**7章**

第31話


 **7**


【鈴掛明良】


 真面目な顔で、3番かな、と呟いた六原に、

「なんでやねんッ!」

 と、三谷が即座に声を上げた。

 普段は使わない関西弁を用いてまで勢いのある突っ込みをしたくなる気持ちも分からんでもない。自分はそれを通り越して呆れ果てたけど。

 終礼が終わり、いつもの待機時間。

 自分の席につく六原に問題集を開かせ、俺と三谷はその前と隣の席を借りていた。六原が向かう机に椅子を引き寄せ、それぞれ教科書と別冊解答を膝に乗せている。

「さっきと同じ考え方すれば、まず3番だけは無いって分かるでしょーが」

 下敷きを使って自分に風を送りながら、三谷は眉を寄せる。反対の手でトントントンと前ページを指差すその指導役に、六原は首を傾げてたっぷり五秒後、

「…………あ、これ似てるな」

「だーかーらー、似てるどころか同じなんだってば」

 代入する数値が違うだけだっつーの、と三谷の口をへの字に曲げさせた。

 そんなやりとりから目を逸らし、俺は教室後方の天井に目線を向け、そこにあるバカでかい機械をじっと眺める。あれが気温二十八度を超えるまでは使えないのは知っているし、そもそも放課後には使わせないのも知っているし、型式の古さ故に焼け石に水程度の力しか持ってないことも知っている。

 それでも起動を望んでしまう。暑い。これが夕方の気温かよ。早く沈め太陽。

 六原が復学してから、約一月半が経った。

 今のところ、初日に本人が言ったように、六原が不登校に逆戻りしそうな様子は無い。一年の時は一人で過ごしている場面が多かったというが、このクラスではそうでもなく、まるで元からそうだったかのように主に俺らのグループの一員として馴染んでいた。昼休みにはクラスを越えた面子も交え、トランプや雑談に興じてもいる。先輩の影響で六原が復帰してくるまでは少し引っかかりを持っていた様子の足羽も、早々に六原の存在を受け入れ、今では遠慮なく冗談や突っ込みの言葉をかけていた。

「一年生の時は別にこっちから話しかけるようなこともなくて、しかも六原も何も言わずにずっと一人で平気そうにしてたからさぁ。ちょっと雰囲気暗めの奴っていう印象くらいしかなかったし、どっちかっていうと、すっげー絡みにくくて苦手だったわ」

 去年六原と同じクラスだったというそんな日比野の言葉には、何人かから同意の声も出ていた。そいつらも皆、六原と同じクラスだったやつらだ。

 それから、俺が初日に浮かんだ願掛け混じりの予感は当たっていたようで、学校の行き帰りを共にするヒロとも、六原はすっかり親しくなっていた。

 通学の同行者が増えることを始めは不安に思って――というか何故か不満を持っていたように見えていたヒロだが、いざ対面してみれば意外と波長が合ったのか、六原と打ち解けるのはかなり早かった。相手がどんな態度だろうとまったく気にしない、しようとしない六原のスタンスが、ヒロにとっては良かったらしい。

 まぁ、そんな感じで七月中旬。

 学生の制服もほぼ夏服へ移行し終えた、現在だ。

 これまでの日々を過ごすうちに判明した、六原に関する学生にとってはかなり大きな問題を、どうにかしなくてはならない時期が来てしまった。

「あのね。ほんと、いくら休んでたとはいえ……酷いよ」

 額に手をやる三谷を前にして、

「自分でもそう思う」

 と、六原はこっくり頷く。

「なら、もうちょっとやる気出せ」

 教科書で俺が六原の頭を軽く叩くと、ダメダメこれ以上脳細胞減らすとマズい、と三谷が心からの声を出した。

 嘆く三谷の言葉の通り、六原の学力は散々なものだった。

 一年の頃に習ったものは元より、それ中学の範囲じゃないのかというところすら、著しく理解度が低いのだ。復学二日目の列車内自己紹介ですらすら言葉を続けた姿から、こいつ結構頭良いんだなと安直に思った、あの頃の俺は騙されていた。

「今回、谷崎より悲惨な結果が見られるかもな」

 週明けから、夏休み前の学期末考査が始まる。

 部活動は既に休止期間に入っており、三谷が珍しく教室に居残りしているのも、いつもは部活後に来る家族の迎えを待っているからだ。

 六月当初にあった実力考査を、復学直後という理由により六原は免れた。ただしその代わりに俺たちがテストを受けている間と放課後の時間をすべて使い、別室で各教科の特別課題に向かわせられていたそうだ。学校側の寛大な恩赦による六原の留年を回避させるための救済措置らしいが、こいつの成績っぷりからするとそれでいいのか甚だ疑問である。

 まぁ、どっちにしろ今回の考査ではもうそれは効かない。今回からはこいつも俺たちと同じく大人しく席に着き、緊張の五十分間×科目数を受けなければならない。ざまぁみろ。

「俺もすごく出来るって方じゃないから、クラスの平均点が下がるのは嬉しいけどね」

 なかなか酷い予想を口にしつつ、三谷はどうしたものかと腕組みをしている。それってつまり六原が平均点以上を取れることは無いって、そういう意味だよな。

 だが、言われている側の当の本人はまったく気にした様子も無く、しれっと、

「ヒロさん、遅いな」

 と、廊下の方へと視線をやっていた。

 六原はほとんどの相手を名字にさんを付けて呼んでいるが、ヒロのことは「ヒロさん」と呼ぶ。曰く、ヒロと過ごす時――多くは登下校時には必ず俺が居て、その俺がヒロと呼ぶものだから、そっちが頭に残ってしまった、ためらしい。

 だったら俺のこともヒロの呼ぶ「明良」にすれば、という提案には、

「鈴掛さんは、『鈴掛さん』で保存しちゃったから」

 という、分かるような分からないような答えを返された。

「あれじゃない? 三組、役員決めがモメてるのかも」

 勉強を見るのは諦めたのか、三谷は六原が変えた話題にすぐに乗った。

 俺たちのクラスでも、終礼前に、交流キャンプの代表役員決めがあった。

 ここからそれほど離れていない鉾谷小学校では、夏休み中に三日間のキャンプ合宿がある。キャンプといっても山や海に出かける訳ではなく、日程に組まれた課程は学校の敷地や校区内での火起こし体験やそうめん流しなどで、夜は花火や肝試しをした後、グラウンドや校庭に張ったテントで泊まるだけというものだ。

 そのキャンプに、世代間交流という響きを体裁とした、言ってしまえば程良い面倒見役として、例年鉾谷高校の二年が日中駆り出されることになっている。一日目が一組、二日目に二組、当然三日目を三組が担当し、それぞれの日のとりまとめ役に、各クラス二人の代表役員が決められる。当日何か特別にしなくてはいけないことがある訳ではないとはいえ、いろいろと面倒臭そうな役員は、押しつけ合われるのも無理の無い肩書きだ。

「うちはまぁ、便利なやつらが居て助かったな」

「さすがに俺とか、鈴掛も六原も、家が遠い勢は困っちゃうからねぇ」

 一組の代表役員は、イベント事が大好きな谷崎と、その小学校に弟が通っている野中。二人とも鉾谷小の出身者であり、他の立候補や反対意見も当然無かったため、即決だった。

 三組でこの辺に住んでるのって誰が居たっけ、と三谷が言ったのと同時、人通りの減っていた廊下が騒がしくなった。

「終わったかな」

 呟いた六原がさっさと机の上を片付け始める。

 なんだか手早いその動作に、そんなに勉強すんのが嫌かと列車の中でも問題を出し続けてやろうと思った。なぁ六原、お前のちっさい頃の夢なんだって?

 しばらくしてようやくやって来たヒロは、難しそうな顔をしていた。

「明良……このクラスの代表役員って誰?」

「谷崎と野中だけど」

「だよな? 普通そうだよな? そういうのって家が近い人がするもんだよな?」

 あぁもう、と空を仰ぐヒロの様子で理解した。俺と同じく合点がいったらしい三谷が、もしかして、と声を出す。

「三組って田中が役員? 誰かやってくれる人居なかったの?」

 三谷の方を向き、目を逸らすことなくヒロははっきり頷く。

「立候補じゃ誰も居なくて、結果あみだくじが行われて、俺」

「あみだくじ! え、その可哀そうなもう一人は?」

「それがさ、佐々木なんだよ。佐々木だって部活で忙しいし、家も近いってわけじゃないのにって、さっきまで一緒に愚痴ってた」

 三谷君も考え直すべきだと思うでしょ、と、ヒロは切実に訴えた。

 ――六原と知り合ったのが、きっかけか?

 テンポ良く会話を続けるヒロをなんとなしに眺めつつ、俺は考える。

 六原と顔合わせをした日、ヒロの人見知りは、そんなに長くは続かなかった。そのことを指摘した時のヒロの反応はそんなに嬉しそうではなかったように思うが、後々それを自覚したことで、徐々に自信がついてきた……のだろうか?

 あの頃から、ヒロは人との関わりにあまり躊躇いを持たなくなってきた。

 クラスメイトともこれまで以上によく話しているようだし、今のように、ヒロとは今まで直接関わりの無かった同級生とでさえ、スムーズに会話を行える。俺コミュ症だから、なんて俯いていた頃のヒロの姿は、今ではネタにさえ思える。

 良いことだ。心からそう思う。

 ただ、……良いことだが、長年ヒロと付き合いを続けてきた俺は、短期間でのその変わり様を、正直少し怖くも感じていた。

 お前に一体何があったんだって、そう思っちまうんだよな、どうしても。

 そんな考えを振り払い、佐々木って部活何やってたっけか、と俺は会話に口を挟んだ。

「陸上とか聞いたような気もするけど、本人と話したことないしな」

「佐々木は駅伝部だよ。陸上だったけど、途中からそっち行ったらしい」

 俺もさっき聞いたとこ、と、ヒロは言った。

「駅伝? 駅伝の合宿とキャンプの日って重なってなかったか?」

「うん。二組の日の夜に、合宿から帰って来るんだってさ」

 大変じゃん、と同情する三谷に、だろ、とヒロは大きく頷いた。

 ふと、黙ったままの六原の方に目をやる。片付けを終え、鞄のジッパーを閉めているところの六原は、教室に入ってきた時のヒロのような難しい顔をしていた。

 俺の目線に気付くと、

「難しいかもしれない」

 と、表情そのままの台詞を言う。

「何が?」

「列車。走れば間に合いそうだけど」

 どうする、という続きが聞こえる前に、俺は時計を見上げて立ち上がった。

「行くに決まってんだろ、長々と次のまで待ってられるか」

「俺は迎え来るまで仲間が居てくれると嬉しいけどね」

 冗談混じりに言いつつも手を振る三谷に、自分のテスト勉強でもしてろよ、と言い残して鞄を持つ。じゃあね三谷君と言うヒロと、また来週と言う六原と共に、教室を出た瞬間から駆け出した。廊下を走るな、なんてありふれたポスターも今は無視だ。

 あちこち線路の伸び回る都会じゃないんだから、次の、は数分じゃ来ねぇんだよ。


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