第29話


ピキリと固まった俺に、背後から「おい、ヒイラギ?」とまた声が掛かる。咄嗟に口元に人差し指を当て「黙れ!」とジェスチャーをするが、友人は首を傾げるのみだった。


「さっき駐車場でお前の事探してる美形がいたぜ?携帯繋がんないっつって」


「あ、立花さ…」


そうだ、全く携帯を気にしてなかった。


「早く行ってやれよー」と言いながらその場を去る友人に礼を言い駐車場に向かおうとした矢先に、物凄い勢いで後ろ襟を掴まれ、背後の人物に倒れかかった。



「うぁッ!?」


「…よぉヒイラギ、久しぶりだなあ?元気にしてたかよ…?


お前、髪の色変えたんだな、一瞬お前だって分かんなかったぜ」



耳元でもう一生関わりたくない男の声がして、全身の毛穴から汗が噴き出した。ぞわぞわと寒気がして、怖くて背後を振り向けない。


恐れていた事態が起こってしまった。機嫌の悪い悪魔に見つかった俺は、有る事無い事罵られて雑巾のようにボロボロにされるんだろう。首に回っているあいつの腕が、俺の息を止めに来る可能性だって捨てきれない。


「なんとか言えよ、俺がわざわざお前に逢いに来てやったんだぜ?」


こいつ、俺を探してたのかよ!?じゃあさっきの電話はもしかしなくても俺に掛けてたのか?番号なんてとっくに変えたし、そりゃあ繋がらないわ。


「お前の思い通りになったみてえで癪だけどよ、仕方ねえから来てやったぜ。アパート解約したのもケー番変えたのも俺にここまで来させる為なんだろ?大学だけ教えとくなんて、お前も策士だよな」


「は…?」


こいつ、何を言っているんだ。


「…意味がわかんねえんだけど。俺、別にもうお前と会いたくなんてなかったし…、そもそもあんな風に振られて、心折れないやつなんていねえよ…」


「あァ?3年間も俺に依存して、俺が出てくっつった時も捨てないでくれええ~!つって必死で縋り付いて来たやつが、もう俺の事好きじゃないって?」


「っそれは…!」


羞恥から瞬間的に頭に血が上って、背後にいるあいつを突き飛ばし思いきりギッと睨み付ける。だがあいつは、ニヤニヤと余裕綽々の顔で俺を見下ろしてきた。


こんな至近距離でこいつを睨みつけるなんて、振られてすぐの俺じゃあ絶対に出来なかっただろう。

こいつにズタズタにされた俺を綿で包むみたいに大切にして、ドロドロに甘やかしてくれた立花さんが居てくれたからこそ、俺はこうしてこいつに立ち向かえるんだ。


「なんだよそんな睨みつけて。…あァ、俺がもう新しい男見つけたから嫉妬してんのか?お前は相変わらずモテなさそうだもんな」


「違う。俺はもう、お前に特別な感情は抱いてない。お前が誰と何をしようがもう俺の知った事じゃない」


「強がってもいい事ないぜ?素直に言ったら久しぶりに抱いてやるよ。尻、疼くだろ?」


笑みに更に下品な色を乗せて腰に腕を回してくるのを素早く叩き落す。

俺がこいつを拒絶した事などなかったから相当びっくりしたようで、あいつは目を見開いたまま数秒動きを止めた。


「触んな。お前は彼氏とだけよろしくやっててくれ。わざわざ俺の為に来てくれたみてえだけど、必要ないから。

だから、もう帰れ」


「…、あァ…?」


過去最高にひっくい声を発したあいつに体が勝手にびくりと震えるが、こんなものは条件反射だ。俺はこいつには絶対に屈しない。キッパリと俺の今の気持ちを伝えて、完全に決別するんだ。



「お前、俺と過ごした3年間で何も残るものがなかったって言ったよな。でも俺はそうじゃなかった。ずっと一緒に過ごしたあのアパートも、お前の思い出が詰まった携帯も、何もなかったみたいに使い続ける事なんて出来なかった」


「…ヒイラギ」


「このままずっとお前を思い続けるのなんて耐えられないって思ったから、バーに行ったり合コン参加したり色々した。…まあ結果は惨敗だったけどさ」


「…は、やっぱりな。お前みたいな地味な奴、だれも相手にするわけねーだろ…」


「うん、まじで誰も相手にしてくんなくてさ。このままお前の事忘れられずに、俺一人で生きてくのかって思った」


話しながらあの時の事を思い出して泣きそうになる。誤魔化すようにあいつに力なく笑って見せると、急に感極まったように「っ、ヒイラギ…!」と俺の名を叫んだ。そして更に、俺の顔を両手で掴んで自分の方へ引き寄せてきた。


「えっ、え!?」


キスされる!と思った俺は咄嗟にあいつの口を手で塞ぎ、腕をつっかえ棒のようにして距離を作ろうと試みる。が、力が強すぎて中々思うようにいかない。

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