― 3 ― 象と人間大砲
グレゴリー・ゴンドルフは最後まで聞いちゃいなかった。
まさか名前を騙った相手に出くわすとは思っていなかったのだ。いやはや。
脱兎の勢いで幌馬車が形成する輪を抜け出し、
どこだってよかった。おっかない相手から逃げおおせるのであれば、方角なんか選り好みしてはいられない。まずは距離を稼がなければ。
ある意味ゴンドルフは利口であった。勝てない相手と戦わないのは生き残るための知恵でもある。太刀打ちできるかどうか見極めるのも、才覚の一つではあろう。
怪盗〝
首都の国庫を丸ごと盗んだあげく、勃発した経済恐慌を逆利用して株価で儲け、
いや、男かどうかも不明だった。実は女だとか、実は老人だとか、実は子供だとかいう話が飛び交い、真相は闇の中だ。はたして人間なのかさえも怪しい。
イカサマ博打しか能がない俺様が、そんな恐ろしい怪物に敵うわけがない。ゴンドルフは的確にそう判断していた。
(今は無理だ。でも、いつか倒す。勝てるようになるまで逃げて逃げて逃げまくってやる!)
乗ってきた愛馬アパルーサのことなど忘れ、自前の足で走り続ける彼の前に、不意に岩石が現れた。
幌馬車二台分はある巨大なものだった。敵の銃口から逃げるには適当だろう。
ジャンプして岩によじ登る。
けれど、ちょっと奇妙だった。この岩はなぜ不安定なのだ。まるで固めの絨毯のような感触だった。
謎はすぐに解けた。態勢を崩した瞬間、ブーツの
途端に岩が絶叫した。
ぱおぉぉん。
そして隆起を始めた。みるみるうちに岩肌が盛り上がっていく。ゴンドルフは環境の激変に耐えきれず、地面に転がり落ちた。
ようやく真実が見えた。それは岩ではなかった。陸上最大の哺乳類だったのだ。
「なんてこった! 象だ! なんでこんな所に象がいるんだよ。ここは
ゴンドルフはそう叫びながら走り回ったが、考えてみればプリティ・ズーは移動サーカスの一座である。象がいるのはごく自然な話だった。
背後から響く地鳴りに追われた彼は、真っ直ぐに走り続けた。冗談じゃない。象に踏み潰されて死ぬなんて恥ずかしすぎる。月下の騎士に撃たれたほうがまだマシだ。
方向を巡らせたゴンドルフの前に別の幌馬車が現れた。馬は見えない。野営中なのだろう。外見は大きめの
「おーい! 若いの! ここじゃ、ここじゃ!」
屋上に真っ白の髭を生やした
ゴンドルフは太い車軸に足をかけ、あわてて屋根へとよじ登った。亜麻の
「モコモコは寝起きを起こされると激高するんじゃ。おまけにマンモスのくせに夜目がきく。おまえさんの姿が見えるかぎり襲ってくるぞ」
その年寄りは、顔の下半分は
ゴンドルフは息を整えて、
「あの暴れ象がモコモコっていう奴か?」
「そうじゃ。たまに夜中に暴れるから夜営の本体からは離しておいた。ワシはこのサーカスの象使いじゃ。あの子はなんとか鎮めてみせるわい。さあ、早うこの煙突の中にでも隠れておれ。あとはなんとかするからのう」
老人はゴンドルフを強引に
「爺さん。本当に大丈夫なのか。おい、この中なんだか火薬くさくないか? ちょっと! だんだん煙突が傾いてきたぞ。え? よく聞こえないぞ。5……4……3って、その不気味な秒読みはなんなんだよ!」
ゴンドルフが叫べたのはそこまでだった。彼の文句はそこで終止符を打たれた。
「
それに続いたのは壮絶なる爆発音。
自らに何が起こったかを理解できないうちに、グレゴリー・ゴンドルフの体は空を飛んでいた。彼は意に反する飛翔感を存分に味わいながら、瞬時にして意識を失ってしまった。
繰り返すが、プリティ・ズーは移動サーカスの一座である。そこに人間大砲があるのは、これまたごく自然な話だった……。
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