第33話
***
【田中弘人】
休み前の試練といえる学期末考査も終えて、明々後日からはとうとう夏休みに入る。
苦痛のテスト週間を通り過ぎた学生が浮かれてしまうのも仕方ない。とても楽しそうな夏休み中の予定を、俺は今日だけで三人以上のクラスメイトから聞いた。
そんな今日の、今は昼休憩。
俺の夏休みの予定の一つ――子供好きとはいえ正直あまり気が進まない――である交流キャンプについての話をするため、役員の俺はほかのクラスへ向かった。
今朝、このキャンプの高校側責任者である赤井先生から、休み中にある、小学校の先生との打ち合わせ日を決めるように言われた。その打ち合わせは顔合わせも兼ねるため、全クラスの代表役員も出席させたいとのことで、役員全員の都合の良い日の確認が必要なのだと。そう説明しつつ、小学校側から出されている候補日一覧を俺に手渡してきた赤井先生は、生物の担当教員であり、俺のクラスである三組の副担任である。
「じゃ、正式に決まったら先生から言われると思うから」
二組の役員二人共から「いつでもいいよ」と返事を貰い、俺は二組の教室を出る。
俺の相方である佐々木は「これはどうしようもないから、部活とカブったらその日だけ休む」と言っていたし、俺の夏休み予定は大半が白紙で、すべての候補日に用事は何も入ってない。
さて、一組は谷崎君と野中君だったよな。明良が、昼は大概一緒に教室で食べてるって言ってたから、居るとは思うんだけど。
「どーかなー。居るといいねー」
ぼんやり考える俺の隣で、あいつが気の無い声で言う。
俺が慣れてきたせいなのか、こいつの時間制限のようなものも消え、登下校も毎日一緒に出来るようになっていた。時折、その場で俺がこいつの言葉を使うことで、こいつは明良や六原君の返答を得る。その度こいつは本当に嬉しそうに笑い、俺も、こいつのことを考え続けて正解だった、良かったと思う。
明良と六原君を除く第三者が居る時には出てこられないのは、一か月半ほど前から替わらないままだ。だけど、俺もこいつもなんだか、それはいいか、と思っていた。
このままで満足出来てしまっている俺はともかく、お前自身はいつも出られていた方が嬉しいんじゃないのか、と、本心を教えてくれるようにあいつに言ったこともある。だけどあいつは、そろそろ俺怒るからね、と、どう聞いても笑っている声で答えた。
「ほんとに何回言わせるの、俺はいつでも現状で満足してきてたんだってば。大好きなアッキーとでんちゅーと話が出来てさ、こっちが一方的に思ってるだけとはいえ、六原君って新しい友達も出来たんだよ? 今、充分最ッ高に決まってるじゃん!」
一瞬だけ、そいつの顔が見えたような気がした。
その時、輝かんばかりの笑顔って今のなんだろうなと思わせたそいつは、
「はー。なんでかなー……」
さっきから、そんな重苦しい溜息を吐いている。
四限目の授業の最後に返された、現代文のテスト結果に納得がいかなかったらしい。
それでも俺より高かったんだろ、と思えば、これくらいは勝たせてよ、と溜息を吐く。
「でんちゅー、今回めっちゃ良かったじゃん」
まぁな、と、思わず俺は心の中で勝ち誇った声を出す。
こいつと競い合って少しずつでも勉強をしていたおかげか、今回は入学して以降の最高点が取れた教科が多かった。現代文や古典ではわずかに負けたものの、トータル教科平均点でのこいつとの勝負は、俺の勝ちだった。
六月頭にあった実力考査でも少し伸びは見えていたが、この度はもっと良かった。帰りの列車で返されたテストの点を互いに教えあった時、今までの俺の程度を知る明良から「……すげぇな」と言われる程の上がり具合だ。テストの結果が話題となる時の中心は、そんな俺の変化より六原君の赤点スレスレの点数についてになることが多かったけど、それでも明良からの率直な感想は、俺にとってものすごく嬉しかった。
「ま、でんちゅー頑張ってたもんね。……いや俺も頑張ったんだけどね、くそぅ!」
俺が一組に入るのと、現代文担当の影留先生が出ていくのが同時だった。
四限目に授業があった三組だけじゃなく、二組と一組にも、教室帰りの先生からテストが返されたようだ。さっきの二組でも騒いでたもんね、とあいつが言う。
目的の人物はすぐに見つかった。
ちょうど、彼が「なんでやねんッ!」と大きな声を上げたとこだったからだ。何に対しての関西弁、と思いつつ、谷崎君の方へと近づいていく。
谷崎君の手には答案用紙らしきものがあり、谷崎君が立っているのは、六原君の席の正面だった。そして、六原君の席を囲むように立っているのは谷崎君だけじゃなく、その数人の中の一人である明良が、俺に気付いて手招きをする。
「ヒロ、見ろ見ろ、これ」
おかしくてたまらない、という顔で。
その理由が気になって、俺は本来の用事を後回しにして、明良の指差す答案用紙を覗きこむ。
その、現代文の答案用紙を上から下までじっくり眺めて、思わず言った。
「これ誰の」
「六原の」
「……真面目に訊くけど、わざとじゃないよな」
明良とおんなじこと言ってるぞ、と谷崎君が笑った。
「鈴掛さんにも言ったけど、わざとじゃない」
しっかりと俺を見たまま六原君は言った。そして、ちょっと傷ついた、と、全然そうでもなさそうな口調で付け足す。
口ではごめんと謝りつつも、心では、
「つってもなぁ。そう思っても仕方ねぇってこれは」
と、隣で笑う明良に同意する。
いや、だって本当に仕方ない。バツがついている箇所はたった二つなのに、名前の書き忘れで0点とか。……どんだけ抜けてるんだ。
「六原が高得点ってだけで充分なネタなのに、なにもう一段階オチつけてんだよ」
丸が並ぶテストを本人に返しつつ、谷崎君が言う。
「他は散々なのに国語は出来るんだな」
「え、でも、古典はギリ赤点セーフくらいじゃなかったっけ?」
野中君と三谷君の言葉に、ギリだった、と他人事のように六原君は頷く。
「学校休んでた間は本ばかり読んでたから、これはその賜物ですかね」
「そういう問題かなぁー……六原って実は読書家なんだ。読書好きなの?」
「好きというか、家での良い暇潰しが思い浮かばず」
淡々と三谷君との会話を続ける六原君に、
「だったら学校来いよ」
と、呆れたように野中君が言った。
ごもっとも、と返す六原君は、やっぱり他人事のようだ。理由を知っている俺としてはそのやり取りになんとも言えない気持ちになる。
「で、ヒロが持ってんのもテスト? 高得点を見せびらかしに来たか?」
今回調子良かったもんな、と笑う明良に、違うっつーのと言い返す。
打ち合わせ候補日の紙を見せつつ、谷崎君と野中君に用事があって、と事情を話した。
「早めに終わらせたいよな? どこでもいいなら、一番早いので良くね?」
軽い口調で谷崎君がそう言い、そうだな、と野中君も頷く。それを確認して、谷崎君はズボンのポケットから携帯電話を取り出した。
「ついでだけどさ、これ関係でなんかあったら連絡したいし、田中のアドレス教えといてくんね?」
谷崎君の言葉に納得して、同じように今回を機に先日佐々木のアドレスが増えたばかりの携帯を取り出す。淳に転送していい? という確認にも頷いた。
「二組の役員はアダッチと園だったよな。淳は園のアドレス知ってるだろ?」
あぁ、と頷いた野中君に、じゃ決まり、と谷崎君は笑った。
「顔合わせは仕方ないけど、後々にも詰めること出てきたら、俺らが赤井先生んとこ出て聞いとくわ。どうせ部活でほぼ学校出てるしな。で、二組と三組に情報回す。どーしてもまた役員全員要るって時があれば呼ぶことになると思うけど、それ以外は田中とかわざわざ何回も出てくるの面倒だろ? 家、明良と同じとこだよな」
携帯を戻しながら言う谷崎君に、おぉ、と数人の声が重なった。
俺はその一人では無かったけど、正直驚いてはいた。ムードメーカーって印象が強かったけど、谷崎君ってこんなに頼れる人だったんだ。
「なに、『おぉ』って」
「いやー、谷崎でも気遣いがちゃんと出来るんだなーって」
「俺らって言ってるあたり、俺が出るのは勝手に当然なことにされてるけどな」
怪訝そうな谷崎君に、びっくりしちゃった、と三谷君が言う。発言と共に眉間にしわを寄せつつも、口元が笑っている野中君にも異論は無いらしい。
「俺はもともとデキる子だっつーの。……あ、そーだ。じゃあ気遣いのお返しってわけでもないけど、田中にひとつお願いさせてよ」
「む、難しいことは無理だけど、なに?」
了承しつつも眉を寄せる俺と、そこで見返り求めんのは格好悪いわと苦言を出す明良に、いやいや全然難しいことじゃないって、と、慌てて谷崎君は手を振った。
「っていうか、今朝お前らにも訊いたやつだし」
「……あぁ、あれか」
何かに思い至ったらしい明良は、納得したように頷く。野中君や三谷君も同じような顔をしていたので、無理難題ではないのだろうと俺は安心した。
谷崎君は俺を見て、どんなのでもいいから、と前置きをする。
「田中の、おすすめの映画教えて」
「おすすめ? いや俺そんな映画詳しくないし……飯嶋に訊いとこうか?」
映画と言えば飯嶋だろうという俺の申し出に、飯嶋はダメ、と谷崎君は首を振る。
「というか、あいつもメンバーだから。来週、飯嶋んちでぶっ通し映画鑑賞会しようって言ってんの。そこの持ち寄り用にレンタルするやつ探してんだけど、どうせなら一人じゃ見ないような変なやつとか、飯嶋の知らなそうなマイナーなやつがいいじゃん? でも、なっかなか良さそうな弾が揃わなくてさぁ」
「俺が観たことあるやつで飯嶋が知らない映画なんてあんのかな」
映画館には期待できない土地柄の上、DVDレンタルを利用する習慣の無い俺は、地上波放送されたものくらいしか見ていない。そう考えると、この質問はやっぱりそこそこな難題だった。
それなんだよなー、と、出題者も頷く。
「あいつが候補に挙げてた映画のタイトル、俺観たことない、つーか知らねぇのばっかだったもん」
腕組みをする谷崎君に、例えばどんなの、と三谷君が食いつく。
「えーっとな、たしか、『かけるかける』とか『蓋の行方』……いや『蓋の行く末』だったかも。そんなのとか、あと、『Delete《デリート》』」
「「「デリート?」」」
また、数人の声が重なった。今度は俺もそのうちの一人。
「これはタイトル合ってるはず。聞いた時、電脳バトル系の映画かなーって思った覚えがあるし。なに、お前ら知ってんの?」
お前ら、と谷崎君が言ったのは、明良と俺と、しばらく黙っていた六原君だ。
「俺は飯嶋から借りたことある」
「俺はちょっと前、飯嶋がその映画の小説版探してんの手伝ったから」
頷く明良と、結局図書館には無かったけどと付け加えた俺に続いて、
「本持ってる」
映画は観たこと無い、と六原君は言った。
「なるほど読書家。飯嶋まだ探してんなら貸してやれば?」
そう言う野中君に、そうですねと返したきり、六原君はまた黙り込んだ。
それ以上話したくないからというわけではなく、今のように思わず反応してしまったり、自分に話を振られたりしない限り、六原君は聞き役に徹していることが多いのだ。
「じゃ、実際観たのは明良だけか。どんなやつだった?」
谷崎君に尋ねられ、明良はしばらく何かを考えていた。そしてその末に、
「これから観るかもしんねぇなら内容は聞かない方がいいんじゃねぇの」
つーかいい加減腹減ったんだけど、と言った。
「聞きたいなら飯食いながら話してもいいけど。アレを飯時に聞いても大丈夫かなー、食欲落ちて喰えなくなるんじゃないかなー」
わざと間延びした声を出す明良に、うえぇと谷崎君は舌を出す。
「グロ系かよぉ……飯嶋、俺が苦手っての知ってるくせにそれ選ぶか」
そんな映画を観たというのに楽しそうな笑顔を浮かべる明良とは対照的に、谷崎君はものすごく嫌そうな顔をしている。
俺も、谷崎君側だ。ホラーは平気だけど、グロテスクなのは無理。俺がミミズが嫌いな理由だって、管っぽい内臓と似たものを感じるからなのだ。
「じゃ、打ち合わせについては正式に決まったら先生から言われると思うから」
二組を出る時と同じことを言って、俺は身体の向きを変える。
「おー、じゃあまた帰りにな?」
背後に聞こえた明良の声からは、それだけでもにやにやとした笑いを浮かべていることが伝わった。
一組の教室を出た俺の隣から、明良と似たように笑う気配がする。
「でんちゅー、ほんっとグロいのダメなんだねぇ」
どう考えてもホラーの方がヤだけどなぁ、なんて、どう見ても見た目は妖怪のっぺらぼうのあいつが言う。
「でも、最後の六原君はなんだったんだろ?」
六原君? なんかおかしかったか?
別に普通じゃなかったか、と思うと、んー、とあいつは首を傾げる。
「おかしいっていうか、ずっとアッキーの方見てたから。あぁ、映画は観てないって言ってたし、そっちの話が聞きたかったのかな?」
ということは、六原君もグロテスク平気な人なのか。
飯嶋から詳しい本の内容を聞いてなくて良かったと思いつつ、俺は教室に戻った。
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