**6章**

第23話


 **6**


【田中弘人】


 なんで俺がカスタネット、と舌打ちをする明良を、宥めていた。

 コンクールのための合奏練習が始まるのは明日からだ。曲目は四つもある。校歌とクラシックの有名曲と車用洗剤のコマーシャルで使われているポップスと、

 あと何だっけ。っていうか、俺は何を演奏するんだっけ?

「お前はハープだよ」

 あ、そうだ。そうだった。ハープ。

 いつものボックス席、対面席に座っている明良に頷く。

 早く帰って、練習しないとって思ったんだった。

「あみだくじで担当決めるのはどうかと思うよね」

 びゃーん、とハープを指で弾いて、隣に座っているそいつが笑う。

「持って帰るのも一苦労じゃん。デカい楽器は学校の近所の生徒がするべきでしょ」

 毎日大変だねぇー、と他人事のように言われて、まったくだ、と俺は思う。あみだくじって、なんでそうなった。俺はコントラバスがやりたかったのに。

「そーなの? じゃあでも弦楽器としては一応、仲間じゃん?」

「つーかコントラバスもデカいだろ」

 苦笑顔と呆れ顔で二人が言うので、俺は立てた人差し指を左右に振ってやる。

 いや、コントラバスなら俺弾けるから。家にもあるし、持って帰んないでいいし。なにより、コントラバスはあの黄緑色がカッコイイから好きなんだって。

 灰色のハープは、俺はあんまり好きじゃない。

「好きじゃない? あぁ、でんちゅーって嫌いだっけ、図書館行くの」

 嫌いじゃないし、お前に付いていくうちにちょっと興味も出てきたよ。

 おぉやったね、と笑うそいつに、俺も笑う。

 この間の昼休みに始めだけ立ち読みした本、あれ面白かったし、次行った時に借りてみようと思ってんだよな。それにあの入口にある、司書が書いてるおすすめ本紹介。作品に対する突っ込みが意外で興味湧く。今までの分も読みたいんだけど、無理かな。

 そいつと違って、まだまだ読書が趣味とは言えないけど、最近は本も悪くないなと感じ始めてきたのだ。思い返してみれば、小学校の時は俺も、いろいろ借りた本を読むのがそれなりに好きだった。学校の図書館からとか、明良からとか。

「ヒロ、実は太宰治が与謝野晶子っての、知ってたか?」

 え、知らない。そうなんだ? 明良はほんとに物知りだよな。

「新聞読めよ」

 テレビ欄ならいつも見てるんだけどな……新聞読んだら、明良みたいになれる?

 明良みたいに賢くなれるのなら、ちょっと頑張ろうとも思える、気がする。

 っていうかそういえば、前に明良の言ってた僻みに似たような言葉、結局調べてないままだ。恨みじゃなくて、えーと、

「なになに、敬具の話?」

「違うっつの。あとお前はその本の山、片付けろ」

「えぇー、本気で言ってんのー?」

 嫌そうな声を出したそいつは、明良の指差す床にごろんと寝そべった。

 そうそう、俺もずっと思ってたんだよ。

 床に積み上がっているたくさんの本は、全部こいつが書いた本だ。書いておかないと忘れられるからって、こいつが一日最低三冊は書き上げるもんだから、いくら片付けてもいつもこんな感じで。書くなとは言えないけど邪魔なのだ。小指ぶつけるしさぁ。

「本棚がいっぱいなんだってば!」

「じゃあ本棚の手紙を片付けろよ」

「無理だね。無理でしょ、でんちゅー」

 ……うん、そうだな。

 何故かどきどきし始めた心臓を抑えながら、俺は頷いた。

 手紙は無理だ。捨てられない。絶対に。

 だって、

「だって、楽しいじゃん」

 俺の気持ちを引き継ぐように言うそいつに、鼓動がまた強くなる。

 分かりきっている答えが聞きたくて、俺は言う。

 楽しいって、何が?

「話すの。こうやって、でんちゅーとアッキーと三人で話すの、超楽しいよ!」

 そうなんだよ。いつもやってるはずの、当たり前の、とっても普通のことなのに、すごく楽しくて、今すぐにでも泣きだせそうなくらい嬉しくて、

「困ったことにやめたくないんだよね!」

 あはははっと笑ったそいつに、

 俺は大きく頷いて同意して、

「俺は」

 きっぱりと、明良は言った。

「俺は信じない」

 堪え切れず、俺は郵便受けをぶっ叩いた。音にビビったマロスケが逃げていく。

 なんでだよ、明良。

 ずっと三人で楽しくやってきたんじゃん。

 俺はすごく楽しいよ。三人の、いつものこの感じが大好きだ。今だってそうだった。明良が今、そんなこと言うまで、俺は最高に楽しかった。明良はそうじゃないのか、明良はそうじゃなかったのかよ。なんで明良はそうやって俺達を捨てられるんだよ。

 明良にとって、俺やこいつの替わりなんて誰でもいいの? 

 誰だって簡単に成れちゃえるもんなの? 俺、お前の親友なのに?

 きっとこいつだってお前の大事な友達で、

「なんだそりゃ」

 涙の出てきた俺を見て、明良は上機嫌そうに笑う。

 揺れる列車のボックス席。笑顔を浮かべて、俺の親友が窓枠に肘をつく。

 そして、いつも通りだろ、と、ゆっくり指で示していく。

「ヒロと、俺と、六原と。いつも通りだろ?」

 俺と、明良と、――嫌だ。違う。見たくない。

 明良が示す三人目。

 絶対に見たくなかったのに、

「な? 三人組だ」

 窓ガラスにはしっかりと、俺の隣の席に座って、弁当を取り出そうと鞄を覗き込む六原君の姿が映っていた。あいつの姿はもうどこにも無い。

 立ち上がって他の席を見回しても、座席の下にまで目を這わせても、どこにも。

 違う、違う違う違う。三人目の席は六原君のものじゃない。

 それなのに、本当の持ち主の名前が、俺にはどうしても思い出せない。

 あぁ、あぁ、声を出せよ。お前、今こそ喋れよ。居るんだろ。居るんだろ? 姿までは無理でも、せめてもう一回声を出して、自分の名前を俺に教えろ。

 そしたら俺、明良に言うから。伝えるから。

 六原君なんかじゃない本当の三人目、お前がここに居るんだって、ちゃんと、


 どっどっどっど、という拍動に合わせて音楽が聞こえる。

 あれ、これが四曲目の合奏曲だっけ


「俺が……演奏するの、なんだったっけ」


 うっすらと目を開けながら、携帯電話のアラーム曲を切って。

「…………えぇ?」

 自分自身が口にした言葉に、俺は首を捻った。

 演奏って。いったいどういう夢を見てたんだ、俺。

 なんだか物凄く感情を揺さぶられた夢な気がするのに、もう全然思い出せない。

 体を起こして、ベッドから足を床に下ろす。

 ヒントは自分の起き抜けの言葉くらいだろうが、それが役立つとはあまり思えなかった。合奏なんて小学校の発表会の時以来していないし、俺が演奏出来る楽器は、音楽の授業で習ったリコーダーぐらいだ。しかもソプラノはともかく、アルトリコーダーは正しい抑え方が出来るかも、もう怪しい。

 それにしても、と、自分の首元に手を当てる。血管の暴れ具合が指に伝わった。

 なんで俺、こんなに脈が早くなってるんだろう。そのせいかは分からないけど、めちゃくちゃ頭も痛いし。寝覚めの気分は、かなり悪い。

 今日何か緊張するような予定があったか、を、考えようとして、

「ろくはら……君……」

 思い至ったそれと、さっきの夢が、一瞬だけ繋がって、すぐ消えた。

 すごく頑張れば思い出せそうな気もするけど、多分それは気がするだけで、この夢は思い出せないパターンのやつだ。もやもや、ぬめぬめ、そういう気持ちの悪いやつ。

 だったら、もう考えるのを止めるべきだ。

 自分に言い聞かせて、ベッドから立ち上がる。

 布団に張り付いているように思える夢の残りカスと物理的に距離が取りたくて、そのまま部屋の中を二、三歩歩いた。何故か一瞬自分が泣いているように感じたが、目元に触れても別に涙は出ていなかった。

 というか、高二で夢見て泣いて起きるなんて、無いよな。恥ずかしい。

 明日の朝からは頑張る、と、昨日の帰りに六原君は明良に言ったという。そして昨日の感じからだと、明良は六原君のことをいたく気に入ったみたいだ。だからきっと今朝の列車内では、いや、これから先もずっと当然のように、三人で座るんだろう。

 俺と、明良と、六原君で。

 机の上に開いたままのノートを振り返る。

 俺がどんなに望んでも、芳口駅から乗り込んでくるのは、あいつじゃないんだ。

 大きく零れ出そうな溜息を、深呼吸に変えて誤魔化した。

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