第24話


【鈴掛明良】


 昨日と同じスーツ姿の女。

 それと、

「ヒロ、あいつだ。あれが六原」

 欠伸をしながら下を向いている六原。

 速度を落とした列車が近づく芳口駅からの乗客は、今朝も少なく、どうもその二人だけのようだ。言いながら注意を向けるように窓をこんこんとノックすれば、対面のヒロが視線だけをそちらに動かした。

「知ってるよ見かけは。昨日通りすがりに、廊下から見たし」

 ぼそぼそと言うヒロの表情はけして明るいものではない。もちろん六原が原因だろう。

 とはいえ、それにしたって状況としては昨日と同じ……より、むしろ俺が昨日のうちに既に六原と接点を持っている分だけ、今日の方が楽になっていても良さそうなのに、今日のヒロは昨日よりも覇気が無かった。

 朝から「寝覚めが悪くてちょっと」とは言っていたけど、体調が悪いという程には見えなかったし、ヒロ本人もそう言っていた。

「やっぱ今日は一段と冴えない顔だな。気分は?」

「冴えない顔って。気分はまぁ……、まぁ、そこそこだよ」

 一応確認してみれば、あからさまに気が乗ってなさそうな顔と声。

 今更ヒロの人見知りをどうこう出来るとは思っていない。けど、今回のヒロはやっぱりどう考えても不自然に感じる。緊張している、という風でもないっぽいし。

「お前なぁ、そんなんだと、第一印象最悪だぞ。どうにかなんねぇの? ヤなやつって思われたいってんなら、そのままでどうぞだけど」

 嫌味を前面に押し出した言葉で、さぁどう反応するかと待つ。噛みついて来れば、それはそれで良し。腑抜けたような今よりは随分マシだ。

 そうやってわざと呆れてみせた俺に対し、ヒロは何かを言おうとした。

 が、同時に列車が完全に停車し、六原が乗車口に向けてのったり歩き出したのを見て、その口は閉ざされる。

 その、ぐっと噛み締められた下唇に、俺はなんだか嫌な感じがした。

「なぁヒロ、」

「あれって昨日の車の人だよな?」

 思わず出かけた台詞は、ヒロのそれにかき消された。その内容につられて、俺もヒロの向けている方へ視線を動かす。

 線路内に侵入出来ないよう区切られたフェンスの傍に、一人の女が立っていた。それは確かに、昨日校門で俺たちに声をかけてきた人だ。同じようなこざっぱりとした服装をして、片手をフェンスにかけている。

 その目線が注がれている先は、昨日からの俺の中での予想を確証立てていた。

「よぅ、六原。おはようさん」

 乗客の多くない列車、そいつは簡単に俺達を見つけられた。

「今日は頑張れた」

 俺がかけた朝の挨拶に対して、六原はそんな恍けた言葉を返す。

 そして俺たちの座るボックス席に近づいてきて、吊り革を持って横に立った。

「ほらよ」

 隣に置いていた鞄を膝に上げて、席を空けてやる。

「いいの、座っても」

「お前だけ立たせとくほど俺らが冷たい人間に見えるか」

「俺まで座ったら狭いかなと」

「我慢出来ない程じゃねぇだろ。どうぞお座りくださりやがりませ」

 じゃあ遠慮無く、と六原は腰を下ろす。

「…………」

 俺たちの会話を窺っていたヒロが、六原が屈み込むようにして座り、顔を上げた瞬間に視線を逸らしたのを俺は見た。なかなかに失礼な反応、だけど鞄を膝に乗せて抱えこもうとしている六原がそれに気付いた様子はない。

 ヒロに対して胸中で息を吐いた後、ふと、俺は思いつく。

 からかいを交えた少し意地悪な気持ちで、六原に向けて言った。

「お袋さんが見やすい方がいいならこっち側と替わるぞ」

 窓の外、フェンスの傍に立つ女性は、ゆっくりと動き出したこの列車をまだ目線で追いかけていた。

「あと数秒でしょ、見えてるのも」

 鞄の位置を調整している六原は、窓の方へちらりとも視線を送らない。

 お袋さん、に否定が入らなかったということは、予想通りあの女は六原の母親で正しいらしい。ぽつんと佇む六原の母親から、列車はさっさと遠ざかる。

「……さらっと流しやがったな」

 淡々とした六原の態度は、俺の揶揄に対して驚きや恥ずかしさを隠すためのようなものじゃなかった。自分でいうのもなんだが、俺たちの年頃にありがちな、母親など周囲の大人になんとなく持ってしまう苛立ちのような反抗心――その表れのようにも見えなかった。

 そもそもそういった感情からの反応なら、「別に見えなくたっていいし」とか「余計なお世話」だとか、そんな言葉が返ってくるのがよくあるパターンだろう。というか、さっきまでの俺は、そんな返答を予想したからこそ茶化してやろうと思っていた。

 それに反して六原の反応は、なんだかとてもドライで。

「え、反応したでしょ、俺」

 こっちを向いて小首を傾げる六原は、本当に納得していないようだった。流したっていうのは俺に対してのことじゃねぇんだよ、と、口には出さずに俺は思う。

 長らく不登校だった一人息子を心配して見送りしてくれてたんだろ? 

 別れの合図に手でも振れとまでは言わないが、そんな母親に対して、目線くらい向けて確認してもいいんじゃないか。昨日の帰りに通り過ぎて行った車でだって、一瞬見えたこいつは同じ顔をしていた。興味無さそうな素っ気ない顔。いつも通りと言えば、それまでかもしんねぇけど。

 向こうからは大事にされてるっぽいのに、お袋さん、なんか報われねぇな。

 まぁ、余所様の家庭の事情なんて、俺が考えるのはそれこそ余計なお世話か。

「あ」

 発展する俺の考え事をぶち壊して、短く声を発した六原が急に深々と頭を下げた。座ったままでのお辞儀のため、額が膝につきそうだ。

「どうも、おはようございます」

「…………どうも」

 六原が頭を下げた先、俺の対面座席に座っているヒロが、ようやく答える。

「しばらくお邪魔します」

「あ……いや、お邪魔とかじゃない、し」

「そう。ありがとう。じゃあこれも、遠慮なく」

「……うん。……どうぞ」

 ぎこちねぇ会話だな。

 ここからどう続くかと俺が黙っていると、二人はどっちも口を結んだままで、少なくともたっぷり二十秒は沈黙が下りた。

 よくよく考えずとも、大概において人付き合いの始まりでは俺を仲介としてきたヒロ(しかも今回は何故かいつもより拒み気味)と、来る者なら拒まない、つまり来ない者に自分から関わっていこうとはしない六原の二人が、出会ってすぐに楽しくスムーズなコミュニケーションが取れるはずもなかった。

 でも、なんでだろな。

 その確証なんてどこにもないのに、俺は、こいつらは後々親しくなるだろうって気がしている。予感、予想、いや、実際はただの俺の希望か。

 ヒロの言っていた、三人組ってやつ。六原を交えてのそれなら、確かにちょっと面白くなりそうかもなぁなんて、昨日から俺は思ってしまっていた。

 だからわざとらしい呆れたような溜息をついて、俺は口を開く。

「ひっどいぞお前ら、マジで高校生ですかってレベルで、ひっどい。引っ込み思案な小学生でも、もうちょいマシなご挨拶が出来るわ」

 自分の膝頭に辺りに目線を彷徨わせていたヒロが顔を上げる。

 えぇ……と小さく声を零しながら六原が少しだけ眉を寄せる。

「就職活動する時とか、どうすんだよそんなので」

 二人の様子を見ながら、俺は真面目な口調で、でも、笑いを隠せずに言う。今の二人の顔はそっくりだ。内面はどうあれ、人付き合いの仕方が似てんだよお前ら。

 そんな顔して見せるくせに、本当はちゃんと平気で接することが出来るとことか。

「ほら、反省を踏まえて自己紹介しろ。お前から」

 肩で小突いて隣の六原の方を先に促したのは、ヒロに対する若干の贔屓だ。

 再度、えぇ……と口の中だけで声を零しつつも、六原はヒロと視線を合わせた。たじろぎながら相対するヒロに、述べる。

「六原笙太と申します。えー……長らく学校を休んでおりましたが、この度復学することになりました。何かと至らない点もありご迷惑をお掛けすることもあるかもしれませんが、何卒よろしくして頂ければ幸いです」

 一度区切ってからは詰まることも無く言葉を並べた六原に、ヒロだけでなく俺も驚いた。

 喋り方は起きてんのか寝てんのかはっきりしないようなてろてろしたもののくせに、なんだそれ。確かにちゃんとした自己紹介にはなってるけど、友人に向けてっつーより、

「ビジネス文書か」

「就職活動っぽさを出してみた」

 どうやら俺のせいだったらしい。

 あぁそ、とだけ返し、深く言うのは止めにしておく。そして、目に見えて慌てている様子のヒロに、ひらひらと手を振った。

「いいって、ヒロ。合わせんな」

「……俺は、その、六原君みたいに教養は無いから」

 ほんとに普通に言うけどと前置きして、ヒロは六原に言う。

「名前は、田中弘人、です。三組で、明良と地元が一緒で、結構ちっちゃい時から知ってる……それとその、結構人見知りだから」

 だから、の続きは無かったが、「上手く接せられなくても勘弁して」というヒロの気持ちは、その様子から伝わってきた。六原にもちゃんと伝わったかは怪しいところもあるが、こいつ自体があまり人を気に掛けるタイプじゃないから大丈夫だろう。

 とりあえず互いに名前は分かったろうし何を話すか、と思ったところで、

「――残りの一人は」

 発言の途中なのか、疑問形なのか、よく分からない抑揚で六原がそう言った。

「「残りの一人って」」

 何だよ、と俺が続け、誰のこと、とヒロが続けた。

 前半だけとはいえ発言が重なったことに思わず笑ってしまう。ヒロもそうだろうと思い視線を向け、

「残りの一人って、誰のこと」

 まったくそうではなかった結果に、俺は固まった。

 同じ言葉を繰り返して訊ねるヒロは、六原を真っ直ぐに見つめている。さっきまでのお前はなんだったんだよと言いたくなるほど、その目に揺らぎは無かった。

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