第20話


【田中弘人】


 不登校だった一組の生徒が復帰してきたという情報は、二限目の時点で俺のクラスにまで届いてきていた。

 後で見に行ってやろうぜと野次馬のような会話がされたり、去年同じクラスだったという生徒が彼はどんなやつだったかを他の生徒に話して聞かせたり、いつもより沸き立つクラスの様子に、そんなに騒ぐことかと俺は呆れた。

 二限目と三限目、三限目と四限目の間に、その姿を見てやろうとする生徒が入れ替わり立ち替わり一組へ向かう。そして、どうだったかの内容や感想を持ち帰っては、クラスで他の生徒に情報提供をする。

 別に転校生って訳でもないのに、みんな、よっぽど話題が無いんだな。

 これだけ騒がれて、また不登校になっちゃうんじゃないの。

 冷めている自分が周りに取り残されているのを自覚しながら、でも、おかしいのは周りの方だという気持ちが強かった。

 昼休憩になり、俺は弁当袋を持って教室を出ようとする。

「田中、天気良いし今日も外? 席使っちゃっていい?」

「いいよ、好きに使って」

 いつもと同じ行動に、前に昼飯を一緒に食っていた面子から、それ以上声はかからなかった。

 一組の教室前を通り過ぎながら、ついでに、という意識で中を覗き見てみる。

 教室の後ろの方に、明良の姿を見つけた。

 明良は、近くの席の机と椅子を寄せているところだった。同じことをしている何人かの中に谷崎君と野中君が居て、皆が集まってきている中央の席には一人、見慣れない男子生徒が座っている。どうやら、あれが噂の六原君らしい。

 膝上に置いた鞄を覗き込んでいるせいで、前髪が垂れて顔は見えない。

 その右隣から、寄せた椅子に座った明良が何かを言って、六原君は顔を上げないまま視線をそちらに向けたようだった。そして短く返したのだろう言葉に、明良だけでなく、谷崎君や野中君たちも笑った。すごく、楽しそうに。

 もう、すっかり仲良しかよ。……そうだよな。明良だもんな。

 一組の教室から目を逸らして、俺は廊下をさっさと歩く。

 あの人、六原君、今日から一緒に帰んのかな。あれだけ仲良くなってんだから、そうなるんだろうな。俺と明良と一緒に、列車に乗って、長い時間、三人で、一緒に。

 ――お前とはまだ、見かけでさえ一度も帰れてないのに。

 ぐっとお腹に力を込めれば、隣でがさりと音がした。

「まぁそりゃ仕方無いでしょ」

 此処から一番近いコンビニのレジ袋を片手に、あいつは笑った。

 袋の持ち手を指一本に引っ掛けて、今日のお昼はシャケ握りー、と歌うように揺らす。六原君のことなんて、全然気にしてないように。

 仕方無い。

 仕方無いって、だって、あぁ、そうか。お前からすれば、そうだよな。

 ごめんな、と謝る俺に、そいつは袋を揺らすのを止めた。

「なんででんちゅーが謝んの?」

 こっちを見るそいつの顔は、こいつが見えるようになった日から、ずっとずっとまっさらなままだ。眉も目も鼻も口も無い。

 ごめん。俺がまだ、お前の形をちゃんと取り戻せてないから。

 お前のこと、ちゃんと思い出せてないから。

「……だからさ」

 何かを言いかけたそいつを、覚えてるよ、と俺は遮る。

 第三者の前でもお前が出てこられるようになったところで、第三者……明良にお前を見ることは出来ない。それはちゃんと分かってる。それに、そうなったことでいちいちリアクションを取ってしまうだろう俺が、明良に変なやつだって思われる可能性が高まるって話も、忘れてなんかない。だから、お前は止めとけって言うんだろ。

 しばらく間を置いてから、そいつは、うん、と頷いた。

 けど、だけどさぁ。

 それでも俺、そうしたいよ。

 早足で階段を駆け下りながら、俺は思いをぶちまける。

 俺、せめて形だけでも三人組に戻りたいよ。俺と明良とお前の、三人組に。

「…………」

 そしたら俺、お前の言葉、その場で全部明良に伝えるよ。

 俺が間に入って、お前が言いたいこと、全部代わりに言ってやる。

 それで、列車に乗って行き帰り、三人でくだらない話をしよう。新作ゲームで徹夜したせいですげぇ眠いとか、英語の時に急ぐと未だに小文字のbとdをよく書き間違えるとか、ハゲタカ先生のネクタイのハイセンスさについてとか、めちゃくちゃどうでもいい話。お前が今まで仕方無いって諦めてきたこと、俺の出来る限りで叶えてやるから。

 全部が全部元通りにはならないだろうけど、前に俺らがそうしてたみたいに、三人組に戻りたいんだ。それが正しい形のはずなんだ。

 それなのになんで、なんでお前じゃなくて――

 下足場につき、沸騰するような気持ちのまま、上履きを靴箱上段に突っ込む。

 下段から取り出したシューズをコンクリートの三和土に投げ捨てるようにして、そこでようやく、我に返った。……他人から見たら今の俺、どんだけ素行悪いんだよ。

 落ち着くよう、ふぅっと息を吐いた俺の耳に、

「俺はね、でんちゅー」

 いつものはしゃいだ調子などまるで無い、そればかりか感情なんて全部抜け落ちたようなぺったりとした声が聞こえた。

「でんちゅーはそうじゃないんだろうけど、俺は、今の状態で充分満足なんだよ。俺は、本当なら世界に居ない人間のはずなんだから」

 三人組なんて元から無いんだよ、と、そいつは真っ直ぐに俺を見た。

 見た、って言っても、それは顔の向きからの判別なだけで。お前がどんな顔をしているのかも、俺には全然見えていない。全然、分かってやれない。

 それはお前の本音なのか? それとも強がりか? 

「だから……六原君と、ちゃんと仲良くしなよ」

 お前の声を聴いてやれるのは俺だけなのに。

 お前が言葉に含ませた感情が、俺には見抜けない。

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