ぞんびわくちん
漂白済
終話 人間
僕は建物中の机やら椅子やらを積み重ねてバリケードを作っていた。
なんでかって?そりゃあ侵入者から身を守るためさ。
西暦20XX年、世界はたった一種のウイルスによって滅亡を迎えようとしていた。
発見者の名前をとってロメロ・ウイルスと名付けられた180nmのソレは人間の体内に入り込むと、脳が破壊され暴力的に凶暴に、もっと言えば狂犬病にかかった人間のようになり、人を傷付けることすら厭わなくなる。そして保菌者の血液や体液に触れたり、身体的接触を行うと感染が進む。身体のどこでも触れるだけで感染が始まるのだ。
つまり、ロメロ・ウイルスに感染してしまった人間に襲われるとその人間もロメロ・ウイルスに感染してしまうという倍々ゲーム。まさにバイオハザードである。
前頭葉をウイルスによって破壊された保菌者達は爬虫類と同類の思考能力と本能に従って行動を決定する。今やサルの方が彼らよりよほど美しく社会的な生命体となってしまった。
人から人へ。人間の世界と言っても過言ではなかったはずのこの地球はまさにロメロ・ウイルスにとっての天国に、人間の生き地獄へと変わった。
アフリカ大陸で発見されたロメロ・ウイルスはバイオセーフティーレベル4。つまり分かりやすく言えば人間社会を崩壊させるほどの危険を持ち、有効な治療法も予防法も見つかっていない。アフリカ大陸は死人の大陸へと変貌を遂げた。今頃は保菌者がゾンビの如くただ徘徊して、互いを喰らいながら肉体が朽ちるのを待っているだろう。
アフリカに端を発したロメロ・ウイルスは接触による感染によって爆発的に拡大し、すぐさま2014年のエボラ・ウイルスを超え、
現在、感染前線の最前線に放置された日本という国ではその恐怖から人々は適切ではない報道に煽動され、世界一礼儀正しい民族、国家などと呼ばれていた面影は一切ない。血走った目でロメロ・ウイルス保菌者に怯えるだけだ。
政府は辛うじて存在しているが、アジア-特に中国や韓国-からのロメロ・ウイルス避難民に対する取り扱いやロメロ・ウイルスに対する明確な対策を用意出来ない政府に民衆はしびれを切らし、全国で暴動が発生し、警察はそれの対処に追われ、窃盗、強盗、殺人など犯罪が絶えなくなった。生者の生ける国の中で最も治安が悪いと言ってもいいだろう。
さて、現実逃避はこのくらいにして・・・。僕、国立感染症研究所の研究員である僕はやっとこさ完成したバリケードの隙間から彼らを見る。
ドンドンと入り口の自動ドアのガラスを叩き、僕を睨みつける血走った目。体面なんかかなぐり捨てて自動ドアをこじ開けようとする人々。よだれを垂らそうと糞尿を垂れようともはや気にしない人々が昼夜を通してそれこそ必死になって僕を睨みつけていた。その目はギラギラと輝きを放ち、自動ドアを蹴破り、バリケードを破壊してでも建物内に入ろうとしている。透明のガラスに顔を押し付けて、その通り舐めるようにこちらを見る彼らは人間では無く獣のようだ。だが彼らの望む物などここには、いやこの世には存在しないのだ。
僕は肩書きばかりが偉そうな無能の自分自身にうんざりした気分になりながら階段を上り、ちょっとした休憩所のようなスペースの窓を見て、もっとうんざりした気分になる。いや、ここまで行けば充分に恐怖足りえるか。
誰かが絶望は死に至る病と言った。なるほどと僕は思う。もはや世界中の医者は絶望しているのだ。対策も出来ぬままにアフリカ、ユーラシア大陸から生者が消えた世界に。死んだように生きるヒト科ヒト族ヒトという獣の溢れかえる世界で、自らがやってきたことは自然からすれば無力でしかなかったのだと。
もっと時間があれば、もっと早くにロメロ・ウイルスに注目していたらと。タラレバの仮説など現状では妄言以上の意味を持たない。ただ下を向いて研究をするフリをして自分の成れの果てを妄想するだけだ。
つまるところ世界から医者は死んだんだ。残ったのは悔恨の念に囚われた生ける屍だけだ。自らに課せられた使命を忘れ、後悔と共に、人類救済の重責を果たせない自らの無力感を噛み締めて、ただ残された僅かな余暇を惰性に動き続けるゾンビに成り果てた。
人間の死は確約されているんだ。これはちょっとだけそれが早まっただけのこと。世間にそう笑って喧伝出来たらどれだけ楽だろうか。
車道をせき止め、向こうの戸山公園に至るまで、黒と黄色の蠢きで満ちているのだから。それぞれが勝手に蠢いて、無秩序の波が形成されていた。
研究所で見せられたある一人のフランス人を撮影した動画。彼女はフランスでは名の通ったモデルだった。その彼女はアメリカ、ニューヨーク行きのフライトの途中に発症し、着陸したジョン・F・ケネディ国際空港で拘束された。離陸中に発症した為、知能低下によってベルトの着脱方法すら理解出来なくなった為に他の客は無事だった。
とにかく彼女はかの
ご丁寧にもまともだった頃の画像も編集で付け足されており、ロメロ・ウイルスの持つ醜悪な変異性を僕は知ってしまった。
椅子に座らされ、首、両腕と両足を固定し、化学防護服の物々しい装備を着て、発狂する元モデルの採血をする動画に僕は絶望を感じた。挫けてしまった。
固定された箇所から赤黒い液体が飛び散り、口の端からよだれと泡を噴く。そんな姿が果たして生きている人間と呼べるのか?
あれが人類を殺す征服者、征服された者に等しく与えられる終焉。
あぁはなりたくない。僕のウイルスよりも小さなプライドが、自分を人道的に終わらせる方法を考え始めたきっかけだった。なんと浅はかな考えだ、と僕を諭すような人間はもうすでにいなかった。
僕はゲームが普及し始めた時代というのも手伝って、根っからのゲームっ娘だった。
だから、ロメロ・ウイルスの殺し方は分からなくても、ゾンビの殺し方は分かる。
僕は口を開く。ちょうど、脳味噌のド真ん中に当てるのがミソだ。
さようなら。役立たずでごめんなさい。たとえ我が儘でもあぁなりたくないんだ。
ゆっくりと右人差し指に掛けられた引き金を引いた。
これがゾンビに効く、たった8gの処方箋。
ぞんびわくちん 漂白済 @gomatatsu0205
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