― 2 ― ナオミと第1の少年

 びっくりしたけど怖くはなかった。その子の顔はとても端正であり、可愛らしくもあり、とてもこっちに危害を加えそうな感じには見えなかったからだ。


 なによりもポケットには〈蜂の一刺しピンプリック・オブ・ビー〉がある。ナイフというよりきりに近く、サイズも子供用かと見間違えるまでに小さいけれど、ちゃんとした凶器だ。威圧くらいはできる。

 右手でそれに触れたナオミだったが、凄みのある声に襲われ、思わず固まってしまった。


「にげるんだ。はやく! 親方マスターは村でいちばん大きなエントツの家をねらうっていってた。いまならまだまにあうから!」


 彼の言葉が終わらないうちに、爆竹が弾けるような音が聞こえてきた。

 距離は意外と近い。そして複数の悲鳴――


 庭に通じている分厚いドアが激しくノックされた。泥にまみれたブーツがたちまちそれを蹴破った。無精髭で顔中を覆った不細工な男が室内に殴り込んできた。右目に眼帯をはめ、頬には乱暴に縫い合わせた傷痕が色濃く残っている。


 この男も絶対にサンタクロースではない。こんなおっかない顔をした人がサンタであっていいはずがない。ナオミはそう思った。

 百人が見れば百人が悪漢だと判断する風貌の男は、両手に物騒な拳銃を握りしめたまま、こんな台詞を口走ったのであった。


「お嬢ちゃん。知ってるかい? サンタクロースはよい子にはプレゼントをあげるけれど、悪い子は鞭で引っぱたくんだぜ」


 地獄の底から轟いてくる響きに、背筋が凍った。


「俺はな、生まれながらにして勝ち組に属しているお前のような奴がどうしても好きになれねぇんだ。これまでのクリスマスで、プレゼントを貰えなかったことなんか一回もねぇんだろう。羨ましいかぎりだぜ。

 俺はな、これまでのクリスマスで、プレゼントを貰えたことなんか一回もねぇんだ。サンタクロースに素通りされた家の子供が、どんな気持ちでお前の家を眺めていたかを考えたことがあるか? ねえだろう。

 俺はな、他人の痛みがわからねぇ悪い子には、鉛の弾をプレゼントしてやろうって思ってるんだぜ……」


 殺し屋だと告白したカミングアウト男は、一切の迷いなしに銃口をこちらに向けてきた。

 ナオミは、怖いとは思わなかった。正確には思えなかった。銃で撃たれたらどうなるかは知っていたけれど、その災難が自分の身にふりかかるという現実を理解できなかったのだ。弾丸が飛び出す穴を寄り目で不思議そうに見つめ、初めての体験に固まるだけだった。


 だが、そのとき――


 ナオミと拳銃の間に立ち塞がった者がいた。〝灰かぶりの《サンドリヨン》王子プリンス〟その人だ。

 少年は両手を広げ、灰色グレイに染まった髪を振り乱しながら凛々しく叫ぶ。


親方マスター! 子供を殺すなんて聞いてないよ!」


 悪漢はちょっとだけ眉を歪めたが、すぐに凶悪な顔を取り戻して、

「なんだ。新入りのサウスじゃねぇか。どきな。俺たちはこの村の女を皆殺しにしなきゃいけねぇんだ。それがクライアントのご要望なんでな。そりゃ俺だってこんな仕事はしたくねぇやな。けどな。今さら情け心を出したら貰える銭も貰えねぇだろ。ビジネスだよビジネス。割り切れや」

 と言ったが、少年は凛々しい顔立ちのまま叫び続けた。


「いやだ! どうしてもと言うなら僕ごと撃て! あんたには世話になったけれど、子供を撃ち殺すような奴を親方マスターなんて呼びたくない!」


 悪漢は深みのある表情を見せたあと、小さくつぶやいた。

「……じゃあそうするか。子殺しの罪悪感なんざ一人も二人も同じだろうしな」


 その男の子は、次の瞬間、予想外の行動に出た。

 思いっきりナオミの手を取ると、身をかがめたままダッシュした。彼は短躯を生かし、悪漢の股を潜り抜けたのだ。もちろん力任せに引っ張られたナオミもいっしょにである。

 一瞬にして背後を取った彼は、そのまま振り返りざまに親方マスター臀部でんぶをつま先で蹴り上げた。イボ痔でも患っていたのか、相手は野獣のような唸り声をあげる。けれど銃はけっして手から離さず、悪魔そのものの形相で振り返った。


 次の瞬間、乾ききった激発音が二回、室内にこだました。

 瞳を閉じることさえできなかったナオミは決定的瞬間を目撃したのだった。

 無粋な侵入者が両手に握りしめている真っ黒い銃――それがあらぬ方向へ弾け飛ぶシーンを……


 続いてもう二発の銃声。一発は相手が被っていた山高帽に大穴を開け、もう一発は首筋に突き刺さり、遙か天井まで鮮血を噴き上げさせた。


「ナオミ! 逃げるんじゃ!」


 それは慣れ親しんだクルップ爺さんの怒鳴り声だった。

 デリンジャー家で鍛冶仕事を一手に引き受けながら、ナオミの教育係もこなしているという元気溌剌げんきはつらつな老人である。

 階段の上に姿を見せたクルップ爺さんは、ウィンチェスターと呼ばれる大きなライフルに弾を詰め直しながら、こう怒鳴りつけてきた。

「裏山へ行け! 夜明けまでそこに隠れておれ! 朝には保安官カウンティが来る!」


 ナオミは驚いた。普段は本当に穏やかなクルップ爺さんに、こんな荒っぽい真似まねができるなんて思ってもいなかったのである。


「何をしておる! 急ぐんじゃ!」


 言うことを聞かないとお尻をぶたれる。その恐怖が募った。今度はナオミが男の子の腕をつかむ番だった。彼女は肩で息をする灰かぶりのサンドリヨン王子プリンスを引っ張り、破られたドアを抜け、表へと走った。


 苦すぎる体験が始まった。


 無駄に響く拳銃の連発音。親しい者の死。燃える街。動かなくなった冷たい手足に、地面を汚す黒い血溜まり。悪役以外には考えられない外見を持つ男たちの勝ち誇った高笑い。


 地獄がそこにあった。

 火。炎。劫火。


 真っ赤な悪魔の舌は、知り合いばかりが住む村を焼き、遊び場だったトウモロコシ畑を燃やし、水車小屋を炎上し尽くしていた。頬を遠慮なしに焦がす熱波が痛いくらいだ。


 それは不思議な炎だった。

 色は薄い黄色シャンパン・イエロー

 

 絶対に人間が造り出した劫火ではない。火焔を放射する何かがいたのだ。

 高台にうずくまった大きな影があり、それから散発的に炎が飛び出していた。

 

 軍隊が使う戦車? それとも巨大な生物?


 幼いナオミにはそれが何なのかは見極められなかった。ただ彼女の中では、あの影はこう規定された。


 黄色いイエロー・悪魔デビルと……


 野太い罵声が響いた。

「女の子を捜すんだ! 一カ所にまとめて生け捕りにせよ! 面倒なら殺してもかまわん! どうせ契約は生死を問わずデッド・オア・アライブだからな!」


 ナオミには何もわからなかった。けれども心の片隅では理解していた。こんな怖い思いをするのは、きっと罰なんだと。

 大人の言うことをちゃんと聞いて、早くベッドで眠っていれば、こんな怖い夢なんか見なくてすんだのにと。


 ナオミ・デリンジャーは神に許しを請うた。コーヒーなんて永遠に、もう絶対に、二度と飲みません。

 だからお願い。早く夢から目覚めさせてくださいと。


 けれども早鐘のように鳴り響く心臓と、肉離れでも起こしたかのように痛むふくらはぎの違和感は、これが悪夢ではなく現実であると主張していた。


 村はずれの教会まで逃げてきたときだ。それまで手を繋いでいた男の子が、いきなり足をとめてしまった。彼は呼吸を整えながら、一気にこう話した。


「あとは一人で逃げて。僕なら大丈夫。親方マスターが死んだ以上、どうとでも取り繕える。君は死んだと幹部には報告するから。

 こんな事になってすまない。まさか栄光あるジェイホーカー団が村を焼き討ちするなんて思ってもみなかった。ましてや女子供を率先して殺すなんて。あの怪物モンスタータートルの通訳をさせられた時に気づくべきだったよ。雑用係として入団したばかりだけれど、見切りをつけないとだめな頃合みたいだ」


 ナオミは言われたことの半分もわからなかった。あまり年齢も変わらないはずの男の子が、自分とはまったく違う世界に身を置いていることだけは理解できたが、敵か味方かとなるとさっぱりだった。


(この人は怖くない。けれどもお友達でもない)


 心の隅でそう認識できたとき、灰かぶりのサンドリヨン王子プリンスは燃える村へと足を向けた。


「死なないで。じゃあ、さよなら」


 それだけ告げると、彼はホルスターから掌に入るような小型拳銃を取り出すと、喧噪の中に再び身を投じるのだった……。

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