第二話 神崎さんと神崎先生
1
『お昼休憩は13時10分までの40分間です。13時半からの種目は”学年合同綱引き”です。選手の方は開始10分前までに…~~』
校内・グラウンド共に放送部のしっかりハキハキとしたアナウンスが、少し音量が大きいと思われるほど響き渡っていた。
ついさっきまで、障害物競走に参加していた僕は、タオルで汗をぬぐいながら本館の校舎へと向かっていた。
所々に木があっても、正午は木陰やら日陰やらが一つともない。
梅雨の過ぎた6月下旬と言えど、歩く生徒が皆「暑い暑い」と愚痴ってしまうほどの快晴からの気温だった。
運動に縁が遠い僕だからなのか、午前の参加競技がさっきの1競技だけだとしても、体がバテてしまっていた。
校舎までの長い大名行列に加わって歩きながら、ふと左ななめの窓をみる。
あ。
カーテンを少しめくって外の様子をみていた彼女…いや、先生と呼ぶべきなのだろうか…と目が合った。
即座に消え、今さっき見えた彼女の姿は幻なのではないかと疑う程だった。
さすがに体育会は参加できないか…。
神崎さんが教員だと知ったあの日から10日ほど過ぎていた。
僕のクラス名簿に彼女は生徒として登録されていない。
卒業してから気づいたことなのだが、どうやら病弱のために不登校になってしまっていた入学生が居たらしく、
そしてどうやら女性で、
そしてどうやら1年では僕のクラスだったらしい。
その病弱だった彼女は入学式早々神崎さん…いや、保健室にお世話になったようで、それで神崎さんは後々、その彼女が不登校になった事からクラスに一名空きがあることを知り、現状に至るわけである。
彼女が出席する授業は決まっていた。2.3時間目と5時間目だけ。もちろんホームルームや担任の授業には一切出席していない為、担任からすると僕の隣の空っぽの席をみても、何も不思議には思わない。だから僕を除く何も知らないクラスメートは、神崎さんをクラスの一生徒だと信じているし、病弱なのだと勘違いしていた。本当に病弱な生徒は別に居るのも知らずに、だ。
そう上手く学生生活を過ごしている彼女も、体育会では本来の職業を全うしなければいけない。
全教員の前で、体操服姿で現れるわけにもいかないし、いつも以上に怪我人が想定される今日に保健室が開放していないとおかしい話になる。
実際、朝から擦り傷やら捻挫やらで数名の生徒が保健室に向かっていた。きっと神崎さんも忙しくしていたことだろう。
だから先ほどカーテンから体育会の様子をみたのは初めてだったのだろう。
生徒で過密化している下駄箱で靴を取り換えながら保健室を見つめていると、扉があいた。
出てきたのはこの前神崎さんのことを「しずこせんせい」と呼んでいた上級生だった。おそらくサボりだったのだろう。どこも怪我を負っていない様子で頭をかきながら保健室を後にしていた。
僕はその姿を目で追いながらこの前のことを思い出していた。
そういえばあの人、制服姿の彼女を見たうえで先生と呼んでいた…というか下の名前で呼んでいた。
彼は知っているのだろうか。
しずこせんせいが1年生に紛れて学生生活を送っていることを。
神崎さんが彼に教えたんだろうか。
神崎さんが彼だけに教えたんだろうか。
「ミゾ、昼休憩40分しかないんだぞ、早く食えよ」
すっかり仲良くなった塩野くんが女子みたいに机をひっくり返しくっつけて座るもんだから、面と向かって昼食をとっていた。
まわりから仲が良い以上だと思われていないか常に不安である。
既にお弁当の中身が残り4分の1くらいになっている塩野くんは、次の合同綱引きに選抜されている。だから食べるペースをはやめているのだが、僕まで一緒にする必要はない。
午後に僕の出番はないのだから。
塩野くんの言葉に反しながらゆっくりとした動きでお弁当の蓋を開けようとした瞬間、からからっと小さい音で教室後ろのドアが開いた。
神崎さんだった。
女子たちが本当に心配していたかどうかわからない口調で「だいじょうぶぅ~?」と聞く言葉に軽くうなずいてみせながら席まで来た。
机横に引っ掛けてある学生鞄を持ち上げすぐさま教室を出るのかと思いきや、
「溝池くん、ごめんふらつくから保健室まで送ってくれないかな」
「えっ…ど、どう…」
どうして僕に?
と言いたかったのだが、話途中で右肩をぐいっとつままれたので、何も言えなくなってしまい、開けた弁当箱の蓋を閉じてお弁当だけをなぜか咄嗟につかみ、ざわついた教室を二人で後にした。
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「ねぇ、なんで」
「…んうっ…けほっ…え?」
分かりきっていたことではあるが、誰もいないベッドの足元のほうに腰かけている彼女は、血行の良い飄々とした顔で、なぜか保健室の教員机でお弁当を食べさせられている僕に強めの口調で問いただした。
ものの数分は無言続きで黙々と昼食をとっていたせいか、身体がびくつき、米粒が鼻の方に入っていきそうになった。
「…だから…。…もう一週間以上経ってるでしょ。なんで、普通に接しているわけ」
「え…そ、それは……」
……
カーテンがバサバサと強めになびく音。
体育会執行部が土慣らしをするようにという指示。
成績の勝ち負けについて語りながら廊下を歩く生徒の会話。
「…えっと…別にまわりに害はないかなって…」
彼女はそっぽを向いて、そのまま背中からベッドに倒れた。
「なにそれ」
「え…」
「普通、先生に言いつけるでしょ。保健医が普通じゃないことしているってことを。24歳の良い大人が笑うでしょ。それか幻滅するでしょ、気持ち悪いでしょ」
彼女は仰向けになったまま話し続けるから、少し声がこもって外の音に混ざってしまう。
いつもけろっとしている彼女がこんなに口調をはやめて話すことは初めてかもしれない。
今は24歳の彼女の姿、として話しているからなのだろうか…
「笑わないし…それに気持ち悪く思ってないよ」
「”僕は”、でしょ」
「そんなことないよ」
「変よ」
「変?ぼ、僕が?」
「そう」
「神崎さんより…?」
「なにそれ」
「すみません…」
「いや、だからなにそれ」
「すみませ…
「敬語」
「え…今は24歳の神崎さんなんですよね…?」
……
「あははっ…ははははは」
ボスボスボスッ…と足をばたつかせてベッドを蹴りながら彼女は笑っていた。
作ったあの意地悪そうな笑いではなく。
「なにそれ、私が変身してるみたいな言い方っ…あははは」
そんなに可笑しかったのだろうか。
変身という意味で言ったわけでは勿論ないのだが。
食べ終わったお弁当をそっと片していると横をみると上半身だけ起き上がった彼女の姿があった。
「あの子もバラしたりしないよって言ってたなぁ…。よく仮病でサボりにくる子」
僕は瞬時にあの3年生だとわかった。
「しずこ先生のやりたいことなら、協力もするよって…。君もあの子も……私も…変な子…」
僕は巾着袋にしまったお弁当箱をみつめながら、
”まわりに害はないから”とかよりも、僕も彼のように恰好良いこと言えば良かったな…と、その時は少しだけ後悔した。
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