第25話

 対する六原はそれに驚いた様子もなく、

「一人やらないって、ずるいでしょ」

 ヒロの視線を受け止めたまま、俺の腕をぽんぽんと軽く叩いた。

「鈴掛さん、だけ」

「…………俺のこと言ってたのかよ」

 じゃあ誰のことだと思ったの、と尋ねてくる六原に、だからそれが分かんなくてこっちが訊いたんだろが、と返す。

 あぁそうか、と頷く六原の声に混じって、

「あぁ……なんだ」

 小さなヒロの呟きが聞こえた。

 なんだって、なんだよ。お前は誰のことだと思ったんだ?

 怪訝に思ってそちらを向けば、さっきの落胆したような呟きには似合わない、目を見開いた――ぎょっとしたような顔でヒロが動きを止めていた。

 その目は斜め前、六原の膝の前横の辺りを凝視している。

「ミミズでも居たか?」

 幼馴染の苦手な生き物が乗ってきていたのかと、俺はヒロの目線の先を覗き込む。だけどただ汚れているだけの床は、特段何の変わりも無いように見えた。

「いや、なんでもない」

 明らかに動揺しているヒロは、そのくせ、きっぱり否定する。

「はぁ?」

「……ほんとに、別に、違うから。見間違いっていうか」

「見間違い?」

 もう一度、よくよく床を見る。それでもそこには何も無い。

「何を見間違えたんだよ」

「………………け、ケサラン・パサラン」

 ケサラン・パサランが居たように見えたんだ、と、ヒロは力強く床を指差した。

 長い沈黙の後に飛び出した名称に、俺の記憶が呼び覚まされた。

 ケサラン・パサランっていえばあの、都市伝説だか未確認生物だかの、白い綿ぼこりみたいな生き物か。一回、小学校の時にすげぇ流行ったやつ。今ヒロからその名前を聞かなければ、この先思い出すことは無かったかもしれない。

 ……ケサラン・パサラン、ねぇ。

「懐かしいな」

「う、うん」

 俺の感想に、床を示していた指を力無くヒロは下ろした。

 急に出てきたそれがその場凌ぎの言葉というのは、ヒロの頑張りには申し訳無いけどバレバレだ。だけど、何をそこまで誤魔化そうとしているのか、なんでそこまで誤魔化したいのかは、まったく分からない。俺の次の反応を待つオドオドとした両目を疑り深く見据えれば、ははは、と抜けた笑いを返された。

 なんなんだよ。お前、この間から、なんなんだ。

「思ってたんだけど。なんか最近おかしくね、ヒロ」

 ぽん、と疑念を投げかければ、

「おかしくないってば!」

 笑いを引っ込めたヒロからは、かなり強い口調で否定の言葉が返された。

 そんなへたくそどころじゃない、あからさま過ぎるヒロの誤魔化しに、納得した訳では勿論無い。――訳では、まったく、無いんだけどなぁ。

 俺は自分自身に対して呆れすら浮かんでくる。本当なら、ヒロが「やっちまった」な顔を浮かべている今だって、その態度の怪しさを追及するチャンスだ。だけど俺にはもう、ヒロを問い詰める気が失せていた。

 そこまで訊かれたくないことならばと、ヒロの必死さを無視出来ないのだ。

 あぁほんと、俺はこいつになんて甘くて優しい。

「あぁそ」

 興味を無くしたように、前のめりになっていた姿勢を戻した。俺の追及が止んだことでヒロが肩から力を抜いたのにも、気付いていないふりをする。

 でも、これで分かったことがある。

 俺は座る位置を調整しながら確信した。ヒロは、何かを隠している。

 今までもなんとなくそんな感じはしていたが、今のが決定打だった。そしてその隠していることが、多分、最近のヒロに覚える違和感に関係しているんだろう。

 ヒロが隠したがっている何かが、悪いものでないなら別にいい。

 ただ……と、そこまで考えて、

「……なんだよ」

 隣から放たれるじっとりとした視線に、俺は耐えかねた。

 ヒロとの問答の最中も、ずっとこちらに向けられているそれには気付いていたのだ。気付いていたけど、敢えて無視をしていた。でもそれも限界だ。

「言いたいことでもあんのか」

 顔ごと六原の方を向けば、少し眉を寄せ、ずっと沈黙していたそいつは言った。

「言いたいことっていうか、自己紹介待ち」

「しっつけぇなお前!」

 呆れを含めて言い返す俺に、だってずるい、と不満を滲ませた顔をする。

 自己紹介なんて拒否するほど嫌なものではないが、俺は自己紹介させられたのにというような言い分に素直に従ってやるのは、なんだか癪に感じる。俺が言い出しもしなきゃお前ら会話終わってただろうが。むしろ助け船出してやった方だぞ。

「お前もヒロも俺の名前もクラスも知ってんだろ」

「知ってますが」

「……いや、だから必要ないだろって言ってんだよ」

「必要がなくても、要望はある」

「俺がその要望に応える必要はないだろ」

 その後もしばらく負けず嫌いとの言い合いを続けていると、

「明良。俺も、六原君と同じで、明良の自己紹介聞きたい」

 窺うように、対面のヒロもそんなことを言い出した。

 そしてどこか緊張した様子で、場に合わせたような笑顔を浮かべて、

「俺らにあれだけのこと言ってみせたんだし、すっごく見事なお手本を見せてくれるんだろうなぁ、楽しみだなぁ!」

 普段のヒロからはあまり考えられないような茶々を入れた。

 相手が俺だけの時ならまだ分かる、が、初対面の六原の前で、こんなお道化たようなことを言うなんて。ヒロが。あの、ヒロが。

 思わず見開いてしまっていた目を、緩やかに曲げる。

「へぇ、言ってくれる。つーか、言うようになった、なぁ?」

 全然ヒロらしくないし、お前の人見知りってそんな程度だったっけ状態だ。

 だけど、これが、こいつなりに六原と打ち解けようと思って考えた行動なら、それは本当に、いや本当に、凄いことだと思う。

 かつてのヒロの人見知り具合からすれば、考えられもしない、驚くべきものだ。

「あ、うん、いや、だから、聞きたいなー、と」

 そう言いながらの視線が俺だけに固定されているのは、その隣の、ヒロの方をじっと見ている六原と視線を合わせたくないからだろう。どんな反応がされるのか、さすがにその確認までは怖くて無理だったようだ。

 そんなヒロの気持ちを汲んだ訳ではきっとないだろうが、

「……多数決的に、こっちの勝ち」

 六原は、ヒロに調子を合わせるよう、俺に握り拳を傾けた。

 おそらくマイクのつもりだろうその拳を見て、表情に笑いが滲んでいる六原を見て、ようやく六原に視線を向けることの出来たヒロを見て、俺は大きく息を吐いた。

「あーもう、お前ら本ッ当面倒臭ぇわ」

 その後に続けた俺の自己紹介中、ヒロはずっと達成感に満ちた顔をしていた。聞きたいとか抜かしたクセにほとんど聞いてないだろ、と言いたくなるくらいだった。

 始めの一回が上手くいったことで気分が上がったのか、ヒロはそれからも時々調子づいたことを挟んできたし、六原とも、緊張はしながらも会話を続けていた。そして六原の方といえば、急に変わったヒロの雰囲気に言及するでもなく対応を変えるでもなく、まぁつまりは例のマイペースのままだった。

 これは、意外と、なかなか、悪くないんじゃねぇの。

 かなり緊張も解けきたらしいヒロの方から六原に質問をかけているのを見ながら、俺は幸先の良さそうな滑り出しに気分を良くする。

 おかげでというべきか、そのせいでというべきか。

 列車を降りた時には、ヒロの隠し事なんてすっかり忘れていた。


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