**5章**
第18話
**5**
【鈴掛明良】
列車を待つ客の姿もまばらな地元駅のホーム。
それまで欠伸をしていたヒロは、うっすら涙の張った目で俺を見た。
ぱちぱちと瞬きをして、それから眉を寄せて、
「なにそれ。聞いてない」
月曜の朝だということを差し引いても、まったく活気のない声で言った。
「今日から俺んとこの不登校生が復帰するってのは、金曜に言ったろ」
鞄を肩に掛け直しながら言えば、ヒロは不承不承といったように頷く。
「そいつの家、芳口駅近辺。で、列車通学らしい」
「だから。そこ、聞いてないっつの」
返された言葉が思いのほか強い口調で、少し驚いた。
それを疑問に思いつつ、
「そうか、言ってなかったか、悪い悪い」
と、俺はすっ惚ける。
そんな俺の態度がわざとだと分かっているのだろうヒロは、賢明にも文句を言うのを諦めたようだ。その代わりに、明らかにまだ納得していませんという顔で黙ってこっちを見てくる。週明けの朝から面倒の種が芽吹いたことに、思わず舌打ちが出た。
先週金曜の帰り、職員室前で俺を待っていたヒロに、呼び出し理由は説教ではなかったと伝えた。じゃあ何だったの、という問いには、
「来週から不登校のやつ出てくるから、気に掛けてやってくれだと」
とだけ答えた。
「へぇ。なんで明良に?」
「さぁ。保健委員だからじゃね」
人柄を信頼されて、なんて絶対に言いたくなかった俺が口にした適当な理由。まったく何の根拠も無いそれに、六原は病弱なのだとでも思ったのかヒロは納得したようだ。
「あぁ、ふーん。まぁ一組なら俺には関係無いか」
その時の話はそこで切り上げられたため、ヒロは今日から通学仲間が増えることを知らなかった。
何故俺が頼まれたのかというヒロの質問に対して「来る方向が六原と同じだから」というもう一つの答えを出さなかったのは、単なる思い付きで、ヒロにサプライズをかけてやろうと思ったからだ。
睨みも混じったような目つきを止めないヒロに、俺は言う。
「六原と仲良くなれば出来るだろ、ちょっと前にお前が言ってた、三人組」
マイペースで、一人で居ることも多い、寺坂先生曰く俺と気が合いそうな生徒。
六原についての事前知識から、もしかしてヒロもそいつとなら上手くやれるんじゃないかと思った。だから先にこのことを言って、土日を挟んでまで緊張をさせておかない方がいいかと俺は考えたのだけども。
「……そうだね。……三人組か」
俺と明良と、その六原君で。
そう言いながら俯いていくヒロの様子からすると、その気遣いは逆効果だったようだ。自分の失態とヒロの面倒臭さ、その両方に溜息が出る。
「今日じゃなくて金曜に言ってたら、何か違ったのかよ?」
呆れを口調に乗せて言えば、ヒロはしばらく黙り込んでから答えた。
「少なくとも、心の準備は出来た」
その声は、いつもよりずっと硬い。
まだ見もしない――いや同級生なんだからどっかで必ず姿を見てはいるんだろうけど――相手に早々と人見知りを発動させているのか。そしてその緊張から、俺にやつあたりをかましてきているのか。お前って本当に初対面のやつとは、
と、そこまで考えて疑問を持った。
「……ヒロ、お前、なんでそんな不機嫌なんだよ」
「なんでって、だから、明良がちゃんとその話をしといてくれなかったからだろ!」
ぐっと眉を寄せるヒロに、そうじゃねぇよ、と胸中で否定する。
初対面の相手と会う前のヒロは、自分がどういった態度をとればいいか自信が持てずに気弱になっていることが多い。
心の準備をする時間を与えなかった俺に対して怒る気持ちを持つのは仕方ないことだろうが、今のような事態なら、間近に迫りくる対面時間への緊張の方が増して、怒りを後回しにし、いつも以上に気弱になっている方が普段のヒロから考えれば自然だ。少なくとも、以前そういった場面に陥った時(今回と同じく俺が陥れた時)にはそうだった。
今のように、人見知りにより完全に機嫌を悪くしているパターンは珍しい……というより、俺が知る限りでは初めてだ。
最近、こいつ、ほんと性格変わってきたなぁ。
自主性が出てきたっていえば聞こえはいいけど、面倒臭いのは前と変わりない。そんな気持ちを抑えて、俺はヒロを宥めにかかる。
「はいはい、悪かったって。寺坂先生に言われたのは芳口からなら一緒に来れるだろうって提案なだけで、絶対列車の中から話しかなきゃいけないって訳でもない。お前が六原と関わるのが嫌だってんなら、学校着いてから俺だけで話すわ」
俺の言葉を、ヒロは黙ったまま聞いている。
その目が迷いに揺れているのを見て、新しい友達と知り合ういいチャンスだとは思うけどな、と誘うように付け足した。
ヒロが、現状でも満足出来ているっていうのは嘘じゃないんだろう。ただ、知り合いの多い俺と比較して、人付き合いが少し苦手な自分のことを不安に感じていることも、本当で。……俺は自分も人付き合いが上手い方ではないと思っているんだが、個人的な意見は今は別として置いておく。
俺は、俺が間に入ることでヒロの交友関係が広がるなら、出来るだけそうしてやりたいと思っている。お前は何様だというような言い草だが、そうでもしないと、こいつはうっかり自分の世界に入っていってしまいそうで怖いのだ。
昔からそういう傾向がある奴だった。一人で閉じてしまうんじゃないか、お前はどこに行っちゃうんだよ、と心配になる。もっと自分に自信を持てばいいのに、一旦穴にはまってしまうと、こいつは自分の内へ内へと思考を向けていく。
自分の世界を確立するのは良い、だけど外との、そして俺との繋がりまで切ってしまわれちゃ、困るし嫌だ。一人で居るヒロを学校で見る度になんとなく気にかけてしまうのは、多分そういう気持ちがあるからだ。
エセ親心か、なんだろな。「置いてくな」ってのが、一番近い気がする。
会話の途切れたホームに、列車到着前のアナウンスがかかる。その後の注意音に紛れるようにしてヒロが小さく言った。
「嫌ってわけじゃない、けど」
「おう。けど?」
「俺、その人のこと受け入れられるか自信無い」
真面目くさってそう言うヒロに、俺はしばらく反応が返せなかった。
受け入れられる、って、なんでそこまでの話になる……?
「お前さぁ。深く考えなくていいんだって、こんなもん」
話してみて、気が合えば好きなだけ仲良くすりゃあいい。そうじゃなきゃ、適当な距離で付き合えばいい。知り合う前から相手を全部受け入れる覚悟なんて出来る訳がない。そんな便利で完璧な友達なんて、誰も用意してくれないんだから。
笑う俺に、あまり気乗りはしなさそうな様子で、
「……分かった」
と、それでもヒロは頷いた。
目に見えて近づいてきた列車が空気を揺らす。
乗車口が停止するあたりに寄っていく数人の客に、俺たちも加わる。俺の前に立つヒロの表情は、やっぱり硬いままだ。ごごぉん、というような列車の重い音を感じながら、俺はふと、自分の拍動が少し強くなっているのに気が付いた。
あまりにもヒロが緊張してるもんだから、それが伝染ったか?
そう考えて、ついつい苦笑が浮かんでしまう。
六原笙太。その存在でここまでなったんだから、せいぜい面白いやつだといい。
勝手な期待をかける俺の前で、ぷしゅう、と列車の扉が開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます