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6月初夏。

気温は夏に近づいてきたといっても、水温は冷たく、これから滝修行にいくような面持ちだった。

水泳の授業が始まったのだ。

ほとんどの女子も水泳授業に反対のようだ。

比較的細身の女子と、比較的…太めの女子が「最近太ったから嫌だ水着になりたくない」と嘆いたりしていた。

なにかと腹痛を訴えて授業を休もうとする女子も多かったが、逆三角形先生には通用しない。

結局いつの間にか全員参加になっていた。


僕は不得意でもないけれど得意でもない。

小中学校で教わっただけのクロールと平泳ぎと、自己流の犬かきができるだけだ。

身体も日焼けを覚えていないような白さで、骨しかないような肉付きでもないが筋肉もない。

中学まではさほど気にかけていなかったが、授業が始まる前に逆三角形先生に「はんぺんみたいな体だな」と元気よく言われた為に、今はとても気にしていた。


先生と並ぶような筋肉粒々な体型のバリバリ水泳部が、華麗なフォームから始まるバタフライを繰り出す。

男子の僕からみてもやっぱり格好いいなと、泳ぎ終えたパンツの水を絞りながらサイドを歩いていた。

僕と同じ生徒を見ていたのか、前を歩く女子たちが「ヤバイカッコイイ」とアイドルを見ているかのように、キャーキャー騒いでいた。

やはり筋肉も大事なのか。

それか上級レベルのバタフライをこなしているからなのか。




「ゴーグル取ったら不細工なのにな、アイツ」




またか、というほどのお決まりの塩野くん。

君は僕のスタンドなのだろうか、と言いたくなるほどの近距離。

上半身は当たり前に裸なのだが、さらにそれが第三者からみると勘違いしてしまいたくなるほどの光景だろう。

そそくさと彼から1センチでも離れようと歩く足をはやめた。

結局距離は全く離れなかったのだが。



「うちの高校の女子水着って最悪だよな。競泳水着みたいにパンツ型だし、胸元も鎖骨が隠れるくらい上まであるし。色気もなんにもねーよなー」


横目で…まぁバレバレなくらいなのだが、女子たちの姿をジロジロみながら腕を組み下唇を前に出して文句を吐き出した。


「まぁでも隠す水着からわかる胸の形とかラインとか、それはそれでエロいよなぁ~」



なんで同意を求めるんだ…。




「塩野サイアク」




僕と塩野くんの左を通り過ぎ際に非難した。

その子は塩野くんと同じ中学に通っていた子で、そして塩野くんが…―



「中原~違うって。お前の体が貧相だからって中原にそういう色気みたいなのは求めてねーよっ…「キモイシネ」


「待て待て、な~か~は~ら~あうわっ…!」



彼の左足首がガクンと傾いたかと思った瞬間、彼は華麗に横向きのまま、溶け込むかのように水へとダイブした。

それはさきほどの水泳部のような…―なわけないか。

ひどく無様な体制で溺れていったのだった。






「えらく腫れた捻挫だなー」


「いててっ。触んないでくださ…ぃいってー」



逆三角形先生のゴツゴツとした指からの握力が、彼の左足首に更なる痛みを与えていた。

池野くんも目が赤くなりがちだった。



「溝池。お前いつも一緒にいんだろ。こいつ歩きにくいと思うから肩貸して保健室行ってやれ。俺から開放してもらうよう保健医に伝えておくから」


「ダッセー」

クスクス

小馬鹿にするクラスメートから見送られながらまだ時間半分も過ぎていない授業を二人で抜け出した。



どうしたものか。

僕は心底焦っていた。

肩を貸して歩いている隣の彼は、欣喜雀躍していた。痛みも忘れているようだ。

それならいっそ一人で保健室に行ってほしいくらいなのだが、心配と不安を背に僕は鍵の開いている保健室のドアを開けた。




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「まっ…じで美人っすねー。いやぁ、こりゃ部活の先輩たちも声をそろえて絶賛するわけだ」



「そんなお世辞言っても出すのは湿布だけだからねー」




保健室に入って、塩野くんが飛び跳ねるかのように感動して、しばらく神崎…先生を褒めちぎって。

ただ氷水で冷やして湿布を貼るだけなのに、もうすぐ15分が経ちそうだった。

何度も早く戻ろうと、水泳好きアピールをしたのだがそれも通用せず、彼は鼻の下をのばしきっていた。


だらしない顔をした彼の目の前にいるのは別の保健医でもなく、影武者でもなく、保健委員でもなく。

紛れもなく神崎さん…、いや神崎先生だった。

勿論姿ではない。

目元を隠すようなサークルの大きい黒縁メガネに、

鼻上までしっかり隠れたクチバシのようなマスク。

ジャケットを脱いだシャツスーツに白衣。

僕も一瞬神崎さん?と確かめてしまうほどだった。

手当を受けるのだから塩野くんと彼女の距離は近かったのだが、変装が効いているのか塩野くんが鈍感なのか、気づかない。

最初はハラハラしながら入口付近で立っていた僕も、今はこれほど見ていて気付かないんだろうかと疑ってしまうくらいだった。




「はい終わり。もうここに居る必要なんてないから戻りなさいね」



「ええー。せっかく会えたのにー。まだ痛い痛い~」



「フフ。またね」



軽くあしらわれ、彼がトボトボと残念そうな顔でこっちにやって来た。

なんとか終わった。

最後まで気づかなった彼の鈍感さに感謝と安堵の状態だった。



ぱち


あ、目が合った。



目が合った…というより、彼女が僕をじっと見た。

瞬きも少なく、

唇も動かず、

ただじっと僕の目を見ていた。

何か、意味があるんだろうか。

何か、伝えたいんだろうか。

僕は何もキャッチすることが出来ず、目からの心情を読み取ることができなかった。



ブワッ



生暖かい風とともにスカイブルーの麻生地のカーテンが大きく揺れる。

途端、飾っていた花瓶がカーテンにあたり、机の右端から落ちる瞬間を目の当たりにする。




…彼女の背中から足元へと。




「神崎さん、危ないっ!」



大きな音とともに、ガラスの破片が太陽の光に当たってキラキラと輝きながら床に飛び散った。

机といっても1メートル少しの高さだったからだろう。

花瓶もそこまで粉々にはならなかった。


神崎さんも怪我はしていなかった。

細くて白い足に赤い色は見当たらなかった。

破片を拾い始める彼女に近づいて手伝おうとした。



「…かんざき、さん…?」





そうだ…

咄嗟に…名前…呼んでしまっていた…



「神崎さんって…同じクラスの…―」



僕は眉のしわを寄せた彼と、その彼が向けた人差し指の先の、床にあるガラスをじっと見つめている彼女とを交差した。


えっと

えーっと



「かっ…寒鷺草!」





「へ?」



「寒鷺草、知らない?花瓶の花、カンサギソウ。”寒鷺草、危ない”って、さっき」


「何その…カン…」


「花言葉は”春の訪れ”!男は花束を渡す側なんだから、知識くらいないと!」


「な、なに熱くなってんだよ…。水に入って落ち着こうぜミゾ」


「そうだね、失礼しましたー!」


「おい、置いていくなよ俺怪我人だってー!」



僕の変な回避術が相当可笑しかったのか、

彼女が小さく笑う声を背に、僕は塩野くんの存在を忘れたまま、プール場へと戻った。




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隣の席の養護教諭 如月 真 @plastic_liberty

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