第16話
【鈴掛明良】
それまで席の隣をじっと見上げていたヒロは、俺が声をかける前に、弾かれたように俊敏な動きでこちらを振り向いた。
「明良。今日は一組長かったな」
帰るか、と立ち上がりかけたヒロを止め、どっちがいい、と訊く。
「この教室で待つか、職員室前で待つか」
「なに、なんで? ……呼び出し? お前何やらかしたんだよ」
「それクラスでもめっちゃ言われた」
終礼直後、俺は担任の寺坂先生から、後で職員室に来るようにと言われた。
そんな説教前のテンプレートのような言葉に、まだその場に残っていた連中から散々に冷やかされた。当然のことながら、俺に思い当たる節はまったく無い。
いったい何の濡れ衣だってんだ。
そんな疑問を浮かべつつ、とりあえず一番近くでうるさかった谷崎に軽い蹴りを入れ、俺はヒロのクラスに向かったのだった。
「じゃあ職員室前。付いてくから、終わったらそのまま降りよ」
立ち上がるヒロを今度は止めない。三組の友人何人かに挨拶をしてから、俺はヒロと教室を出て廊下を歩いた。
「明良は、最近の昼休とか何やってんの?」
ヒロからの唐突な質問に、俺はその意図が掴めず少し面食らう。だが、別に黙ることも偽ることもねぇしなとも思い、正直に答えた。
「クラスで駄弁ったりトランプしたり。気が乗れば外のサッカーに混ざる」
「ふーん、そっか」
ふーん、そっか。じゃねぇよ。
自分から訊いてきた割に、話題を広がらせる気は無いらしい。思い付きで喋る癖は俺にもあるから、口に出して批難はしないけど。
「つーかお前はあれか、最近園芸にでも目覚めたのか?」
「え、なんで?」
「裏庭。花壇のとこ。最近よく居るだろ、昼休」
どういう心境の変化だよ、と階段を下りながら言えば、
「……なんなのお前」
「いやぁー、うん。なんか……へへ」
ヒロは俺の顔を覗き込んでから、何故か嬉しそうな顔をした。
最近、いや、思い返せば高校に入った頃からだろうか。これまではよく分かっていた筈のヒロの思考回路が、本当に分からない時が出来てきた。
それはクラスが別になって共有する時間が短くなりヒロにまつわる情報が少なくなったからかもしれないし、もしかして実は今までのも、分かっていると俺が勝手に思い込んでいただけなのかもしれない。
それでもまだ他のやつよりはヒロのことを理解している自信はあるが、
「言っていい? 言うわ。お前、めちゃくちゃ気持ち悪い」
今回のこの笑顔の意味は分からない。怖い。あとやっぱキモい。
ひっどいな、と言いながら、ヒロはそれでも笑っていた。なんだこいつ園芸だけじゃなくてそっちの気にまで目覚めたか。
俺の冷えた視線に気付いてか、ヒロは慌てて口調を取り繕った。
「あ、まぁそれで、園芸? 園芸には別に興味無いって。裏庭は、最近知ったなんか落ち着くポイントなんだよな。天気良くて風がある時とか、すげぇ気持ちいい」
自慢気に言うヒロに、俺はヒロのハブられ疑惑を完全に消した。場所が無いから仕方なくではなく、ヒロは本当に自分から望んで、昼休みをあそこで過ごしているようだ。
ただそうは言っても、と、俺には疑問が浮かぶ。
「休み中まるまる一人で裏庭? 暇じゃね?」
「……そうでもない。それに、今日は図書館にも行ったし」
あぁそ、と相槌を打てば、うんそう、との真面目な返事。
なんとなく、しばらく間が開いた。二人分の安っぽい上履きスリッパの音だけが並んで聞こえた、たぶん時間にして五秒くらいの間だ。
職員室まであと数メートルも無いところまで来た時に、
「あぁ、今の!」
ヒロが思い出したように明るい声を出した。
「今の、なんか会話の合間にちょっと沈黙が降りたときのこと、『天使が通った』って言うらしいよ。これ、明良でも知らなかったんじゃない?」
「いや、まぁ……知らなかったけど」
「だろ! 勉強になった?」
「あぁうん、勉強には、なったな」
その言い方じゃお前も最近まで知らなかったっぽいのに、そんなに勝ち誇ったかのような態度されると腹立つな。つーかどこで仕入れたんだ、そんな知識。
天使って。お前が天使って。似っ合わねぇ。
「じゃ、俺ここで待ってるから」
俺の感想も知らず、ヒロは得意気にそう言う。
それに片手を上げて答えて、俺は職員室の扉を引いた。
「お、来たな鈴掛」
コーヒーカップを持ち上げかけていた寺坂先生は、近づく俺に気付くとそれを机上のコースターへと戻した。別に俺に構わず飲んだって良いのにと思いつつ、だけど俺は寺坂先生のそういったとこを好ましくも思っている。
「お前、列車通学だったよな。時間大丈夫か?」
「まだ割と時間あるんで」
「あぁ、じゃあ座って話すか?」
腰を浮かせた寺坂先生が職員室内にある小さな応対スペースを指差す。
すぐに首を振り、いやいいっす、と俺はそれを辞退した。長々とヒロを待たせても居られないし、早く話を終えられるならそうしたい。
「そうか。まぁ、説教じゃないから安心しろ」
座り直し、朗らかに笑う寺坂先生に、俺は隠さず溜息を吐いた。
「だったらあの場であいつらにそう言ってくださいよ」
俺が谷崎たちにうるさく冷やかされていた時、寺坂先生はちょっと笑いを堪えるようにして、しかし何も言わずに先に教室を出て行ったのだ。三十代後半のこの先生は、あまりお堅くなく冗談の通じる教師として生徒からウケが良い。
優良生徒の俺が呼ばれるなんておかしいと思った、と言えば、
「そう、そんなお前だからこそ頼みたいことがある」
と、寺坂先生はこっくり大きく頷いた。
その持ち上げ方と「頼みたいこと」という言葉に、自然と眉間に皺が寄る。なんだ、面倒臭いもんじゃないだろうな。
「うちのクラスに、ずっと休んでる六原笙太って生徒が居るの知ってるだろ?」
タイムリーにも、それは昼休みに話題に出たばかりの名前だ。軽く頷いて、そりゃ知ってますけど、と返す。
「あの、後ろの席の」
「そう。その六原が月曜から出てくるから、鈴掛、様子見てやってくれないか」
「はぁ」
近々復学するらしいって、ほんとに近かったな。
大澤の言葉を思い出しながら、
「……いや、なんで俺が?」
俺は当然の疑問を訊ねた。
寺坂先生は組んでいた腕を外し、ぱんぱんと片手で俺の腰横あたりを叩く。
「お前はほら、優良生徒、だからなぁ。友達も多いし、面倒見も良いし。あと、六原は家が芳口の駅前地区だからな。通学もそこから乗ってくる。一緒に来れるだろ?」
確かに芳口といえば、俺の地元駅より一つ学校側に近い駅の名前だ。
そこで乗り降りしていたような生徒が居たかと思い出そうとしつつ、寺坂先生の手から逃げるように少し身をよじった。過度な期待や信頼を持たれるのは苦手だし嫌いだ。
「谷崎とかが気にしてるみたいでしたし、別に俺がわざわざ関わっていかなくても、すぐにクラスに慣れるんじゃないかと思いますけど」
交わされていた会話を思い出しながらそう言えば、ほぉ谷崎が、と寺坂先生が感心したように言う。しかしすぐに、再び腕組みをして低く唸った。
「うーん……、まぁ、あいつにぐいぐい引っ張られてみるのもあり、か?」
寺坂先生が口にする思考に、あぁ、と俺は思う。
その六原ってやつに、谷崎みたいな騒がしさが合うかどうかが心配ってことか。去年接する機会が全然無かった俺は知らないが、同じクラスだった足羽は、六原のことを大概一人で行動しているタイプだったと称していたし。
「六原って陰気なやつなんすか?」
「いや陰気じゃない」
俺の質問に対する寺坂先生の返答は速かった。
その単語から感じられるマイナス感を否定しなくてはという気持ちからの素早さかと思ったが、寺坂先生の表情からするとそういう訳でもなく、ただ本当に、いやそれは違うんだよなという、単語の意味への否定のようだった。
「ただな、なんというか……マイペース。非常にマイペースなんだ、六原は」
妥当な表現を思い付いたと、寺坂先生は何度も頷く。
俺も口の中で、マイペース、と繰り返してみた。そして、これはまた耳触りの微妙な単語だな、と思う。良い意味にも、悪い意味にもとれる。
ふぅん、と零した俺に、興味が出たか、と寺坂先生も笑う。
「まぁ、どんなやつかなと思う程度には」
「面白いやつだよ。なんだかんだで谷崎のノリにも付いていけるだろうし、もしくは特に惑わされずに、完全に自分のペースを保ち続けるかもな」
「だったら、別にそんなに心配する必要無いんじゃないすか」
俺の言葉に、そうなんだけどな、と、何故か寺坂先生は苦笑を浮かべた。何が「だけど」なのかを追及する前に、押し切るように言葉が続けられる。
「先生が見た感じでは、鈴掛と気が合うと思う。仲良くしてやってくれ」
「……そりゃ先生からすりゃ、担当しているクラスの生徒の不登校って問題が折角片付こうとしてるんですしねぇ。復帰したはいいけどクラスに馴染めずにまた不登校逆戻り、なんてことになっても困るでしょうしねぇ」
冗談と嫌味を込めてそう言えば、身も蓋もない言い方だな、と俺のクラスの担任は豪快に笑った。俺の態度を責めようとする気などまったくない。
「まぁ、ほかならぬ寺坂先生の頼みだから、仕方なく協力してあげましょうかね」
俺がそう了解を出せば、ありがとな、と寺坂先生は笑い皺を深くした。
「もちろん、鈴掛だけにすべてを押し付けるつもりはないから、安心しろ」
「なに当たり前なこと言ってんですか。俺、そんな責任持てませんし、持つつもりありませんからね。頼む人を変えるなら今のうちっすよ。基本的に、他人のことなんてどうでも良いって考えだし」
俺は自分のこと、あとはまぁ身の周りのちょっとくらいのことで手一杯だ。知らない他人のことまで考えられるか、面倒臭い。
それでも良いのかという意味を込めて寺坂先生を見れば、
「大丈夫。自分ではそう言うけど、お前は世話焼きだし、結構しっかりしてるから。先生の選択眼を信じて、自信持て」
そう言って、顎の横あたりで拳をグッと握ってみせた。
まぁ、ここまで言ったんだからハードルは下がった筈だし、あとは自分に面倒の無い程度でその六原とやらに関わっていけばいいだろう。
「じゃあ、そういうことだから来週から頼むな」
「はぁーーーい」
厄介な頼み事の意趣返しとして不必要に長い返事をし、踵を返す。
職員室を出る前に振り返った時、寺坂先生はコーヒーを口に運んだところだった。ありゃもう結構冷めてるだろうな、と俺は思う。
さて、で、あいつ。ヒロは何して待ってるだろう。
このことをなんて話そうか。
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