第12話


 ***


「今日頑張ってたな」

 体育館の男子更衣室に向かう途中、石田からそう声をかけられた。

 石田は、グループ作業なんかで時々一緒に組む、飯嶋と同じくクラスメートの中では比較的話す方の生徒だ。

「えっ。えー……そう、見えてた?」

 曖昧に答えると、うん、と石田は笑う。

「途中、めちゃくちゃ本気で走ってたみたいだったし」

「あー、うん、ちょっと。……たまにはちゃんと動いとかないとマズいかなと」

「田中って帰宅部だっけ。確かに体育でぐらい運動しないと、すぐナマっちゃうぞ」

 そう言って、石田は前を歩くグループの方に合流していった。

 なんとなく詰めていた息を吐く。

 どうにか変には思われなかったようだけど、……お前のせいだぞ。

「心外だね。勝手にムキになったでんちゅーのせいでしょ」

 組んだ手を頭の後ろにあてながら現れたそいつは、ふふんと笑ったようだった。

 体育の授業の間中、俺が誰かに話しかけられない限り、こいつはほとんどずっと隣に居た。おかげで俺も、そんなに好きじゃない体育を久しぶりに楽しむことが出来た。

 一度存在を受け入れてしまえば、こいつはめちゃくちゃ俺と気の合う、良い奴だった。まさに俺が考えてたような、昔から知っていたような、そんな感じ。

 でも、お前の足の速さは変えてやるからな。

 結局俺は、あの後こいつに追いつけなかった。二メートルの差が最後までどうしても縮まらなかったのだ。それが悔しくて脳内で呟けば、無理だよ、とそいつは言う。

「俺はでんちゅーの設定から『出来上がっちゃった』存在だし。でんちゅーが前に一回そうだったって決めちゃったことは、もう変えられないんだよ。だから、俺は平均的に見ればそんなに足速くないけど、今のでんちゅーよりは速い」

 つまり俺に勝ちたいなら、と、そいつはビシリと指を立てた。

「でんちゅーが特訓するしかないぜ!」

 マジかよ。そう簡単に好きなようにはいかないもんらしい。

 更衣室に入り、俺は制服に着替える。

 その隣でそいつまで当然の如く普通に着替えをしていて、割と驚いた。こいつは、服装とかもパッと瞬時に変わるもんだと思ってた。男の生着替えとか見えたって別に嬉しくもなんともないから、俺が服を着替えさせるような意識をしてる訳でもない。

 それを脳内で訊ねれば、あぁそれね、となんてことないように答えが返る。

「でんちゅーは俺をファンタジックなものとして考えたんじゃなくて、ちゃんとただの男子学生として考えてくれてたでしょ。だから、こういうとこは別にでんちゅーが特別に何か意識をなくても、大体でんちゅーと同じになれんの。なんていうのかなぁ、自動補正機能みたいなもんじゃないの?」

 便利っていうか都合が良いっていうか、なんとも上手いことしてある。妙に感心していると、早々と着替えを終えたそいつが言った。

「でもさぁ、俺、クラスでの授業は受けられないんだわ」

 え。なんで。

「だってうちのクラス、空いた席無いじゃん。新しく机置くスペースも無いし。だから俺が座るとこ無いの。俺が増えた教室、でんちゅーが想像出来ないから」

 体操服を畳むそいつに、なんだか申し訳ない気持ちが起こる。

 こいつが世界から消える前には、どこかにはその席があったはずなんだ。でもこいつが言う通り、俺のクラスには机を増やすスペースが無い。

 ……って、あれ、もしかしてお前って、俺と別なクラスだったの?

 俺の疑問を察したらしく、そいつは、まぁどうしてもそーなるよねぇと言う。だけどすぐにひらひらと手を振って、軽い口調で続けた。

「まぁ、そこまで気にしなくっていいよ。授業中以外は俺も同じ教室に居られるし、今みたいな体育や、音楽室とか決まった席のない特別教室なら、一緒に受けられるし。っていうかでんちゅー、成績とか得意科目とかは無駄に細かく考えてくれちゃってもー……俺もしかして万全な頭になれたかもしれないのに、悔しいわ」

 どうせなら成績優秀のサボリ魔設定にしてくれれば良かったのに、とそいつは笑う。だけど俺にはその言葉の意味が分からなくて、どういうこと、と首を傾げた。

 お前みたいな存在でも、学力って必要なのか?

「うん、話すから、着替えちゃいなって」

 完全に手が止まっていた俺を、そいつが促す。

「実生活に問題出ちゃってんじゃん」

 うるさい。っていうか、お前が言うな。

 着替えを再開した俺に、はいはい、とそいつは適当に頷いた。

「で、勉強のことね。実際、俺に学力が必要なのかどうかは微妙。けど、さっきも言ったけど、俺はでんちゅーの普通の友達だから、当然でんちゅーと同じように学生らしく勉学に頭を悩ませてんの。それに席が無いとはいえ同じ授業を受けてることにもなってるから、授業内容や学校で起きた出来事も、でんちゅーが知ってるのと同じことを俺も知ってる。……例えばこの間の、ハゲタカ先生のサスペンダーがぶっ壊れたこととか」

 あれば爆笑した、と、そいつは言う。

 それは先週木曜、化学の授業で起こった事件だ。

 化学担当の揚田勝也――生徒の間ではその頭の様子と名前をもじって密かにハゲタカ先生と呼ばれているその教師が、実験をしている机の間を見回っていた時。バチッと何かが外れた音がして、同時にハゲタカ先生が飛び跳ねた。両足を揃えてピョコンっと。

 その瞬間を目撃した俺を含めた何人かは、まずそれだけでも笑いそうになった。だけど薬品を使ったなかなか繊細な実験中だったこともあり、懸命に堪えたのだ。だけどその頑張りもすぐに無駄になった。

 白衣の下に違和感を覚えたらしいハゲタカ先生がそれを脱いだところ、そちらを注目していたその場の生徒全員の目に写ったのは、先生の背中にびよよんと下がる、太くて黄色いサスペンダーだった。

 先生その歳で黄色って。サイズどう見ても合ってないし。なんで無理して留めちゃったんですか。それ自分で買ったんですか。っていうかさっきのジャンプの仕方は無いわ。

 色んなツボが刺激された瞬間、化学室は大爆笑の渦に包まれたのだった。

 その時の力無く揺れるサスペンダーを思い出し、俺は思わず吹き出す。その場に居なかったはずのそいつの、こういうことだよ分かったかい、と言う声も、思い出し笑いを堪えているように震えていた。

「どうやってかはよく分かんないけど、その辺は有難いよね。謎の力、万歳」

 あぁ確かに、俺って思ってたより高性能だったみたいだ。自分の知らないところで、ここまで勝手に都合良くしてあるなんて。

 ベルトを締め直す俺に、そうそうあとさ、とそいつが言う。

「俺、でんちゅーやアッキーに対しては、すっげぇ負けず嫌いだから」

 よく知ってると思うけど、と言うそいつに頷く。話の繋がりはよく分からないけど、それに関しては、分かっている。

 そんな俺の反応に、そいつは腰に手を当てると、宣言するかのように言った。

「俺はでんちゅーの頭ん中で生まれたとはいえ、もう形になっちゃったからね。こっから先の俺は、今まででんちゅーが考えて出来上がった、今の俺の頑張り次第で変われんの。つまり、今後の俺の成績の上がり下がりには、でんちゅーはもう関与出来ない。今はでんちゅーと俺、ほぼ五分五分のトントンってことになってるけど、……あんまり安心してない方がいいよ?」

 何も無い顔の中、ニッと笑った口元が見えた気がした。

 おい、まさかこっちもか。

「言っとくけど、俺はこれからめっちゃ勉強するから。俺に負けたくないなら、でんちゅーも頑張って勉強するしかないぜ!」

 足の速さの話の時にも思ったけど、そんなのありかよ!

 あぁくっそ、せめてこいつが俺の頭の中に居るうちに、思いっきりバカなやつって思い込んでおけば良かった。せっかく、まだこいつの本当の学力を知らない状態だったのに。敬具が分からなかった同士、俺と同じぐらいのレベルだろうと安易に考えてしまった。

 ようやく着替え終えて、体操服とジャージを抱え持つ。人の減った更衣室を後にして、校舎に向かう渡り廊下を歩いた。

 その途中、

「一応ね、確認しときたいんだけど」

 今までより幾分低くなったトーンで、そいつは言った。

「俺、消えないでいい?」

「はぁ?」

 思わず声が出てしまい、きょろきょろと周りを見る。良かった見られてない。

 あいつは、またやったよ、と言いたげな雰囲気を出しているけど、お前のせいだ。

 お前が、そんなこと言い出すからだ。

 これだけ存在を全面に出してきといて、俺に認めさせといて、今更になってそれって。実はこれ夢でしたーとかなら覚めて欲しくないなと思う程度には、俺はもうお前を気に入ってしまっているのに。

 消えられるとむしろ困るよ。当たり前じゃん。

 俺が強くそう伝えると、

「ふあー、よかった」

 と、気の抜けた声が返された。

「いやさぁ、確認はしたものの、俺が消えるかどうかって、でんちゅーにかかってるからさぁ。今、消えろって言われてたとしても、俺にはどうしようもなかったんだよね」

 なんだそれ。だったら言うなよ、なんで訊いたんだよ。

 そいつの言葉に呆れたものの、でも、ほっとした。

 だってその言葉通りなら、俺が消えろと思わない限り、こいつが消えることは無いってことだろう。それなら大丈夫だ。

 安堵した俺に、うーんそれはたぶん違う、とそいつは腕組みをして言った。

「でんちゅーが消えろって思っても、残念ながら俺は消えないよ。だってそれなら、はじめに俺が見えて、でんちゅーが自分の頭がおかしくなったんじゃないかって思った時点で、俺は消えてるはずでしょ。でも今、俺、消えずに存在してるし?」

 ……それなら、俺にかかってるってどういう意味になるんだ?

 怪訝に思ってそいつを見る。

 何がお前を消してしまう引き金になるんだ。それを知っておかないと――

「えぇー、そんなに心配してくれるまで俺のこと好きになってくれたの? やーん嬉し恥ずかし俺困っちゃうぅー」

 そいつが両手で頬を抑える動作に、キモい! と俺は顔を背けた。

 気持ち悪いし、ムカつくし、改めて考えるとこっちだって恥ずかしいわ!

 でも、そいつが言ったのは本当のことで、俺の気持ちなんて全部分かっているらしいそいつは、すぐに笑ってこう言った。

「でんちゅーが、俺を俺として、そのまま受け入れてくれてたら大丈夫! だから設定がどうとかそれは変だとかあんまり深いこと考えないで、今まで通りに、『でんちゅーだけの友達』として楽しくやってってよ。その方が俺も、もっと固まっていけるから」

 その明るい口調に、そういうもんなんだ、と俺は納得した。

 だったら、うん、大丈夫だ。お前もう俺の友達だもん。

 もうっていうか、だって、お前にとってはずっと前からそうだったんだろ?


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