


 急いで周囲を見回した。宿場町なら必ずホテルがある。そこには馬を繋ぎ、休ませるための小屋が併設されているはずだ。


 あった。


 ちょっと離れた場所に三階建ての木造建築物が見えた。派手な看板が松明たいまつで照らされており、いやでも目立つ。そこにはこう刻まれていた。


 ハウス・ホテル〝蒼ざめた馬パール・ホース〟  

   ただいま表の間オープンルームには空き部屋がございます

   裏の間バックルームの待ち時間は現在のところ二時間弱


 こっちも数字の所だけは取り替えができる板で作られている。客を無駄に待たせないための工夫だろう。ナオミは急いでモコモコを歩かせた。

 こうした場所には、旅人の馬の世話をしてお金を稼ぐ子供が必ずたむろしているものだ。


 ホテル〝蒼ざめた馬パール・ホース〟も例外ではなかった。一〇歳くらいの可愛い男の子が馬小屋の入口に立ちつくし、モコモコを見上げている。丸い目がさらに丸くなっていた。


 ナオミはその子に小銭を投げ渡すと、

「この子にまぐさと水をあげてちょうだい! 足りない分は後で払うわ。ゴハンさえ食べていればおとなしいけれど、耳だけは触っちゃだめ。あと踏み潰されないように気をつけて!」


 端的に注意事項を告げたナオミは小競り合いが始まっている城壁へと走った。数分だけ眼を離したが、月下の騎士がいる場所はすぐわかった。


 断続的な爆発音が聞こえてきたのだ――

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