8月5日
昨日見た少女を気にしつつ、僕はまた自転車で河原に差し掛かっていた。
あの少女が居るのではないかという期待を押し殺して、曲がり角を曲がった。
そうして少し走ると、やはりあの少女は居た。
昨日同様の天気で、長時間外に居たら肌がヒリヒリしてしまいそうな程の快晴だ。そんな天気の中、あの少女は昨日と服は違えど長袖を着ていた。
だが、暑そうな身振りもしない。手を扇ぎ、襟元をパタパタとするわけでもない。
一方、僕は予備校に向かっているので、自転車を降りる訳にはいかいない。だから、そのまま河原を走り去った。
予備校までは自転車で大体四○分くらいかかる。結構遠いところに通っているのだ。
わざわざ自転車で通わなくても、バスや電車で行けばいいのだが、それら公共交通機関は僕の住んでいる田舎にとっては便利なものではない。バスは一時間に一本しか来ない。電車は一時間に二本来る。二本来るといっても、各駅停車の普通電車しか来ない。他の電車は停まらないのだ。だから僕は自転車で通うことにしたのだ。
自転車に鍵を掛けてから予備校のドアを潜る。そうすると、とてつもなく冷たい空気が僕の身体を包み込む。
これがあるから、僕は自転車で予備校まで来られているような気がする。
ロビーの隅でリュックサックを降ろして、タオルで汗を拭っていると、ある人が話しかけてきた。
「よぉ。今日もお疲れ」
「おはよう」
予備校で仲良くなったヤツだ。コイツは僕が通っている高校とは違い、都市部にある私立高校に通っている。
「制汗剤はつけすぎないようにな」
「分かっているさ」
毎日予備校にこうやって来ている僕のことが気になったらしく、声を掛けてきてからこんな風だ。その時からコイツとは仲が良い。と言っても、同じ講義を受けるときに横に座るとか、一緒に昼食を食べるくらいの仲だ。所詮予備校に居るときだけの友人みたいなものだ。そう、僕はコイツの名前すら知らないのだ。
アイツに制汗剤のことを言われた後、背中の汗を拭いて少しだけ制汗剤を塗った。そして、足早に講義が開かれる部屋に向かった。
講義が開かれている部屋も、ロビーとは変わらずに冷房が効いている。
噂によると、受講生が暑さでダウンしないように、という考慮らしい。だが、冷房を効かせ過ぎるのも返って体調を崩すだろう。だが、不思議なことにこの予備校ではそういった症状で体調不良を訴える受講生は誰もいない。きっと、冷房の効き過ぎで体調を崩すのは、元から体調が良くなかったからだろう。僕はそう思う。
講義の長さは五○分だ。普通の高校の授業とそう大して変わらない。
僕としても、この長さは有り難かった。だが、他の予備校では大学進学時のことを考慮して、九○分の講義を開いていることもあるらしい。そんな集中力が持続する人間は、そういないだろう。現に、その予備校に通っている人によれば、講義開始約四五分くらい経つと、講師がストレッチすることを促すらしい。
皆、それに従って身体を伸ばしたり、姿勢を崩したりするそうだ。つまり、少ない時間ではあるが休憩を挟んでいるということだ。そういうことなら九○分講義を行う意味もないような気もする。だが、そこには予備校の運営方針なのだろう。一受講生である以前に、部外者である僕が口出し出来る訳でもない。
講義のニ限目を受けた後、講義室で伸びをしながらあることを思い出す。
昨日から予備校の行き来で見かける、河原の少女のことだ。昨日今日は気付いただけだったが、その少女のことが気になって仕方がない。
どうして朝も夜もあそこで川を見ているのか。それが気になる。
そんなことを考える僕に、アイツが話しかけてくる。
「どうした? 前の席に座っていた女の子のことでも気になるのか?」
女の子の話をしてくるのは歳相応なのだろうが、今の僕はそんなことを考えてなどいない。女の子のことを考えていたことに間違いはないのだが。というよりも、前に座っていた女の子がどうなんて見ている暇も無かった。講義に集中していたからだ。
「見ている暇なんて無かったさ」
「そうか? 俺は見ていられたけどな」
冗談なのだろう。そんな風に笑って言うコイツに、僕はあの少女のことを言おうか迷う。言ったところで、今みたいに茶化されるのが関の山だ。そうに決っている。
僕は少し考えた後、コイツに言うのをやめることにした。
「何でもない。飯食いに行こうか」
「そうだな。腹減ったー」
「僕もだよ」
そんな風に話すが、僕はコイツの名前を知らない。ただ予備校で仲が良いというだけだ。
今日も陽が落ち、星を仰ぎ見ながら僕は自転車を走らせる。
昼とは違い、夜は割りと涼しい。昨日は自転車で走っていて少し汗ばむ程度だったが、今日はそんな服に張り付くような気持ち悪い気分に悩まされることもない。
今日の夕食は、母さんも父さんも家に居ないので、独りで夕食を食べるのだ。だから今日は予備校に持っていくテキストなどを入れているリュックサックの他に、コンビニ弁当が入っているビニル袋を籠に入れていた。
走っているとガサガサとビニル袋が音を立てる。そんな音や、虫の鳴く声を聞きながら今日も河原に差し掛かった。
ふと、目を向けてみると、やはりあの少女は同じ場所で川を見ていた。だが、いつもと姿勢が違っていた。しゃがんで、足を抱えた状態で座っているのだ。
そんな少女を見るために、僕は自転車の速度を落としてゆっくりと走る。幸いにも河原沿いの道はまっすぐなので、ハンドルを揺らさなければ体勢を崩す心配はない。
僕は十分に減速した後、目線を川に向けた。
やはり、川を見つめていた。この辺りの川は上流なので、かなり水が透き通っている。水底までも日中はハッキリ見えるくらいだ。そんな川を、ただ黙って見つめている少女に、僕は変な不信感を抱いた。
なんというか、そういう風に感じてしまったのだ。
そんな少女のことが気になるが、僕は目を外して前を見る。もう河原から出て行く道に差し掛かっていたからだ。
河原から出て、田んぼに囲まれた道を往く。街灯があまりない道なので、僕が乗っている自転車のヘッドライトが頼りだ。別に数百メートル置きに通る民家の家の明かりをあてにしてもいい。だけど、この時間帯にもなるとそうそう電気は付いていないのだ。
結局、僕が走らせている自転車のヘッドライトが頼りになるのだ。そんなライトの照らす先を見つつ、あることを考える。
河原に居た少女のことが気になって仕方がない。
なんというか、理由は特にある訳でもないが、ただただ気になるのだ。僕自身、理由も分からない。
家に着いた僕は、テキストの入ったリュックサックを自分の部屋に置き、リビングでコンビニ弁当を温めて食べる。
少し固めになったご飯を箸でつまみながら、テレビを見ていた。時間帯的には、面白い番組はまぁまぁやっている。だけど今日は、僕の観るようなテレビ番組はやっていなかった。どうやら、前の枠の番組が生放送だったみたいで、かなり延長してしまったみたいだ。
テレビを観ながら食べ始めたコンビニ弁当も食べ終わり、ゴミも纏めたところでまた、あの少女のことが気になり始めた。
あの子はどうしていつもあそこにいるのだろうか、と。そんなことを考えてしまう。だが、僕が今から河原に言って訪ねても、いい迷惑なのかもしれない。突然、知らない人から声を掛けられて、どこから来たんですかなんて訊かれたら怖いだろう。
僕はお風呂に入ると、そのまま自分の部屋に戻って勉強を始めた。
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