第19話
俺が六原の顔を拝めたのは、朝礼も終わり、一限目の授業に入ってからだった。
表情筋の強ばったヒロを茶化しながら六原を待ち構えていた芳口駅、そこで列車に乗ってきたのは、通勤客だろうスーツ姿の女だけだった。俺は拍子抜けして、ヒロは安堵して、今日は休みなのかもなと話しながら、いつものように二人だけで学校に来た。
そして一限、古典の授業中。担当の小野山先生お手製の配布プリントを後ろへ回している最中、教室の前の方の扉が開き、六原は現れた。
あぁそういえばこんな奴も居たかも。第一の感想はそれだった。
ちょっと長めの前髪、ちょっと猫背気味の肩、ちょっと傾いた姿勢。やる気が無さそうというよりも、気張りのないゆるっとした立ち姿。
正直、柔道部だったとはまったく思えない。
特徴だけ上げれば根暗なやつにも思えそうだが、何故か全体を見た限りではそうは感じなかった。寺坂先生が否定した通り、確かに、陰気といった風ではない。
六原は教壇に近づくと、遅れましたごめんなさい、と入室届けを小野山先生に渡した。
低く平淡な声の謝罪と共にひょこりと頭を下げた六原に、久しぶりだねおはよう、と老年の小野山先生は笑ってそれを受け取った。
流石にあからさまな視線を向ける者は居なかったが、教室中の生徒全員が、六原の動きに気を向けていた。それに介した風でもなく、六原は教室を見回し、最後列に見つけた自分の席へ近付くと大人しく座った。
俺の席は、六原の一列前、四つ右横だ。その後の授業中、何気なく確認した様子では、六原はきちんと授業を聞き、ノートを取っていた。俺を含めたクラスメイトにちらちらと視線を向けられる以外、久々の登校ということを感じさせない姿だ。特に不安がったり、気後れしたりもしていない。何度か、ふわ、と下を向いて欠伸もしていた。
そんな感じなら、お前もっと早く出てこれただろ。
苛立ちや不満まではいかない、ただちょっとした引っかかりを覚えたまま、一限が終了した。
授業終礼の挨拶後、俺はすぐに六原の席に近づいた。
「列車通学って聞いてたんだけど、今日はどうした?」
教室中の目線がこちらに向いている。特に、谷崎が興味津々といった表情を浮かべているのを視界の端に入れながら、俺は六原にそう訊いた。
筆記用具をしまっている途中だった六原が俺を見る。
眠たいのか、機嫌が悪いのか、元々細めの目はあまり開かれていない。少し無愛想にも見えるその顔から、
「久しぶりの登校で、時間感覚があれで」
返ってきたぼんやりし過ぎの解答に、は、と意味の無い短い声が出た。
久しぶりの登校は分かるけど、……時間感覚があれってなんだよ。
「乗り遅れたのか?」
確認をとれば、六原は時計を見てから付け加える。
「ちょっと自分でも寝坊もしたし。あとは母さんが」
「起こしてくんなかったのか?」
「まぁ、そういうことにしときたい」
こくんとカラクリのように頷く六原に、なんだこいつ、と俺の眉が寄る。
ヒロとは違った風に面倒臭そうな、だけど、今まで周りには居なかったタイプだ。
「そういうことにしときたいなら、もうちょっと言い方頑張れよ」
そいつの妙な言い回しに乗っかってそう言うと、あれ、と六原はまた首を傾げた。
「……えー……、すずかけ、さん?」
確認するように言う六原に、あぁ鈴掛、と頷く。
鈴掛さん、と自分に覚え込ませるように口にしてから、
「鈴掛さんって、柔道部に居たっけ」
六原は、ちょっと眉を寄せてそう言った。
「居ねぇよ。まず俺、部活入ってねぇし」
「あ、そう。ごめんなさい」
その謝りにも相槌にもまるで感情は込められていなくて、とりあえず口に出しておきました感がバリバリである。話を続ける気あんのかこいつ。
「で、柔道部がなんだって?」
さっきの質問の理由を促せば、六原は微妙に口の端を上げた。
「前、似たようなこと言われたなと思って、部活で」
「なんつって?」
「『意見を通したいのなら、せめて言い訳ぐらい頑張らんか』」
少しだけ可笑しそうな口調でそう言う六原に、俺も呆れつつ笑ってしまっていた。
言ったの、例のアツい橋田先輩なんだろうな。あの時はついていけないと思った先輩、今ならアンタの気持ちもちょっと分かる気がする。
こんな調子でただ辞めますって言われたら、喝を入れたくもなるわ。
「どうせ部活辞める時に言われたんだろ、それ」
先週足羽から聞いていた話を思い出しながら言えば、そうですね、と六原は何故か敬語で頷いた。
「なんで辞めたんだ? 嫌になったのか?」
それに対して、
「もういいかなと思って。特に続ける理由は無く……無いから、言い訳も特に無く」
頑張れって言われましてもね。
そう言って笑みを引っ込めた六原が、今度は真面目に悩み始める。腕を組み、思い出し困りをしているその姿に、俺はとうとう耐え切れなくなった。
「お前、お前さぁ、……変なやつだな、お前!」
突然笑い出した俺に驚いた様子も無く、
「そうかもね」
相変わらず平淡な、でも、微かに笑いが混じったような声で言う。
――なんだこいつ、ほんとに。
ゆるい態度で、ぼけっとしていて、テンションの上下幅が著しく狭い。恐らく、人によっては話していてイライラするタイプだろう。
だけど俺には、物珍しさが興味を引いた。
「だったら初めから入ってやんなよ。新入部員に喜んでたのに理由もなくまた廃部の危機にされちゃ、真面目にやってる方はそりゃ恨む」
そう言って笑えば、やっぱ俺恨まれてるんだ、と六原は眉を寄せた。
「廃部危機は俺一人抜けてどうこうの話じゃないと思う、んだけど、まじか」
「マジよ。後輩にグチグチ語り続ける程度には根にもたれてんぞ」
「あらー……面倒臭い」
ぼそっと落としたその言葉に、俺と似たものを感じた。
「今までは家に引きこもって逃げられてたけど、今日からはそうはいかないからな。お前やめろよ、面倒だからって明日からまた不登校になろうとか考えんの」
忠告するようにそう言えば、それは無いと思う、と六原は頷いた。
「家、俺、飽きた」
ブツ切りの単語を並べたそいつに、俺は三度目の同じ感想を持つ。なんだこいつ。
「マイペースっつーより、お前ただの自己中じゃねぇか」
六原に対する気持ちは、常に呆れと笑い半々だ。
なかなか失礼な発言をされたにも関わらず、
「自己中ですよ」
と、六原の反応はむしろ、何を言ってるんだと言わんばかりのものだった。開き直っている訳でもなく、かといって当然申し訳なさそうな感じでもなく。
加えてやっぱり変なやつ、と言えば、
「というか俺って、マイペースなの?」
と、一拍遅れて六原は憮然とした風に小首を傾げる。
「知らねぇよ」
いや、知らなかったよ。今日まで知らなかったけど、
「けどまぁ少なくとも、今の俺から見てのお前はマイペースだわ」
で、期待してた以上に面白い。
「マイペースって微妙だな。響きが」
嫌でもないし嬉しくもない、と眉を寄せ目を伏せた六原に、成程、と俺は思う。
寺坂先生に見抜かれていたようでかなり悔しいけど、こいつとは気が合いそうだ。
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