第17話
【田中弘人】
職員室の扉が明良の背中を隠したのと同時に、俺は話しかける。
なぁ、そうだよ、こうしたら良かったんだ。
「こうしたら良かった?」
元からそこに居たかのように、そいつは俺の隣に立っている。
ちょっと小首を傾げているそいつと共に、通行の邪魔にならないよう、職員室から少し離れた掲示板の前に移動した。人目へのカモフラージュのため、読む気も無いスポーツ新聞の切り抜きを眺めながら、自分の考えた名案を話す。
俺が、お前の発言を明良に伝えたら良いんだよ。
そいつは掲示板を背もたれにするようにして立ち、
「俺だけに見える者がそう申しておりました、って?」
何が良いんだよ結局でんちゅーイタい奴じゃん、と呆れたように言った。
そうじゃない、と俺はそいつを見た。
明良、勉強になった、って言ってたじゃん。
「……もしかしてさっきのネタ?」
そう! あの明良に物教えたのは、俺じゃなくてお前だよ。
誇れ誇れ、と、野球の試合結果を目で追いながら、俺はそいつへ強く伝えた。
さっき明良に話した、『天使が通った』という小ネタ。あれは俺が、昼休みにこいつから聞いたものだった。調べているものが日本の妖怪から海外の妖精やらゴブリンやらに繋がっていった先で、ひょいとこいつが差し込んだ話題。
さっきのそれと同じように、例えばこいつが明良に言いたいことを、俺が、俺の発言として明良に向けて言う。俺が見聞きしたものはこいつへ伝わるはずだから、こいつはそれを聞いた明良の反応を知ることが出来る。
明良から俺に返ってきたその発言への感想は、明良本人は意識してなくても、こいつに向けたものだ。俺を仲介したちょっと遠回りなコミュニケーションだけど、こうすれば明良とこいつ、二人を繋ぐことが出来る。
これ、俺としては良い案だと思うんだけど。
自信を持って隣のそいつを窺うと、
「…………うん」
と、返ってきたのは物凄く小さな声。
なんだよ、嫌なのか、なにが駄目なんだ?
折角良い案だと思ったのに、と思わず臍を曲げそうになった俺に、いや違うそうじゃなくて、と慌てたようにそいつが言った。
「あの、逆。……すげぇ嬉しい、正直。そっか、こういう方法があるんだ。さっきの、俺、アッキーと話せたようなもんだよな」
はぁやばいにやける、と、そいつは両手で顔を覆う。
元々お前の顔見えてないんだけどそれして意味あんの、と冷静な言葉を思い浮かべて伝えつつ、でも、そんなこいつの反応を見てる俺の顔もにやけていて。……っていうか、隠した方がいいのは他人にも見える俺の方じゃん。
今気付くとか、やっぱり俺、全然冷静なんかじゃないわ。
でもだって仕方無い。まさかこいつが、ここまで喜ぶとは思ってなかったから。
事あるごとに自分を非実在なものだと言い切り、俺以外に存在を知られることなど有り得ないとして、明良とコミュニケーションを取れないのも当たり前だと受け入れていたこいつが、本当の本当の本当のところでは、俺と同じく、やっぱり諦めきれていなかったっていうのが、分かったから。それが俺も、すげぇ嬉しい。
ごめんな、もっと早く思いつくべきだった。
そしたらもっと早く、元通りの形とはいかなくても、三人組に戻れた。
俺が本心から申し訳なく思っていると、そいつは顔を上げてぶるぶると首を振った。
「あーだから違う、それは、……俺はきっとこの先アッキーには見えることはないし、実在はしてなくて。そこまでは……望めないって、さすがに」
さっきまで喜びを隠せず全面に出していたくせに、今更、俺と自分自身に何かを言い聞かせるようにそいつは言葉を羅列する。
それが逆に俺の心を固めさせた。そいつから目を離し、視線をスポーツ新聞に戻す。
俺以外に見えないからなんなの。実在しないからどうした。関係ないよ。
それだって、まだ今はそうだって話なだけだ。
俺がお前のこと思い出してきたみたいに、なにかのきっかけで、もしかして明良もお前のこと思い出すかもしれないじゃん。
「ちょっと待って」
想像と期待を膨らませる俺に、硬い声で静止がかかる。
「なにかのきっかけって、何。……もしアッキーに俺のこと話すつもりなら、それはやめてよ。俺が昼に話したこと、全然聞いてくれてなかったの?」
それとも、と、そいつは区切る。
「――『忘れた』?」
薄く笑いながら囁くような。
その単語が耳に届いた瞬間、焦りや不安が首筋を撫でた。
声に出してしまわないように歯を食いしばって、俺は頭の中だけで叫ぶ。
忘れてない、忘れてなんかない、これ以上お前に関することを何一つでも忘れるもんか。せっかくここまで連れ戻せたのに、この世界からまたお前を消してたまるかよ。
静かな廊下の先で、誰かの足音が聞こえた。
反射的にスポーツ新聞に目を戻し、耳を澄ます。足音は遠ざかっていった。こっちに来る人のものではなかったらしい。
俺の隣で、肩をすくめ、いつもの調子に戻ったそいつは笑った。
「その場のノリとはいえ、あれだね。昼にでんちゅーのことそう呼んだけど、薄情者なんて言葉ほど、でんちゅーに似合わないもんも無かったわ」
付け足しのように、そして俺ほど卑怯者という言葉が似合うやつもいない、と呟く。
何度も読んだ新聞記事に顔を向けたままそいつの方へ目だけを向けると、たぶんそれに合わせたタイミングで、
「まぁつまるところ俺からのお願いっ」
パンっ、といい音を鳴らした両手を顔の前に掲げ、そいつは小首を傾げてみせた。
「アッキーには俺のこと、今まで通りナイショにしといてっ?」
ポーズに合わせて裏声を使っているあたり可愛らしい女の子をイメージさせたいのだろうけど、こっちから見えるのはただの男子学生服を着た妖怪だ。
絶望的に、可愛くない。むしろ不気味だ。
「……いやぁ、正直、俺もやるんじゃなかったって思ってる。けどさ、俺にここまでさせたんだからね、約束してよ」
させたもなにも自分でやったんじゃん、と思いつつ、俺は了解した。
俺だって、明良からもう一度「信じない」と言われるのは、まだ怖い。
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