― 4 ― 愚者の代弁者、西へ


 名は体を表す記号に他ならない。


 黒衣の怪人物は〝月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーン〟を名乗ったが、物腰といい姿形のシルエットといい、まさに〝本物リアル〟だった。

 偽物には纏えないオーラを発散しているのがわかる。名を耳にしたゴンドルフが一目散に逃げたことからも真実味は濃いだろう。


 ナオミ・デリンジャーは尋ねた。追わなくていいのかと。


「私の照星から逃げおおせた者はいない。必ず生きたまま捕縛してみせる。そうでなければ食っていけないのだ。最近は私も懐が寂しくてね。賞金首ターゲット賞金稼ぎバンティキラーの真似事をしているのはなんとも恥ずかしいのだが」


 ナオミは警戒しつつ、核心をダイレクトに尋ねた。


「本当に……あなたが〝月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーン〟なの?」


「うむ。世間ではそう呼ばれているらしい。私は必ずしも気に入っていないし、本名はもちろん別にある。だが、ここで教える気はない。我が優美なる真名まなは英語圏の小娘にはとても発音できまいしな」


 後ろの女の子たちがざわついた。一人また一人と立ち上がり、おずおずとこっちへ歩いてくる。好奇心が恐怖感を制圧しているのだ。


 それに、こんな噂もあった。月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーンというお尋ね者は、男なら遠慮なしに撃つが、女と子供は絶対に殺さないと……


 伝説が一人歩きしている感じもするが、多少は真実も含まれているんだろう。中には活動写真のスタァか何かと勘違いしている娘もいるくらいだ。


 けれどナオミは両手を広げ、彼女たちの進撃をストップさせた。

「みんな! こんな正体不明の男に近づいてはだめ! 何されるかわからないわよ!」


 だが、サーカス一座の反応は、女性特有の冷ややかさと嫉妬に満ちていた。


団長プレジデント! 独り占めはずるい!」

月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーンになら何をされても別にかまわないし」

「こんな時に職権を濫用しないでくださいな」

「私も〝月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーン〟とお話したーい!」


 向こうも不快か面倒にでも感じたのだろう。月下の騎士は銃口をこちらに合わせてきた。

 それにしても、仰天するまでに巨大な拳銃だった。長すぎる銃身は命中率を上げるための工夫だろうが、ここまでのロングサイズだと笑いが取れる。

 しかし、笑ってる場合ではない。ナオミは座長として舌で反撃する。


「やめなさいっ!」


 肺活量を生かした意外な大声に、相手は一瞬で全身の筋肉を凝固させてしまった。

「……女の子に銃を向けるなんて人間の屑よ!」


 首をこちらに向け直した月下の騎士は、

「私は良きにつけ悪しきにつけ、男女差別をしないことにしている。自分の都合で特別扱いを求めるのはフェアではあるまい」


「本当は撃つ気はなんてないんでしょう。だって安全装置がかかったままだもの」


 月下の騎士は唇の端だけで笑った。

「その観察力はいつか君の命を助けるだろう。さすがの私でも五発しか残っていない拳銃で君たちを皆殺しにはできぬからな。

 淑女諸君。歓迎には感謝するが、私に時間はないのだ。あの不埒者を掴まえねばならないし、夜明けと共に眠らねばならない。日光は肌に大敵でね。

 また私は女にそれほど興味を持てずにいるのだよ。期待を裏切らないうちに言っておくが、男にはそれ以上に興味がないぞ」


「勘違いしないで。みんなあんたが物珍しいだけなんだから。そんな猫背の大男が好きになる女の子なんて、いるわけないじゃない!」


 ナオミの指摘に相手は一瞬凝固し、そしてこう切り返した。

「いい度胸をしている。私の猫背を説経した女は君で二人目だよ。ちなみに一人目はその後、ずいぶん悲惨な人生を送っているが」


 脅迫に限りなく近い台詞に、ナオミが微かな恐怖を感じたとき――


 ぱおぉぉん。


 野獣の叫びが聞こえた。ナオミにはすぐにわかった。あれはモコモコだ。プリティ・ズーの看板商品である巨大哺乳類だ。


「象が暴れているみたいだが、放っておくのか? 背中を針で刺されたと泣いているようだが。おおかたブーツの拍車スパーで蹴られたんだろう」


「モコモコの言葉がわかるの!」


 思わずナオミは聞き返した。彼女は単純に驚いていた。モコモコの怒号は、まさしく背中の痛みを訴えていたからだ。


(……まさか私以外に動物の言語を解読できる人がいるなんて……)


「子供の頃の純粋さを失っていなければ、誰でも動物と話せる。君もそうなのだろう?」


 否定はできない。まずい。押されている。なにか言わなければ。

 焦ったナオミの耳に、覚えのある爆音が轟いた。音の波が周囲の空気を切り裂いた。ナオミにはその原因も瞬時に理解できた。


「クルップ爺ちゃんだわ! また人間大砲を撃ったのね!」


 プリティ・ズーにおける唯一の男であり、ピエロを器用にこなすミヒャエル・クルップは元気溌剌はつらつなお爺さんである。たまに目覚ましや時報の代わりに空砲を撃ったりするので団員からは呆れられているが……


 しかし、今回は空砲ではなかった。実包だった。実弾として込められていた物体が宙を舞い、遙かな高みに放物線を描く様子がはっきり見えた。

 月光に照らされ、絶叫をあげながら西へ飛んでいくのは、さっきの不埒者ことゴンドルフに違いなかった……


「あの角度と距離ではエデンに落ちるな。これはありがたい。搬送の手間が省けた。あとはセフィロトの霊泉に落下している事を祈ろう。そこなら命だけは取り留めようから」


 月下の騎士は、何事もなかったかのように落ち着き払った調子で語った。


「だが、地面にでも激突していたら大変だ。死体では礼金が貰えない。私の丸損ではないか。あなたはプリティ・ズーの座長だとお見受けする。これは団員の不始末であろう。私が蒙るかもしれない損害に関し、代表として補償を願いたいものだ」


 なにを勝手なことを。そう思ったナオミであったが、まんざら無視もできない。

 人間大砲を撃ったのは、間違いなくクルップ爺さんだろうし、飛んできた39番〈海神のトライデントネプチューンズ・トライデント〉を防いでもらったという恩もある。


「それで、なにをどうしろと? うちも不景気で資金繰りがあんまり良くないから、お金は出せないわよ」


「すぐに払えとは言わない。払う覚悟だけしておいてほしい。それだけでいい。まずは帽子ハットを交換しようではないか。これは盟約だ。互いが互いを忘れぬための」


 そう言うや、相手は有無を言わせずナオミの真っ赤なカウボーイ・ハットを奪い、漆黒のテンガロン・ハットをこちらの頭に被せた。それも39番のナイフが突き刺さった状態でだ。


「これだけでいいの?」


「いや。まだ足りない。印象づけはより鮮烈でなければ」


 月下の騎士は煙草を投げ捨てると、猫背をよりねじ曲げ、強引に目線をナオミに合わせた。


 彼の瞳は黒褐色だった。鏡のような瞳孔に、震える自分の姿が映っていた。


「お、女に興味はないんじゃなかったの……?」


「興味はないが、欲しいと思う時はある。今がそうだ」


 片手で顎をつかまれた。すごい力だった。万力で固定されたみたい。首から上がぜんぜん動かない。


 直後、唇を奪われた。


 情熱的なキスでも扇情的なキスでも挑発的なキスでも肉感的なキスでもなかった。

 しいて言えばインコが相手パートナーくちばしついばむのに似ていた。朱唇の接触時間は〇・五秒以下であったろう。


 ファーストキスだった。考えられるシチュエーションの中で、最悪のものの一つかしら。そんな風に客観視している自分がおかしかった。


「これで互いに忘れられぬはずだな。エデンに来たなら〝蒼ざめた馬パール・ホース〟という酒場サルーンを訪ねたまえ。女主人にその帽子を見せれば話は通じるはずだ。

 それからくれぐれも私の弟には気をつけておくれ。エデンでは嫌でも顔を突きあわせるだろうからな。

 ではさらばだアディオス! 少女たちよガールズ。縁があればまた会おう!」


 黒衣をまとった白き顔の男は言いたいことだけを言うと、再び暗闇の世界に舞い戻った。黒板モノリスに染みこむインクのように、彼の姿は闇に溶け込み、消えていった。


 残ったのは強烈な喪失感と煙草の香りだけ。

 置き去りにされたという感情が爆発した。唐突に怒りがこみあげてきた。


(……奪われた。汚された。あんな煙草くさい男に! 初めてのキスは、初めてのときめきをくれたあの人に捧げるつもりだったのに! 10年前にホーリー・ウッズ村で助けてくれた〝灰かぶりのサンドリヨン王子プリンス〟に!)


 移ろいやすい愛憎という思いが逆転した瞬間を味わったナオミ・デリンジャーであったが、彼女はそれに気づいていない。


「ニーナ! 銃を貸しなさい!」


 呆然としていたニーナ・カレルは、怒りまくっているナオミを見遣り、

「でも団長プレジデントは二度と銃には触らないって……」


「いいから貸しなさいっ! あいつを引っ捕らえて保安官カウンティに差し出せば大枚の懸賞金が貰えるじゃない。経営者としてこんな儲け話を無視できないわ。しかも条件は生死を問わずデッド・オア・アライブ! 私のファーストキスを奪った罪を絞首台で贖わせてみせる!」


 ニーナは舞台で使う拳銃を手渡した。レミントンのダブル・デリンジャーだ。


 小型かつ軽量。女性向けとしてもてはやされたミニサイズの銃である。四一口径リムファイア・カートリッジ弾が2発、あらかじめ装填されていた。

 それだけあれば充分。ナオミは引ったくるように銃をつかむと、闇へ駆け出した。


 幌馬車の横を抜けたとき、クルップ爺さんがようやく落ち着かせたらしいマンモスがこちらを見据えていた。


 ナオミは叫ぶ。動物の言葉で。

『モコモコ! 来い!』


 途端に巨象は嬉しげに叫んだ。


 ぱおぉぉん。


 彼は地面を蹴り飛ばしながらすぐ急接近してきた。ナオミの側で片膝をつくと、上に乗れと促してくれる。彼女はいかなる時にも忠実な家来に感謝しながら、その背に乗った。


西へ西へゴー・ウェスト! エデンへ!』


 ぱおぉぉん。


 モコモコの背中に巻かれていた巨大な鞍に腰を落ち着けながら、ナオミは不思議な高揚感を感じとっていた。

 彼女は自分の顔がリンゴ色に染められていることに、まだ気づいていない。


 冷え切った風が火照ほてった頬に突き刺さってくる――


         ――第1章 「第1章 サーカスの少女」 完

           第2章 「恵殿エデンという楽園」 に続く

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