活動記録・春 3

 翌日。

 放課後になった。部活に行く人や遊びに行く人たちが去り、教室には俺とかなでを含む、数人だけになっていた。


「それで? 何か思いついたの?」

 今日は一日中かなでの熱視線に晒され続けた。これが幼馴染みではなく、そして昨日の会話がなければ、俺は間違いなく「こいつ、俺のこと好きなんじゃね?」と勘違いしていたことだろう。

 しかし、残念なことにそうではない。こいつは紛う事ない幼馴染みであり、そして熱視線の理由は昨日の夜の会話にある。

 その答えがかなでの第一声。

「そうだなぁ、思いついたと言えば思いついたけど……」

「何よ、はっきりしないわね」

 はっきりしない理由は特に斬新な作戦でもなければ、間違いなく成功するという自信もないから。

 

 その時、閉められていた教室のドアがガラガラと開く音が聞こえた。二人とも反射的にそちらを見る。


「あ、リサ! やっと来た!」

 入ってきたのは騒動の中心人物、リサさんだった。かなでが駆け寄る。

 二人だけじゃなかったのか……。


「ごめん、ちょっとホームルーム長引いて」

 俺の記憶にあるリサさんは、かなでに負けず劣らずもっと元気な子だったような気がするが、今日はあまり元気がない。まぁ、それもそうだろう。


「今、丁度どうしよっかって話し合ってたとこよ」

 かなでがリサさんの手を引っ張りながら、こちらに連れてくる。

「話し合う? 誰と……」

 俺とリサさんの目が合う。おっと、絵に描いたようなしかめっ面。

「……どもっす」

 会釈。かなでと一緒にいるところは何度も見ているし、かなでの部屋で騒いでいる声も何度も聞いているし、さらにはかなでの会話には必ずと言っていいほど登場する人物なので、嫌でも覚えている。

「コイツと……?」

 唇の端がピクピクしてますよリサさん。あと一応、初対面なのにコイツはどうかなリサさん。

「ま、まぁ、頼りないやつだけど居ないよりはいいと思ってさ……ハハハ……」

 別に頼りがいのある男だとは言わないけど、人にモノ頼んどいて、その言い草はどうかな、かなでさん。

「うーん……でもねぇ」

 釈然としない様子。大体理由は分かるけど。

「リサ? どうしたの?」

 いや、そこは聞くなよ。想像つくだろ? それ以上聞いたらたぶん俺傷ついちゃうんじゃないかな?

「……あんま、喋ってるとこ見られたくないかなぁ……なんて」

 ほらね、やっぱり。そんなことだと思いました。わかってました。

「……あ、あれだ。俺、先帰るわ。俺の案は後でかなでにLINEで送るから……」

 そう言いながら、机の横にかけてあるカバンを取って、急いで立ち去ろうとする。

「誠、待って」

 かなでの低い声が後ろから聞こえて、立ち止まる。や、やばい。

「お、おい! かなでさん? 俺は別に気にしてないから、おちつ――」

 なんとか諌めようとしたが、遅かった。


「あんまりじゃない!? 確かに、根暗で目立たないし、ぼっちだし、なんか一人で妄想してはニヤニヤしててキモイし、今時無気力気取ってんのも気に食わないし、理屈っぽくてウザくてキモイやつだけど、リサのこと真剣に考えて来てくれた人に向って言うことじゃないと思う! 最低、見損なった」


 ……全然フォローになってないよ。ていうかお前、そこまで思ってたのかよ……

「か、かなでさん? まだ他のクラスメイトもいるし、あんまり大声出さないほうが……」

 みんなビックリしてこっち見てるよ。

「うっさいわね! アンタもアンタよ、ここまで言われてなんでキレないの!? 男でしょ!?」

 ますますヒートアップする。

「いや、あれだよ。そういう意見もあるってことで、一旦持ち帰って精査しようと……」

「政治家みたいなこと言ってんじゃないわよ!」

 ……う、確かに。しかし、なんとか落ち着かせないと。

「まぁ、落ち着けって。みんな見てるぞ」

「なんで言われた本人が落ち着いてるのよ!?」

 なんでって、そりゃお前……慣れてるからとしかいいようがない。学校でそこまで面と向って言われることはないが、家では〝優しい妹〟から毎日鍛えられてるし。


「ご、ごめん……私が悪かった」

 かなでの物凄い剣幕に圧倒され、黙っていたリサさんが口を開いた。

「なんで私に謝るの? 謝る相手間違ってるんじゃない?」

 かなでは、尚も怒りが収まらない様子。

「い、いや俺はいいから……」

 かなでに言われてリサさんが俺の方に向き直る。

「…………ごめんなさい」

 深々と頭を下げられてしまった。

「き、気にしてないから。頭あげて」

 慣れない状況に少し戸惑いを覚えつつ、なんだか恐縮してしまう。


「ほら、リサさんも謝ってくれたんだし、な? お前ももう落ち着けよ」

「だって……誠、昨日遅くまで考えてくれてたんでしょ……? 夜中まで電気ついてたし。それなのにリサが……」

 気づいてたのか。まぁ、部屋から丸見えだもんなぁ……。

 教室に残っている数人の冷たい視線が突き刺さる。居心地が悪い。

「と、とりあえずここじゃアレだから、場所を変えよう」

 いまだ俯く二人に促し、教室を後にする。



 俺たちは教室と同じ階にある空き教室に来ていた。

「二人とも、落ち着いたか?」

「…………うん」かなでが頷く。

 リサさんも、かなでの様子を窺いながら頷く。

「じゃあ、話を進めてもいいかな」

 二人が同時に頷く。……なんともやりづらい空気だ。


「とりあえず、これ見てもらっていいかな」

 そう言って、プリントを二人に配る。

「……『告発文』?」

 かなでが首を傾げる。リサさんはプリントを黙って見つめている。

「そう、告発文。リサさん一つ聞いておきたいんだけど、許可できないって電話してきたのって、生徒指導の丸山であってる?」

「…………うん、お母さんがそう言ってた。申請書を出したのも丸山」

 やっぱりか、睨んだ通りだ。俺の記憶ではヤツが担当していたからな。


「なら良かった。俺たちが数人がいくら言ったところで、たぶん丸山は答えを変えない。むしろ、あの丸山のことだからさらに態度を硬化させることも考えられる」

 すぐムキになるからな、あの先生。

「この手の申請に一々、職員会議を開くとも考えにくい。たぶん丸山に決定権が委ねられていて、許可も不許可も丸山のさじ加減ひとつ。後は校長に書類をあげて判子を貰うだけ。たぶんそういう仕組みになってるはずだ」

「うん、そうかも」

 かなでが同意する。

「ということは逆に、丸山にさえ認めさせればいいってわけだ」

「……でも、どうやって?」

 リサさんが尋ねてくる。

「さっきも言ったように丸山は意固地だから俺たちが言ったところで簡単には首を縦に振らない。なら、俺たちだけじゃなくて、学校中の生徒が言ったらどうなる?」

「認める?」かなでが言う。

「そう、丸山だって人間だ。〝数〟には敵わない。それも、他の教師も巻き込んで学校中が否と言えば認めざるおえないはずだ」

「それでこの、告発文?」

「そう」


 内容はこうだ。


 告発文


 私は丸山一茂氏を告発する。

 去る日、ある生徒がアルバイトの許可申請をした。彼にはどうしても働かなければならない理由がある。

 それは、彼の父親が重い病に倒れ、長い入院を余儀なくされている。

 医療保険があるものの、それだけでは入院費や治療費には足りず、母や他の家族の給料を父親のそれに充てている状況だ。それほど裕福な家庭ではない彼の家は大黒柱たる父が病に伏せ、金銭的にも、精神的にも圧迫されている状況にある。

 そんな中、家族思いの優しい彼は、家族を助けるため、アルバイトをしようと思い立ち、丸山氏に申請書を提出した。

 諸君が知っている通り、今年からアルバイト申請の基準は、厳しく改正された。生徒手帳にはこうある。


 ※生徒は原則、アルバイトを禁止する。 しかし、事情が認めらた場合のみ、この限りではない。


 『事情が認められた場合のみ』、今回の件がその〝事情〟に含まれないというのなら、一体どんな事情なら認められるのだろうか。

 丸山氏は今回の件をあっさりと〝不許可〟にした。彼の母親は泣きながら事情を説明し、許可して貰えるよう頼み込んだが、丸山氏の答えは変わらなかった。

 これが、人間のとるべき行動なのだろうか。

 彼は、泣きながら私に相談してきた。私は彼以上に憤り、この告発文を書いた次第である。

 どうか皆も考えて欲しい。丸山氏の答えは正しかったのか。

 どうか皆も行動に移して欲しい。丸山氏に否を突きつけて欲しい。

 家族思いの彼を助けてやってほしい。


 丸山氏の愚行を告発するとともに、丸山氏のさじ加減次第でどうにでもなるこの校則の改正を求める。


 以上。告発文とする。皆の協力を切に願う。


 生城高校 生徒より



 二人は黙ってプリントを読んでいる。

「……ど、どうかな?」

 自信のない俺は、二人に恐る恐る尋ねる。

「これ、〝彼〟になってるけど」

「一応、誰だかわからないようにするためのブラフ。丸山本人には分かるかもしれないけど、それ以外には分からないように書いたつもりだ。ただ、この文書はリサさんが、かなで以外に相談してないって前提なんだけど……」

「うん、かなで以外には言ってない」

「そうか、よかった」

 夜中だったから確認しようもないし、とりあえず色々仮定して書いてしまったけど、どうやら書き直す必要はなさそうだ。

「……これ、昨日一晩で、誠が一人で考えたの?」

 かなでが驚いた表情で尋ねてきた。

「ま、まあ……」

「……凄い」

 リサさんがボソリと呟く。俺とかなでは驚いてリサさんに視線を向ける。

「あっ、いや、なんというか……、私にはこんなこと思いつかない……」

 少し恥ずかしそうに言っている。

「これくらいは誰にでも思いつく、あと問題は皆がこれに乗ってくれるかどうか……」

 そう、それがこの作戦のミソ。ここがうまくいかなければどうにもならない。

「大丈夫……だと思う」

 また、リサさんがボソっと呟く。

「うん、私も大丈夫な気がする。みんな丸山のことキライだし、バイトの件もたぶんリサだけじゃないと思うから」

「まぁ、そうだな。たぶんリサさん以外にも泣き寝入りしている生徒はいるはずだ」

「いける、いけるよ! これ」

 かなでが俺とリサさんの手をとって興奮している。

「…………う、うん」

 リサさんも戸惑いつつも、少し明るい表情を見せる。


「それじゃあ、これを見つからないように、こっそり学校の掲示板と教室の黒板に張ってこよう」

「わかった! 私、下から行ってくる!」

 かなではそう言って、昨日の夜印刷してきたプリントの束を鷲づかみにすると勢いよく教室を飛び出していった。

「くれぐれも見つからないようになー」

「はーい」と大分遠くの方から返事が聞こえる。もうそんなとこまで……大丈夫かなアイツ。


 ふと、周りを見渡すと俺とリサさんだけになっていた。

 こ、これは気まずい。とっても気まずい。

 リサさんも同じ気持ちなのだろうか、俯いている。

 この空気に堪えれなくなった俺は。

「あ、えっと……それじゃあ俺は上から……」と言ってプリントを掴み、この場から立ち去ろうとする。


「あ、ちょ、ちょっと待って!」

 デジャブ。さきほどの教室での出来事と重なる。

「な、なにかな……」

「あ、いや……」

 沈黙。なんなんだ、何か用事があって引き止めたんじゃないのか。

「そ、それじゃあ行くから」

 またドアの方へ向き直る。するとまた後ろから

「あ、あのっ!」と緊張からか上ずった声が聞こえる。

「は、はい?」

「さっきは本当にごめんなさい!」

 もう一度、深々と頭を下げられる。

「い、いやそれはさっき謝ってもらったし、ていうかそもそも気にしてないから」

 そんじょそこらの一般人と一緒にされても困る。鍛え方が違うからな、鍛え方が。


「でも、やっぱりもう一度謝りたかったから。それと……ありがとう」

「……え?」

「私のために……かなでのためかな? ハハハッ、それでも、すごく嬉しかった。ありがとう」

 そういってニッコリと微笑む。お、おおう……こんな笑顔を向けられたのは何年ぶりだろう。

「お、おう、でもお礼はうまくいってからでも……」

 まだ成功する保証なんてどこにもない。

「そっか、そうかも。じゃあ取り消す」

「いや、わざわざ取り消さなくても」

 アハハっと笑う。晴れやかな表情だ。少し肩の荷が下りたのだろう。

 なんとなく気恥ずかしさを感じ「それじゃ、上から行くから。リサさんはこの階を」と言い残して足早に立ち去る。

 おかしな気持ちだ。

 ……なんとか成功してくれるといいんだけど……



 各々、各階各教室に張り終えた後、元の空き教室に戻ってきていた。

「人がいる教室は張ってこなかったけど……」かなでがカバンを背負いながら言う。

「それでいい。俺たちだってバレると後々面倒だからな」

「私も、そうした」リサさんもかなでと同じようにカバンを背負いながら言う。

「後は……明日の朝どうなるか、だな」

「そうね」

「……うん」

 リサさんは不安そうな表情を浮かべている。何か声を掛けてやるべきなのだろうが……、なんと声かければいいんだ。そんなことを考えていると。


「大丈夫よ、リサ! もう信じて待つしかないじゃない!」

 それは諦めとも言うんじゃなかろうか、かなでさん。

 そんな俺の考えとは裏腹にリサさんの不安は少し晴れたようだった。

「そうだね、かなでの言う通り」

「うん、うん! そうそう! もし失敗したら誠をケチョンケチョンにしちゃっていいから! その時は私怒らないし、ていうか私も一緒にケチョンケチョンにするから!」

 なんてことを提案しやがるんだ、こいつは。

「……うん、そうする」

 そうするの!? え、そうしちゃうんだ!?

「ほ、程ほどにな……」

 まぁ、俺に責任があるのは否定できないしな……。

「アハハッ、冗談だって」

 落ち込む俺の肩を、バンバンと叩くかなで。普通に痛い。


「それじゃ、私たち一緒に帰るから! 誠も早く帰りなさいよ!」

「……おう、わかったよ」

 そう言って二人は先に学校を後にした。


 空き教室に残るのは俺一人。ふと時計を見る。

 ……六時四五分。

 こんな時間か。何気に初めてだよな、こんな遅くまで学校にいるの。

 悪さをしているようなワクワク。そして妙な充実感。明日の不安。

 色々な感情がごちゃ混ぜになって「……フフッ」っとまた一人で笑う。

 あ、また俺キモかったな、たぶん。

 一人でそんなことを思いながら、帰る道が一緒なため、追いついてしまわないよう時間を潰し、遅れて学校を後にした。


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