第34話


【田中弘人】


 今学期最終日。

 列車の振動を感じながら、俺は明良の苛立たしげな顔を前にしている。そのパーツである口が、終業式なんて、と吐き捨てるように言った。

「昨日の放課後にやっちまえば良かったんだ、これだけのことに通学させやがって」

 一時間も無い終業式と、クラスでの話が終わった時刻は中途半端で。

 一番近い列車には走っても間に合いそうになく、次の列車――今乗っているこの列車までは、なかなかの時間待たされた。

 道中で買ったパンを駅舎で食べていた時にも聞いた文句に、でもさ、と俺は言う。

「それで昨日の帰りが遅くなったら、どっちにしろ待ち時間はあったって」

「その替わり、今日は寝坊が出来ただろ」

 早朝列車に間に合わせるために起きることなくな、と言った明良に、

「それはっ、確かにっ、言えるねぇ! よいしょおっ!」

 と、大きく頷いてあいつが言う。

 人に見えないのを良いことに、今のあいつは俺の横あたりの吊革に両手で掴まって、懸垂のようなものに挑んでいた。ただし連続はさすがに辛いのか、駅と駅の一区間ごとに挑戦と休憩を繰り返している。もちろん、掛け声も虚しく一度も成功していない。

 危険ですのでおやめくださいの行為だろ、マナーがなってないやつめ。

 そう思いをぶつけても、誰にも迷惑かかってないもん、とどこ吹く風だ。

「ヒロ、キャンプの打ち合わせ、いつって言った?」

「再来週の火曜。まぁ、頑張ってくるよ」

 ようやく気が治まってきた様子の明良の質問に返しながら、確かに車内ガラガラだけど、いや俺の気が散るだろ、とあいつに反論する。

 あいつはそれを聞いて、パッと吊革から手を離した。

「今のでんちゅーならたぶん大丈夫かなと思って」

 よく分からない太鼓判を押されたことに疑問を持ちつつ、俺は通路を挟んだ反対の窓の外を見ていた六原君に話しかける。

「六原君は、近々何か予定ある? 明日は何すんの?」

 ん、と視線を俺に移して、

「病院」

「……まだ通ってんだ」

 返ってきた答えに思わずトーンが下がる。俺ちょっと六原君のお母さん怖ーい、と通路に立つあいつが大げさに身を震わせた。

「お前さぁ、そろそろ反抗しろよ」

 明良も呆れたように言うけど、六原君にその気は無いようだ。

「なんと穏やかじゃないことを」

「もういい加減にうるせぇわって、自分のことは自分で分かるって言ってやれ」

 無視して続ける明良に、そーだそーだとあいつも言い、俺も頷いて同意する。

 それでも、少し困ったような表情を浮かべた六原君は、

「俺、自分で自分が分かってるって自信無いし」

 言いきれる鈴掛さんが羨ましい、と返した。

 さっきまで明良に同意してたのに、真面目にそう言われるのを聞くと、俺までどきっとしてしまう。自分で自分が分かっているかって、そんなの、俺も言い切れはしない。

 なんとなく心がザワつく俺をよそに、そもそも、と六原君は続けた。

「俺が自分のこと分かってたとしても、言って、それ、通るかな」

 反抗ってものじゃないけど軽くは意見したことある、と、六原君は言う。

「でも、身体とか頭……というか、感覚のことは、他人に実証出来ない。自分は大丈夫だって確証があっても、向こうは向こうで大丈夫じゃないって確信してるとなると、平行線続けるしかないんだよね。母さんの心配を跳ね飛ばして説得させられるような方法は、俺には今のとこ思いつかない」

 仕方ないことです、と区切る、長めの前髪のかかった顔。

 六原君の顔は、諦めきったというより、受け入れきった顔だ。

「俺の感じてるものや考えてることは俺の中だけのもの。他人も同じものを持ってるって訳じゃなく、自分のそれを分かってもらえるように伝えるのは難しい。逆も然り」

 静かに言った六原君は、

「『逆も然り』の使い方あってる?」

 と、隣の明良を見た。

「……六原君、今ちょっとキマって格好良かったのに、最後のは勿体無いわ」

「あらー。でもまぁ、そういうことです」

 立ったまま背もたれに肘をついて、そう言われちゃうとねぇ、と俺の隣であいつが肩を下げた。

「バカのくせに、こういう時だけそれっぽいこと話しやがる」

 六原君の確認に答えず、納得はしてないのだろう明良は口をひん曲げた。

 間もなく芳口です、というアナウンスに、えーもうそんなに帰ってたんだ、とあいつが声を上げる。こいつの家は芳口だから、下車駅が六原君と同じなのだ。

 しばらく成績について話し、芳口手前のトンネルを過ぎ、列車の速度がかなり遅くなった頃、鞄を持った六原君が立ちあがった。六原君が通路に出る邪魔にならないよう避けたあいつも、いつものようにその後ろについて降り口へ向かおうとする。

 じゃあまた、と軽く手を上げた六原君に続いて、

「でんちゅー、アッキー、また休み明けにね!」

 と、あいつは笑った。


 休み明け。


 その単語にハッとした。

 そうか。そうだ。こいつと次に会えるのは、休み明けになる。

 なんで今まで気付かなかったんだ、と、俺は焦った。

 いつだったか、あいつは自分のことを召喚獣に例えていたけど、全然違う。クラスメイトであるあいつとは、登下校中と、学校でしか会えない。俺があいつに声をかけることが出来、あいつが姿を表すことが出来るのは、学校生活の中だけなのだ。

 だから次に会えるのは、学校生活が再び始まる始業式になってしまう。

 ――丸々一か月? そんなに長い間会えなくて、話せない?

 もちろん休み中に全然会わないクラスメイトは他にも居る。でも、こいつにはそういうクラスメイトには無い、別な問題が有る。

 そんな長い間会えないでいて、もしもまたなにか忘れたら?

 まだ顔も思い出せてないままなのに、聞かないうちに、例えば声まで忘れたら?

「ちょっと待っ」

 て、と。

 ただ思わず立ち上がってしまった俺は。

「多分だけど芳口とか、ボランティアでは会えるかも」

 首だけで振り返った彼が列車を降りても、まだ突っ立ったままだった。

 

 ぷしゅうと音を立てて扉が閉まり、誰かに腕を強く引っ張られて、俺はようやく腰を下ろすことが出来た。

 あぁいや、誰かにってそんなの、

「恥ずかしいんだけど」

 呆れたような顔と声の、明良しかいない。

「慣れるのが随分早かったなとは思ってたけど、長い別れが悲しくなるほど、そんなにあいつのこと気に入ってたのか?」

「えっ、え?」

 理解の追いつかない俺に、六原のことだよ、と明良は窓を叩く。

 駅舎から出て、道路を歩いていく六原君の姿が見えた。

 こっちを見ることもない、猫背気味の背中が遠ざかるのにつれて、動き出した列車の速度も上がる。芳口駅の短いホームはすぐに切れた。

 目線を窓から明良に戻すと、明良は既に俺を見ていた。

「アドレスは知ってるだろ? そんな焦って引き留めようとしなくても、普通に遊ぶ誘いとかかけりゃいいじゃん」

 マジで恥ずかしいやつ、と視線を逸らした明良に、

「……そっか」

 と、俺は納得する。

 もちろん、明良の言うことに対しての納得ではない。あぁ、そっか、明良や六原君からすればそう見えたのかって、そういう納得だ。

 そう見ると、確かに自分の行いは恥ずかしい。

 ――だけど、違う。

 俺らの大事な友達なんだよ。

 俺が思わず別れを惜しんで、本当に引き留めたかったのは、お前の忘れた友達だ。

 ――違うんだけど……こういうこと、だよな。

 お母さんへの反抗の話で、六原君が言った通りだ。

 あいつを感じ取れるのは俺だけで、そうじゃない他人に分かってもらえるように伝えるというのは、難しい話。

 知り合う前の予想とは真逆に、今ではすっかり仲良くなれた六原君だけど、六原君と夏休みの間に一回も会えないとなったとしても、俺は多分悲しくはならない。何してるんだろうと思い浮かべる時はあるかもしれないけど、寂しくはならない。

 あんなに焦ってしまったのは、その対象があいつだからでしかない。会えなくて悲しいとか、寂しいとか、そういうレベルの話じゃないんだ。

 せっかくここまで形を取り戻せたあいつが、またちょっとずつ消えちゃうかもしれないんだぞ、と……そんなこと、あいつのことなんてまったく覚えていない明良に言っても、伝わらないのは理解している。

 ――六原君が言ってたみたいに、仕方の無いことです、って思うしかないんだな。

「煽り抜きで訊くけど。ヒロ、お前、大丈夫?」

 黙りこくった俺を怪訝に思ってか、明良が真面目な顔をして言った。

「えぇ? なに急に、さっきのこと?」

 思い返して恥ずかしくなってきちゃったわ、と俺が笑っても、その顔は変わらないし、合わせた視線を外そうとしない。座りの悪さから、つい俺の方が逸らしてしまった。

 それを皮切りに、明良がもう一度言う。

「お前、大丈夫?」

「じゃあ逆に訊くけど、明良からは俺がどっか悪そうに見えるの?」

「うるせぇ知るかそんなの」

 うるせぇ知るかそんなの、って。

 あまりに横暴な答えに反応をし損ねていると、明良は真面目な顔から、機嫌が悪そうな顔へと変わった。舌打ちと腕組みのオプション付きだ。

「俺は大丈夫かっつってんだ」

「さっきからおんなじことばっかりで、むしろ明良の方が大丈夫なわけ?」

 明良が何を言いたいんだか分からなくて、俺は困惑する。

 そんな俺の回答は、またしても明良の望んだものではなかったらしい。さっきよりも眼光を、そして口調を強めて、

「俺は、六原と母親みてぇな意見対立がしたい訳じゃねぇんだよ。確認して、さっさと言質をとらせろっつってんだ。じゃなきゃ信じねぇからな」

 と、明良は言った。

「いい加減に気付け。いいか? お前、本当に、大丈夫なんだな?」

 それでようやく分かった。

 こんな言葉遊びみたいな、それこそ面倒臭いルールの上での、正しい回答。

「……明良、分かった。分かったけど、俺がそれ言う前に、明良が俺のどこが気になったのか教えてよ。なんか変なとこあった?」

 真っ直ぐ見つめてそう訊けば、幼馴染の眼光は和らいだ。場つなぎの嘘ではなく、俺が正しい回答に気付いたことはどうにか信じて貰えたらしい。

 腕組みを解いて、明良はふっと短く息を吐く。

「変なとこっつーかな。なんか隠してるだろって気がしばらく前からしてた」

 初っ端からストライク。

 大きな反応をしないように努めつつ、黙って続きを聞く。

「かと思えば、人見知り克服どころか、コミュ力ぐいぐい引き上げだすし、成績も伸ばしてくし。その変化自体は悪いことじゃないけど、まぁ、ちょっと気になったんだよ」

 そんだけ、と言う明良に、心拍数が上がったままの俺は尋ねる。

「えぇと、なに、覚せい剤でもやってんじゃないかって?」

「へぇ。それは考えなかったわ。してんの?」

 な訳ないじゃんと言えば、だろうな、と返された。

「隠しごとは?」

 そこで嘘は吐けなかった。

「……してる」

 誤魔化す言葉を並べたてても、俺の程度じゃその疑いはきっと晴らすことはできない。

 もう言ってしまおうか、そんな気持ちも浮かんでくる。明良に対して隠し事なんて、ここまで続けられたのが、凄い方だ。

 それに、これってもしかして、チャンスでもあるかもしれない。

 俺からあいつのことを聞いて、その瞬間に明良の記憶が目覚めて――なんてご都合的な展開はさすがに望めないだろうけど。それでも、俺の話に興味を持って、あいつのことを少しずつでも思い出していってくれれば、明良もあいつを俺のように感知出来るようになるかもしれない。思い出すのが無理でも、そういう存在が居るって認識と理解をしてくれれば、あいつは昔そうであったように正式な『俺と明良の友達』に戻ることが出来る。芳口駅であったような誤解をされることも無くなる。

 あいつについて分かりあえる仲間が増えれば、俺はとても嬉しい。

 それが明良なら最高の極み……なんだけど、そうなれば同じく、いや俺以上に嬉しいだろうあいつからは、「アッキーにはナイショにしといて」って前に言われてるんだよな。気味の悪いお願いポーズと共に。

「あのなぁ」

 迷う俺に、窓枠に頬杖をついた明良は笑った。

「その内容まで、問い詰めようとはしねぇっつの」

「って、え、訊かないのかよ」

「言いたくないから隠し事だろ。人様が周りには隠したいって思ってることを、わざわざ訊きゃしねぇわ。俺は、めちゃくちゃ優しいからな。――ヒロが、」

 無理してんじゃないならいい。

 素っ気なく言われた言葉に、俺は目を見開いて、

「つーか、俺に迷惑や面倒がかかんねぇなら、どうでもいい」

「……なんでそこで感動ぶち壊す」

「わざとじゃなく本音だからな。考えてみろ、お前が無理な勉強のし過ぎで身体壊して学校休むようになったら」

「大丈夫かなって心配しちゃう?」

「お前に連絡とか届け物するの、どーせ俺の役になるだろ。面倒臭ぇ」

 そのくらいしてくれよ、親友。

 言葉には出さずそう肩を落とす俺に、で、と明良は四度尋ねる。

「どーなんだよ、ヒロ。そういうことになってから、俺は気にかけてたけど本人はそう言ってたんだって俺が責任逃れ出来るように、とっとと答えろ。『お前、大丈夫?』」

 面倒臭がりのふりをして、気遣い屋である幼馴染。

 そんな明良にこれからも隠し事を続けるのは、ちょっと心苦しいところがある。無理矢理訊こうとしてこないのは、有難い半面申し訳ない気もするし、あと、やっぱりチャンスだったかもしれないのにとも思ってしまう。休み明け前まで会えないあいつについて、せめて語り合う相手が欲しかった。

 でも、うん。これは、格好つけて言えばまだ、俺の、俺だけの使命なんだ。

 忘れられてしまった友人と、忘れてしまった友人の橋渡し。仲介者。

 その使命を続けていくには、あいつのこと、俺だけは絶対に忘れないようにしないといけない。

 自分自身にそう誓い、俺はしっかりと、明良に向けて頷いた。

「うん、『大丈夫』だから」

 俺は明良もあいつも大好きだから、そんなの全然無理なんかじゃない。

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