第26話

【田中弘人】


 あぁ……なんだ。

 六原君の発言に、思わず息を吐く。

 もう一人って、そっか、明良のことか。びっくりした。

 もしかして、まさかの話、

「俺のことかと思ったよねぇ」

「――――っ!」

 それに気付いた瞬間にあげかけた声を、俺は全力で押し留めた。

「あ、やっほ、でんちゅー。おはよっ」

 六原君の隣、とはいっても明良の座る座席ではなく、反対の通路にしゃがみ込むようにして、そいつが笑って手を振っていた。

 なに、なんで、なんでそんな、普通に居んの。

 今までは全然、っていうか声すら、いや昨日は一瞬あったけど、俺がどんだけ

「待って待って。今、そんなことよりかなりマズいから」

 混乱する俺に、ちょいちょいとそいつは人差し指で前を示す。そのジェスチャーと、明良が怪訝そうな声を出すのはほぼ同時だった。

「ミミズでも居たか?」

 そう言って明良は俺の目線の先――より、少しだけズレたところを見つめる。

 眉を寄せ、目をすがめるその様子は、明らかに俺のさっきのリアクションに疑問を持っている。あぁ、たしかにこれはかなりマズい。

「いや、なんでもない」

 慌てて首を振れば、はぁ? と、上り調子に返された。

 ひどい誤魔化し方だというのは自覚しているので、なんでもなくねぇだろとでも言いたげな明良の視線がとても辛い。

「言い訳、言い訳!」

 俺にしか聞こえない声がした方を反射的に向きかけて、あっぶねぇ、と動きを止める。

 あいつを絶対に見ないように意識しつつ、明良に向けて言葉を連ねる。

「ほんと、別に、違うから。見間違いっていうか」

 それに対し、明良は眉間の皺を増やし、

「……でんちゅーってほんと嘘吐けないよね」

 あいつは大きく溜息を吐いた。

 うるさい嘘が吐けないってむしろ普通なら良いことだろうが。

「いや、場合によっちゃ必要でしょ」

 今みたいに、というそいつは悔しいけど正しい。

 っていうか気が散るから止めて欲しい。

「見間違い? 何を見間違えたんだよ」

 俺の言葉から、明良は再び床に視線を向けた。

 明良に自分が見えていないのを良いことに、そいつは床を見回す明良の視線の先で、ぷらぷらと手を動かしてみせる。

「こんなとこで見間違えなんてさぁ。もー、どう言い繕うの?」

 でも、日焼けをしていないその手の動きから、俺は思いついた。この間の昼休み、あれも妖怪なんだろうか、と話題に上がった謎の生物。

「ケサラン・パサラン。ケサラン・パサランが居たように見えたんだ!」

 そう言って、そいつの居る方を勢いよく指差す。

 一瞬の空白の後、俺にだけ聞こえる大爆笑が響き渡った。

 衛生的なことなど考えもせず衝動のままにばしばしと通路を叩き、

「けっ、けさらんぱさらん……」

 呟くようにそう言いながら、あいつはひぃひぃ笑いを堪えようとしている。

 そんな奴とは真逆に、懐かしいな、と、まったく笑みを浮かべることなく明良は言った。

 相槌を打ちながら、これは納得されてないなとその様子を窺う。俺の向けた視線は、向こうからもがっちりと捉えられた。まったく離れてくれない真っ直ぐな目に、こちらは曖昧な笑いを浮かべるしか出来ない。

「アッキーはなー、面倒臭がりのくせに疑り深いからなー」

 笑いが収まったそいつがそう言いながら腕組みをしたのが、視界の端に見えた。

 小さく唸り、マズったなぁ、と続ける。

「俺、やっぱり出てこられないままの方が良かったよね……どうにか引っ込めないかなぁ。でんちゅーがアッキーに」

 そいつの言葉の途中で、思ってたんだけど、と明良が口を開いた。

「なんか、最近おかしくね、お前」

「って、思われるのは回避したかったんだけど遅かった」

 硬くなった声でそいつが言うのが聞こえて、

「おかしくないってば!」

 と、考えるより先に言葉が出ていた。

 いや、これ、逆効果じゃね? 図星って言ってるようなものじゃん。

 自分でもすぐにそう思い当たる。でももうどうしようもない。やばい。こっからどう誤魔化そう。明良相手に? 俺が? 今まででも散々なのに? 無理じゃない? 

 一気に焦りが汗となって噴き出し、たけど、

「あぁそ」

 そう言って、明良はふいと目線を逸らした。

 短く返答をした後に姿勢を戻していく明良に、拍子抜けのような、空振りしたような気持ちが広がる。え、え、いいのか。これで。

 明良は既に俺から注意を逸らし、六原君との言い合いを始めている。なんだかよく分からないけど、とりあえず今は切り抜けられたらしい。

 切り抜けられたんだから……お前、もう引っ込むとか言うなよ。

 そっと目線を送れば、床に胡坐をかいたそいつからは何故か苦笑の雰囲気が伝わる。

「はいはい。優しい幼馴染で良かったね」

 その言葉で、あぁそうか自分が困っていたから止めてくれたのか、と俺は気付いた。

 見苦しくも誤魔化そうとする俺に、情けをかけてくれたんだな。

「でんちゅー、そんなことより今チャンスでしょ!」

 俺が明良の気遣いに感謝と尊敬の気持ちを抱いているのをぶち壊し、そいつははしゃいだ声を上げる。そんなことよりって……まぁ明良が優しいのも、それを有難く思うのも、これで何回目だってことだけど。

 でも、チャンスって、なんのだよ。

 唐突な単語に頭の中で疑問を抱いた俺に対し、会話に混じって仲良くなるチャンス、と、そいつは勢い込んで拳を握った。

「六原君の意見に乗っかってさ、二人でアッキー責めてやろうよ。共同戦線って仲間意識湧くじゃん? 例えばそうだなー、あっ、こう言ってみるのとかどう?」

 そうしてそいつが続けた言葉に、俺は思わずにやつきそうになった。

 成程ね。茶化しの大好きなお前が考えそうな言葉だよ。

「こういった場に似つかわしい、高校生レベルの自己紹介してもらいましょーよ?」

 ふふふん、と楽しそうに笑うそいつに、俺はじわっと嬉しさが込み上げる。

 うん。だって、約束したもんな。

 さっきまでは誤魔化すのに必死だったから、正直、六原君のことはほとんど意識の外にあった。今になってその存在を意識すると、どこかに忘れていた人見知りが舞い戻ってきて、俺の緊張度をぐいぐい上げていく。

 だけどそんなの、そんなのには、負けられない。

 形だけでも三人組に戻りたいって気持ちを昨日こいつにぶつけた時、俺は約束した。

 こいつの言葉を、俺が明良にちゃんと伝えるって。俺が間に入って、こいつの言いたいことを、全部代わりに言ってやるって。

 だから俺は、人見知りなんかに負けてられないんだ。

 お前も明良との話に入りたいもんな。お前も、明良大好きだもんな。

 よし、と気合を入れ直す俺に、そいつが何かを言いかけて、一度笑って、それをやめた。俺は緊張を押し殺して、意識的に笑顔を浮かべる。

「明良。俺も、六原君と同じで、明良の自己紹介聞きたい」

 朝から胸に居座っていた気持ちの悪さは、もう感じていなかった。

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