第30話


押し返す腕に力を込めながら、そういえばこいつは付き合ってる時も不必要に強い力で俺を組み敷いて来たなと、どうでもいいことを思い出した。


俺の都合なんておかまいなしに自分がヤリたい時に急に襲ってきて、前戯もそこそこに突っ込まれる。裂けるのが嫌だった俺は、あいつが早く帰宅する時はなるべく自分で慣らしていたっけ。


改めて考えてみても、俺は完璧にただの性欲処理の道具だった。3年も気付かなかった俺が間抜けなんだろう。

むしろそれだけ長く俺に付き合ってたって事は、意外と俺の体を気に入ってくれてたってことかな、なんて都合の良いように考えた。


「てめえがなんで俺を拒むんだ」とありありと瞳で語りながら迫ってくる莉音を見て、「変わってないなあ」と少し懐かしくなった。

互いに睨み合っている緊迫した状態なのに、俺の心には少し余裕があるらしい。この状況も別に大した事ではないような気さえしてきた。


かといって腕の力を緩めるでもなく拒み続ける俺に痺れを切らしたのか、今まで俺の頭を鷲掴んでいた手が俺の腕を強引に引き剥がそうとした。


その時、またしても俺の背後から声が掛かった。


今度はあの空気の読めない友人の声ではない。



それは、俺の大好きな。



「ひいちゃん。」



「!」


「……あァ?」



俺の手を引き剥がし、口が自由になった莉音が俺の背後に立っているだろう立花さんにガンをつける。莉音にがっしりと腕を掴まれている俺は、なんとか首だけで振り向き、愛しい立花さんを視界に入れる。


「立花さん!!」


「ねえひいちゃん、何してるの?」


「…え、」


いつも花が咲くような可愛らしい笑顔で俺を甘やかしてくれる筈の立花さんが、見た事がない冷たい目をして立っていた。

いつもはだらしなく下がっている目尻が、真顔だと少しつり目がちだという事にたった今気付いた。


「た、たちばなさ…?」


「ひいちゃん、それ、誰?」


「てめえこそ誰だよ」


「ねえ、誰?」


「オイ、無視すんじゃねえよ!」


威嚇するような莉音の声も無視で、ただひたすらに俺だけを見続ける立花さん。彼の瞳が、俺を、俺だけを写す。


彼は明らかに怒っていた。そうだ、こんな風に彼以外の男と密着しているこの状況を見て、浮気だと思わない方が可笑しいだろう。


「こいつ、は、」


慎重に言葉を選ばなければいけないということは、本能的に察した。無意識のうちに息を詰めていたようで、息苦しくなって深呼吸をする。


莉音を説明する上手い言葉は何も浮かばなかったが、取り敢えず何か喋ろうと口を開いた瞬間、目の前のクソ野郎が唐突に怒り出した。まああれだけ無視されれば怒り出して当然とも言えるが。


「てめぇ、ぶち殺されてえのか!?つーかさっきからヒイラギを気色悪ィ名前で呼びやがって、鳥肌立つからやめろ!」


「莉音!ちょっ黙れ!」


「はあ!?こいつが先に喧嘩売ってきたん、」


「リオンって、君の名前?」


「…あ?」


そこで初めて立花さんが莉音に喋りかけた。あれだけ莉音の存在を無視していたのに、名前なんかに反応したから不必要に身構えてしまう。


「だったらなんだよ」


不審そうな顔をしながらそう言った莉音を静かに見つめた立花さんは、にっこりと今日初めての笑顔を見せた。

笑顔と言っても、ただ目を細めて口角を少し上げただけの、偽物の笑顔だ。



「ひいちゃん、リオン君のこと、名前で呼んでるんだね?」


「え」


「俺は何回名前で呼んでって言っても"立花さん"なのにね」


そう言って再びニコリと笑った立花さんに、ポカンとなってしまった。


立花さんが冷たい目をしていたのは、見知らぬヤンキーと密着して何やら揉めていた俺を見てとうとう愛想を尽かしたからだと思った。

あんなにも怒った立花さんは見たことがなかったから、何を言っても捨てられてしまう気がしてた。


だけど、何てことはなかった。


「…立花さん、拗ねてるの?」


俺が恐る恐るそう口に出せば、彼はパッと笑顔を崩し、むっとした表情を作った。


「何言ってるの、俺は怒ってるんだよ」


「なんで?」


「なんでって、ひいちゃんがそんなのと浮気したから…!」


「浮気なんてしてないよ」


俺が出来るだけ優しい声でそう言えば、立花さんはぐっと押し黙った。そのまま俯いてしまって、表情がよく見えない。

しばらくそうして俯いていた立花さんだったが、痛いほど握りしめた拳を震わせ、ぽつりと言葉を吐き出した。



「じゃあ、そんなやつ振り切って、今すぐ俺のとこに来てよ…」


「っ…!!」


このまま泣いてしまいそうな立花さんを、言われずとも今すぐに抱きしめてあげたい。


俺の腕を未だに離さない莉音を、静かに睨みつける。


「莉音、離せよ」


「…お前、もしかして、あいつと付き合ってんの?」


莉音は俺の方など見もせずに、立花さんをぼんやりと眺めている。

俺も再び立花さんに目を向け、震えている彼を視界に捉える。


ああ、なんて愛しいんだろう。



「…うん、付き合ってるよ。」


ぼんやりとした目のまま莉音が俺の方を見たので、ここぞとばかりに今の俺の思いをぶつける。


「俺は、立花さんが好きだ。莉音と付き合ってた時には感じられなかった幸せってやつを、初めて感じさせてくれた人なんだ。


立花さんが可愛い。立花さんを今すぐに抱きしめてあげたい。目一杯、甘やかしてほしい」


ハッと立花さんが顔を上げるのが視界の端に入ったので、彼の方を向き、笑いかける。



「優さん、何回も言うけど、大好きだよ。世界でいちばん、好きだ」


「…っひ、ひいちゃあああん…!!!おれもっ、俺も大大大だいすきだよおおっ、あいしてるよおおおお!!」



ついに泣きながら俺に走り寄り、自ら莉音の腕をべりりと剥がし取った立花さん…、優さんに何時ものようにぎゅぎゅーっと抱きしめられ、やっと安心する事ができた。



「…あ、そうだ。そこのクソ野郎、お前だろひいちゃんの元彼って。今更になってひいちゃんが惜しくなったの?自分から捨てたくせに」


「…」


立花さんに無理やり引き剥がされた莉音は、何故か無言で俺と立花さんを先程から変わらないぼんやりとした目で見ていた。


「ひいちゃんの気持ちも考えずに身勝手に傷付けたのに、まだひいちゃんは自分の物だって思ってるみたいだから教えてあげる。

ひいちゃんはもう君の物じゃない。ひいちゃんの体も心も、ぜーんぶ俺の物だよ」


過去最高のドヤ顔で莉音に恥ずかしい事を宣言する優さんに、耐えきれなくなって彼の肩に顔を埋める。

俺も大概だけど、本当にこの人は恥ずかしいことをポンポン口に出しやがる。


「ひいちゃんが君に関わる事は、今後一切ない。君と彼氏の邪魔なんて、頼まれてもしないから安心して?


だから君も、俺とひいちゃんの邪魔はしないでね。したら、ただじゃおかないよ?」



あ、俺が莉音に言ってやろうと思ってた台詞、ナチュラルに取られた…。

嬉しいやら悔しいやらで複雑な感情を持て余しているうちに、優さんに手を引かれその場を後にした。



「ふふ、今回はひいちゃんの告白ばーっちり録音できたし"優さん"って呼んで貰えたしクソ野郎に言いたかったことも言えたし、超満足!!


ひいちゃん、これからも末永く俺に甘やかされてね!」


「…、録音…?」


「あ、やば」



すたこらと猛スピードで逃げる優さんを全力で追いかけながら、それすら幸せすぎて、ちょっと泣けた。






「…は、何だって?柊がもう、俺の物じゃない?


…はは。そんなの、許すわけねえじゃん…」



そんな俺らを、仄暗い目をした莉音がただただじっと、いつまでも見つめていた。





end.

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