第45話
はじめに小学校の家庭科担当の女教員が来て、器具の場所や扱う際の注意など簡単な説明をした。
若い彼女は黒板の前に立ち、こんなとこかな、と腰に手を当てる。
「いろいろ言ったけど、あなたたちはもうお兄さんだし、そんなに心配はしてません。私も時々は見に来るけど、もし何かあったら職員室に居るから、いつでも呼んでください。なにか、あなたたちからの質問は?」
質問の代わりに、大丈夫でーすお任せくださーい、とふざけた声が上がった。
「うん、頼もしいね。じゃ、よろしくね。おいしいご飯のために頑張って」
そう言って、家庭科教員は部屋を出ていった。
途端にガヤガヤと煩くなりつつ、俺たちは作業に取り掛かる。
「羨ましー。先生あれ、何歳くらいだろ。浪先生と同じくらい?」
数の確認のため食器棚から皿を取り出しながら、日比野が言う。
「だよなぁ、マジ羨ましい。俺が通ってた小学校の家庭科担当なんか、すんげぇババアだったぜ? しわっくちゃの、しなびた沢庵かっつーくらいの。実技の時の説明もロクにしてくれなくて、しかも、声もめっちゃ聞き取りづれぇの」
抱える汁椀の数を増やしつつの有川の言葉に、同校だという中西が笑った。
「声についてはハゲタカ先生もどっこいじゃね。あのバァさんは、確かに聞き取りづらかったけど、調理実習で毎回オマケ作ってくれたから俺好きだったよ」
「あぁ、パンケーキとかなー。つかあれ、めっちゃふわふわだったよな。菓子とかはうちの姉ちゃんより上手かったし……今思えば、えらくハイカラなババアだった」
自分のとこではどうだった、中学ではこんな生徒や先生が居た。
別校と違って驚いたこと、腹が立ったこと、嬉しかったこと。
自分が死ぬ前の走馬灯でも流れるだろうなと思うエピソード。
高校で知り合うまでに培ってきた互いの思い出を話し、共有し、そのいちいちに盛り上がりながら、下準備がされていく。俺も途中話を振られて、この間思い出したところの昆虫標本の話をすれば、今度持って来いよと強請られた。
「小学校の時のだろ? 凄くねそれ、まだ綺麗に残ってんの?」
「それなりにな。けど持っては来ねぇぞ、引っ張り出すの面倒臭ぇもん」
あの日ヒロと沢ヤンが帰った後、俺はそれをまた押し入れにしまったのだ。まぁいいか、と思って。まぁいいか、別にわざわざ捨てなくて、と。
野菜の皮剥きをする手首が痛くなってきた頃、やってるかぁ、と扉が開いた。
「寺坂先生! これさぁ、俺らバイト代貰っていいと思うんだけど!」
にやにやとしながら入って来た担任に、泉が訴える。
「しっ! こら泉、そういうことは言うんじゃない」
「先生、学生時代に厨房入ってたことあるって言ってたよな。こういうこと、下っ端でやんなかったわけ?」
「うーん、無回答で。正直に答えると先生が困ることになる」
苦笑いをする寺坂先生に、泉からだけじゃない集中攻撃が始まった。
それを笑いながら宥めるようにして、そういえば、と寺坂先生は周りを見回した。
「六原はどこだ? 外で、甲斐田と交代したって聞いたけど」
きたな、と俺は思った。
この交流キャンプ中の三日間、現場に立ち合う高校側の大人は三人だ。責任者である赤井先生と、若い英語教師の浪先生と、事務員の川居さん。ただし各担当日には必ず一度、そのクラスの担任が様子を見に来ることになっている。
午前のうちに来てくれてりゃ、面倒が無かったんだけどな。
よく六原の母親から電話を受けているという寺坂先生が、六原のことを気に掛けないはずがなかった。
「便所でぇーす」
腕まくりをしている手を高く上げ、山本が言う。
そうか便所か、と頷く寺坂先生に、有川がテンション高く話しかける。
「さっき俺も便所行ってきたんすけどー、やっぱ、いつも学校で使ってる便器と違うと感覚ってズレるもんっすね! めっちゃ目標定めにくかったっすよ! もうブレっブレ!」
「バカ、きったねぇ話すんなよ!」
「飯つくってんだぞボケ!」
「範囲外に零してねぇだろうなアホ!」
周囲からの笑い混じりの罵倒に、寺坂先生も苦笑していた。
それから寺坂先生は、六つある調理台を順に見回っていった。包丁さばきの上手い生徒に感心しつつ技術を褒め、手つきも態度も雑な生徒にはほぼ言葉上だけの注意をする。
そうした最後に、次のジャガイモを手に取ったところの俺の隣へと立った。
「懐かしいなぁ。先生は厨房でほとんどこればっかりしてたぞ」
「芽ぇ取んの、略していいっすか」
「ダメだ、ちゃんとしっかり取れ。……六原は鈴掛と同じ班だったよな? 先生が来てから結構経ったと思うけど」
あいつ、さすがに遅くないか?
何気ない風にそう尋ねてきた寺坂先生に、俺はジャガイモを流しに置き、手を洗う。
「先生、ちょっと話があるんで、廊下出ましょ」
俺はポケットにハンカチを持っているような良い子ではないので、洗い終えた手だって、その場でぱっぱと水を切るだけだ。
「わかった、行こうか」
急な誘いの理由を問いただすこともなく、寺坂先生は頷いた。
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