第46話


「それで、どうした?」

 鈴掛から話があるってのは珍しいな、と、家庭準備室の前で寺坂先生が問う。

 笑いながらのその言葉に、薄々気付いてると思うんですけど、と答えた。

「六原、もうここ居ないから。途中から抜けて帰りました」

「……早退か? 赤井先生には?」

「言ってないっす。俺たちを使った、完全なるサボり」

 対する寺坂先生の反応は、中のクラスメイトと同じようなものだった。

「大人しそうなふりして、なんて悪ガキなんだ、六原め」

 言いながら顔をしかめてはみせるものの、愉快さを感じていることは全く隠し切れていない。というより、隠すつもりもないようだ。

「それで、先生。俺にとってはこっちが本題」

「こっち?」

「あいつが途中で帰ったってこと、母親にはチクんないでくれませんか。先生だって正直、あれは過保護だって思ってんでしょ」

 今度は、反応が返るまでしばらく間があった。

 はー……、と、寺坂先生は長い息を吐く。

「鈴掛、お前、どこまで知ってる?」

「あいつが二回事故にあってて、その時の諸々が元で母親が心配してるってこと。不登校が長引いたのは、その心配のせいってこと。あと、先生とあいつの母親が、時々あいつについての連絡を取り合ってるってこと。そんくらい」

「……俺の認識してる事情と大体同じだな」

 頷いて、一人称を変化させた寺坂先生が続ける。

「まぁ、確かにな。あいつの親御さん――六原さんに対して過保護じゃないかと思うところも、俺も無いではない、本音で言ってしまうと。だけど、向こうさんが心配してるなら、安心してもらえるようにしないといけないだろ、担任として」

 困った顔と言い聞かせるような言葉に苛立ちが浮かび、

「なんだそれ。これでどうかお願いしますって、袖の下でも貰ってんですか?」

 と、俺は思わず尖った声で言う。

 一瞬にして表情を変え、鈴掛、と寺坂先生は言った。

「そんなことは絶対に無い、これまでもこれからもだ」

 断言するその顔は怒ってはいない。

 俺の発言に、どこまでも真剣に答えていた。

「……すいませんでした」

 さすがに反省し、俺は軽くだが頭を下げる。

 顔を上げると、気にするな、と寺坂先生は笑っていた。

「六原と親しい鈴掛からは、どうしてもあいつが束縛されてるように見えるのも、分かる。俺ですら、そう見えてしまう時だってあるから。……でもな、俺は、自分の子供を持つ父親でもあるんだ。保護者側からの思いもある」

 寺坂先生の机の上にある写真立てを、俺は見たことがある。

 どこか県外の動物園の看板前で大きくピースを突き出している少年は、寺坂先生の大事な一人息子だと、緩んだ顔の先生本人から聞いた。

 真っ直ぐと俺を見下ろして、一児の父である先生は言う。

「子供のお前らからすると、鬱陶しいかもしれない。そこまで構うんじゃねぇよって思うだろう。でも、何かあってからじゃ遅いんだ。俺や六原さんの、そういう心配も分かって欲しい。俺も、六原さんから全部の事情を聞いている訳じゃない。だから、六原さんがどうしてそこまで心配してしまうのかの、本当のところは分かってないんだと思う。そんな俺が、六原さんの言葉を適当に流して、もし何か取り返しのつかないことになってしまったら――なんでもっと真剣に話を聞かなかったんだって、後悔するだけじゃ足りなくなる」

 もちろん世間様も許してくれないだろうな、と、寺坂先生は腕組みをした。

「だからな、鈴掛。俺は担任として、生徒を見守る身として、自分の出来ることなら無理の無い範囲でやっておきたいんだ」

 言い切った担任に、俺は何も言えず口を閉じる。

 まったく反論が無い訳じゃないが、確かに、と思ってしまったのだ。

 俺も、すべての事情を聞いている訳じゃない。事故の後、あいつがどういう混乱状態を起こしていたのかも知らない。元々口数が多いとは言えない六原が淡々と語ったのは、ざっくりとしたあらすじだけだ。

 平行線続けるしかないんだよね、という、あいつの言葉を思い出した。

「でも、まぁ、今回は良いだろう。黙っとく」

「……はぁ?」

 けろりと落とされた言葉に、耳を疑う。

 思わず出た声と共に寺坂先生を見上げれば、俺と六原の担任は、さっきまでの真剣さなど微塵も無い、悪ガキのような笑顔を浮かべていた。

「お前、眉間のシワ凄いことになってるぞ」

「んなのどうでもいいわ。で、どういう心変わりなんすか」

「いやな、これがもし早退しなくちゃいけないほど気分悪くて、とかだったら俺も連絡はしてたけど。お前らがあれだけノリノリで六原に協力しようとしてたところを見ると、別にそういう感じじゃなかったんだろ?」

 少し笑いながら、俺はそれに答えて頷く。

 そう、この計画を話した相手は皆、開口一番に確認した。

 ――で、六原は元気なんだよな、と。

 きっと、具合の悪さからの途中抜けを隠そうとしていただけなら、そんなクラスメイトたちからは、普通に赤井先生に言った方がいいよ、と返されていたのだろう。サボりだからこそ、あいつらはその隠ぺい作戦に乗って来た。

 楽しいことやってんじゃん、参加してやろうじゃん。そんな感じで。

「だったら良い。赤井先生にも言わずにおこう。その代わり上手いこと隠しきれよ」

 バレたら一番怒られるの担任の俺だからな、と、寺坂先生は笑った。

 部活もあるしそろそろ戻ると言って、寺坂先生はその場を後にした。

 俺が家庭科室の扉を開くのと同時に、中に居た全員の目がこっちに向けられる。

「どうだった鈴掛、六原のことバ」

「あぁ俺からバラした」

 日比野の発言を遮っての俺の言葉に、はぁぁぁ? という上がり調子の声が一斉に響く。なにやってんだよ鈴掛、と周囲からかけられる非難を、うるせぇな、と笑う。

 告げ口を正しいこととする優良生徒、一人くらい居ねぇのか。ほんとにこのクラスは六原の味方ばっかかよ。……知ってたわ、そんなの。

「けど、他の先生にはバラさないように約束取り付けたから、安心しろ」

 うちの担任の言葉を信じられるならな、と付け加えると、俺を批判していたやつらの掌がくるりと返される。

「まじかよ鈴掛!」「よくやった鈴掛!」「どんな闇取引した鈴掛!」

 さっきよりも大きなその声に、だからうるせぇっつの、と俺は言った。

「作業全然進んでねぇじゃねぇか。お前ら、俺が一人で頑張ってる間なにしてたんだよ。さっさと取っ掛かれ、時間内に終わんねぇぞ」

「他人事みたいけど、鈴掛の担当分は、ちゃあんとそのまま残してあるからなー?」

 笑いながら作業へ戻る泉の言葉に、俺は顔を歪めてみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る