第32話
***
改札を抜けた時、列車は既に動き出していた。
……けども、走ってきたのが明らかな、息切れをしている俺たちの姿が見えたらしく、数メートルだけ進んだ先で列車はもう一度停車した。こういう、温情で少しなら融通をきかせてくれる辺りは、田舎の有難いところだ。
冷房の恩恵に濁音付きの声を発しながら、ボックス席に身体を投げ出す。ただでさえ高い気温の中を走ってきた俺たちのカッターシャツは、汗まみれである。
「シャツくっそ気持ち悪いわ、貼りつく」
「でも間に合って何より」
膝の上で鞄を置き直しながら六原が言った。呼吸はまだ落ち着いていないし、米神に汗がつたっているものの、意外と平気そうな様子で。
なんだかそれが悔しくて、俺は苦々しさを交えて返す。
「お前がもっと早く言ってれば、もっと楽に間に合ってたな」
「お話中だったから邪魔しちゃ悪いかと」
気を使ったつもりと言う六原に俺がまた言い返す前に、
「遅くなったのに、俺が時計気にしてなかったのが悪いって」
そう汗と苦笑いを浮かべるヒロが庇った。それにしても、と驚いたように続ける。
「六原君って足速いな。かなり飛ばしたのに、あんまり疲れてもないみたいだし」
「いや。今、結構しんどいよ」
口ではそう返すものの、既に六原はいつもの調子に戻っている。
そうなんだよな。運動神経はともかく、体力も無いかと思いきや、こいつ意外とそうでもねぇの。体育で運動している最中も、キツそうな顔は滅多に見せないし。
表情崩れてたのは、あのハードル走の時くらいか?
「今は帰宅部で、中学の時は何部だった?」
ヒロの質問に、六原は少しだけ黙った。それから、
「入会はしてないつもりだけど、オカルト研究会に時々参加はしてた」
と、そっぽを向くようにして目線を上げた。
さすがに一般的とは言い難いその部活動に、当時のこいつは世に言う中二病とやらにかかっていたのではないかと俺は疑う。こうして席の外側へ目を逸らしてる様子からして、自覚はあるのかもしれない。
表情は変わらないが、いっぱしに恥ずかしがってんのか?
というか、それなら答えなくてもいいだろうに、生真面目なやつ。
六原の答えは、ヒロにとっても予想外だったらしい。
「オカルト? 変わっ……」
十中八九、「変わってるね」と言おうとしたのを色々考え飲み込んだのだろう。
「その頃から既に変なやつだったんだな」
ヒロの代わりに、というより俺自身の感想としてストレートに言ってやれば、
「えーと六原君そういうの好きだったんだな、どういうとこが好きなの?」
取り繕うようにヒロはそう質問を重ねた。
「好きというか、関心があった」
「関心があったなら、好きってことじゃねぇのか」
俺の疑問に、どうだろう、と六原は眉を寄せる。
「そうも言えるかもしれないけど。知りたいことがあった、というか」
「知りたいことって?」
新しく見つけた六原の意外な面に興味を持ったらしく、ヒロは勢い込んで尋ねる。
それに対して平淡な声のまま、……並行世界とか、と、六原は言った。
「あ、それってあの、いわゆるパラレルワールドってやつ?」
「です。ここじゃない、分岐した別の世界」
頷く六原に、ヒロは笑顔を浮かべる。
「俺もそういうの、まぁまぁ、好きだよ。異世界モノとかってさ、やっぱり夢見ちゃうとこあるよな」
好みの同じ仲間の発見が嬉しいらしい。
まぁまぁ好きって、まぁまぁどころか愛読書だろ。なーに格好つけちゃってんだ。ヒロの部屋にある本棚を知る俺は、声には出さずにそう思う。
……なんかこれ、似たようなこと考えた覚えあんな。いつだったっけか。
「オカ研でその話し合いもしたけど、それの正しい答えも分からない」
ふと湧いた引っかかりが解消される前に、迷ったような声で意識が逸れる。喜ぶヒロと同じ立場であるはずの六原は、首を傾けていた。
「異世界と並行世界は別物か。あの時は、異世界が並行世界を内包しているのでは、というとこで止めたんだった、かな」
「なに言ってんだか意味が分からん」
眉を寄せてすっぱりと返す。六原君ごめん俺もだ、とヒロが頷いた。
ちょっと待って、と言い、六原は数秒だけ前のめりになって俯いた。そして、恐らくその間にどうにか引っ張りだしてきたのだろう記憶を使い、説明を加えていく。
「この世界とは異なる、『俺たちの生きてる世界とは違う世界』としては、どっちも同じく異世界。だけど、その中でもこの世界と分岐した……どこか『過去の時点までは同一であった世界』だけを、並行世界とするんじゃないか、と」
いうことでしたがどうですか、と、締めくくられた話を頭の中で整理し直す。
つまり、それで言うなら所謂『死後の世界』だとかは、異世界だけど並行世界じゃないってことになんのか?
さっきよりは分かったような、いや、でもやっぱりよくは分からん。
「俺、まだちょっと理解出来ない……」
ヒロが申し訳なさそうにそう言う。
六原は、今度は間を置かずに言葉を返した。
「ヒロさん、ゲームはする?」
突然の質問に面喰らいながらも、ヒロは頷いた。
「するよ。明良がやってるの見てたりもする」
「じゃあ、例えば、『イ』っていうシュミレーションゲームがある。そのゲームはシュミレーションゲームによくあるように、途中の選択肢によって結末が変わる。その道を通るか避けるかとか、最終面に辿り着いた時のパーティの中に、ある役職が含まれているかどうかとか」
「うん。あれでしょ、マルチエンディングってこと」
「そう。その違うエンディングそれぞれが、並行世界同士の関係にある。それで、全然違うストーリーの『ロ』っていう箱庭ゲームの世界や、『ハ』っていう2Dアクションゲームの世界は、『イ』の中の住人にとっての、異世界」
「あぁ! それなら分かったような気がする」
ヒロの渋っていた顔がようやく元に戻った。
俺も思わず、成程な、と声に出していた。
「六原が考えたにしては分かりやすい説明だな」
「会長さんの例えをお借りしました」
そんなこったろうと思った。
「今まで俺、どっちも一緒にして考えてたわ。そういう違いがあったんだな」
納得出来たことで気分がすっきりしたらしく、ヒロの声調子は弾んでいる。
「この解釈はオカ研で出た一応の落とし所なだけなので、正しいと言えるのかは、分からない。違った解釈もあると思うし、そもそも異世界自体、こういうものってしっかりした定義が今のところは出来てないのではないかと」
「そっか。いや、でも、すごいな。六原君の参加してたオカルト研究会は、名前の通りにちゃんと研究してたんだ。不思議な話とか都市伝説とかそういう話を集めて、会員同士がお互いに聞かせ合ってるくらいかと思った」
「あぁ、俺も期待裏切られたわ。部屋真っ暗くして百物語とか、コックリさんでもしてたかと思ったのに」
俺も笑ってヒロに続ける。
だがその冗談は、百物語は聞いてないけど、と返された。
「コックリさんも夜のグラウンドでベントラ連呼もやってたみたい。俺は不参加ですが」
ベントラ連呼って……UFO呼ぼうとしたのかよ。
「ヒロさんが言うように、実際の体験談を聞かせ合うのもやってたよ」
そう話す六原の表情は少し緩んでいる。俺にはさっぱり分からないフィールドだが、そういうのが好きなやつらにとっては、満足の出来る会活動だったのだろう。
へぇ、と頷いて、それにしても、とヒロは言う。
「六原君がオカ研っていうのは驚いた。っていうか、実は中学でスポーツしてたのかと思ったけど、運動部じゃなかったのにそれだけ体力あるって羨ましいわ」
話の始まった点に戻りヒロは軽く笑った。
あぁ、ヒロは知らねぇのか。
「いやこいつ、入学当初は柔道部だったんだと。もう辞めてて、だから今は帰宅部ってのは正しいけど」
「え、そうなんだ? ……柔道? 六原君が柔道部選ぶって、なんかそれも意外」
大げさに目を丸くするヒロに、まぁ、と六原が頷いた。
「正直なところ俺が選んだわけではないので」
「はぁ? じゃあ誰が選んだんだよ」
「母さんが」
どんだけ箱入り息子だ、と、思わず俺は胸中で零した。
「中学のオカ研はどうも気に入らなかったらしく、精神力を鍛えてみたらと」
「で、お前はそれに、ハイそうしますって従ったのかよ」
「鍛えてみれば何か変わるかなと」
お試し感覚で、と、飄々と言ってのける六原に思わず呆れる。そりゃあ未練が無くて当たり前だ。
「辞めることについては、母親からは何も言われなかったのか?」
「まぁ、何も変わりなかったのは母さんも認めるところだったし」
特に反対はされず、と六原は頷いた。
「母さんが続けろって言ったらまだやってたかもしれない」
「お前マザコンか」
「マザーに対してコンプレックスを持ってるって意味なら、合ってる」
「……六原君がふた月も休んでたのって、事故の怪我がきっかけなんだろうけど」
確認をとるように言うヒロは、ちらりと通路の方を見てから続けた。
「もしかしてお母さんが心配性で、どんどん長引いちゃった、とか……?」
いやいやまさかというような自信の無さそうな顔は、
「すごい。あたり」
少し笑みを浮かべた六原の返答で、いやいや嘘だろという驚きの顔へと変わった。かくいう俺も、同じような顔になっている自信がある。
「え、うそ、ほんとに? 俺、結構冗談だと……」
狼狽えるヒロに、嫌そうでもなく照れるでもなく、六原はただ、いや事実、と言う。
「俺、前に……小六の時にも、交通事故にあったことがありまして。その時は病院運ばれたくらい、もうちょっと大きな事故だったんだけど」
突然始まった六原の話を、俺もヒロも真面目に聞く。
「病院で目が覚めて一番はじめに、とんちんかんなこと言ったらしい」
「とんちんかんなこと?」
「ちょっと、俺は覚えてないけど」
ふいっと視線を逸らして答え、六原は続ける。
「まぁ、頭を打ったんじゃないかって心配する程度ではあった、と。それで今回というか、三月の事故。こっちは全然大ごとじゃない、ゆっくり角を曲がってきた車が掠って、よろけて倒れた俺が横倒しに溝に嵌ったっていう、むしろ恥ずかしいもので」
やっぱり一応、恥ずかしいって思うこと、六原にもあるんだな。つらつら語る顔は全然変わってないけど。
口には出さずに今は関係ないことを思ってしまった俺の隣で、ただ厄介なことに、と六原は言う。
「そこを目撃してたご近所さんが手を引っ張って助けてくれた時、俺、また、余計なこと言ったらしい」
「……混乱してたのかな」
「さぁ、そうかも。でも、溝から出た時には腕が捻挫はしてたものの、意識ははっきりしてた。だから俺自身は別に何の問題も無かったんだけど。助けてくれたご近所さんが詳しく丁寧な説明を、母さんにしてくださってまして」
その余計な言葉まで、と、六原は少し自嘲したようだ。
「それで前回と同じことになった。ぶり返した母さんの心配は治まらず、捻挫の治療には必要無い科の、病院通いが続きました」
めでたしめでたしとでも続きそうな口調に、眉を寄せてヒロが訊く。
「二か月間ずっと、学校休んで毎日病院に行ってたの?」
「さすがに毎日ではないよ。定期的に。学校休んだのは、曰く、大事をとって?」
大事をとってって。
顔をしかめて絶句する。表情からして、ヒロも俺と同じような心境らしい。
そんな俺たちを気にすることなく、六原はなんでもないように言う。
「俺も、別にどうしても学校に行きたいって理由も無かったし、母さんが満足するまではいいかと思って。こんなに長くなるとは思わなかったけど」
家、飽きた、流石に。
復学初日と似たようなことを、六原は言った。
「あと、それでも納得しきったってものでもないようで、未だに寺坂先生に電話して、時々俺の学校での様子聞いてるっぽい」
「……なんていうかすごく、えっと、……あぁ、子供思いなお母さんだね」
視線を通路の方へと逸らしつつのヒロの言葉に対し、うんざりした感じは無く、ただし笑いはまったく混じっていない声で六原が返す。
「そうなんですよね」
俺は、フェンスの傍に立つ、六原の母親の姿を思い返していた。
今ではなくなったものの、六原が復帰してから一週間程は、毎朝駅まで見送りに来ていたのだ。そして六原はそれに対しずっと、初日と同じく何の表情も浮かべていなかった。俺はそんな六原を、相変わらず家族にはドライだな、と思って見ていたのだが。
不登校の事情を聞いた今では、六原の態度にも納得してしまう。
自分を心配する気持ちからというのを分かっていても、さすがにそれだけ干渉されれば煩わしくも――いや、何の思いも湧かなくなるか。
「大変っていうか、そのー、ちょっとやだなと思ったりは、しない?」
言葉は濁しつつも、ヒロの目には率直な同情が浮かんでいる。
その視線を真っ直ぐ受け、小首を傾げた六原の返答に迷いはなかった。
「今は特に」
「……そうなんだ」
こう、なんでもかんでも受け入れる六原も、俺はどうかと思うんだよな。
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