第11話
***
【田中弘人】
俺の中だけのものだって、分かった上で楽しんでいた。
月曜の一限目。週明け初っ端から座学は寝そうで辛い派の生徒と、週明け初っ端から身体を動かしたくない派の生徒によって賛否両論の、この時間の体育の授業。
三周目のグラウンドを走りながら、俺は全然関係無いことを考えていた。
本当に居たら楽しいのにとは思ってたけど、でも、分かってた。
そう。分かっていた、はず、なのに。
原因は走っているからだけじゃない動悸を感じながら、俺はちらっと右横に目線をやる。そこには、俺と同じ深緑のジャージを着た男子生徒の姿がある。
そいつに顔は無い。つんつるりんの、のっぺらぼう。
俺の頭の中だけに居るはずの、あいつ。それが、居る。俺の隣で、走ってる。髪の先を揺らして。肩で風を切って。ちゃんと、ジャージまで着て。
実体化している。
…………いやいやおかしいだろなんでだよ。
即座に前に向き直り、突っ込みを入れる。なんでお前実体化しちゃってんの?
すると隣から、確かに俺の右隣から、笑ったような声が聞こえた。
「ひっどいな、でんちゅーが俺を望んでくれたんでしょ」
その口ぶりは、最近よく脳内で聞こえていた、慣れ親しんだものだった。
そろりと右を向けば、あいつの顔もこちらに向いていた。その顔に目は無いけど、俺を見ているんだろう、多分。
「それに俺、厳密には実体化はしてないよ」
そう言って、ひらひらと手を振るそいつ。
いやだってお前に体がっていうかなんで俺の考えが分かんのなんで喋って無い俺と会話出来ちゃってんの、
と、頭の中のぐるぐるをそのままぶつければ、
「なんでって。だって今までもこうやって話してきたじゃん。今更じゃない?」
当たり前のように言葉を返されて、いやまぁ確かにそうだ、と納得しかけた。
って、だからって、だって今までは俺の『脳内』での話だったはず。こんな風に、形となって目の前には現れてなどいなかった。
それが見えるようになったってことはえぇとそれって、と俺は考える。
俺の頭が、変になった、ってこと?
――どっと汗が吹き出たのが分かった。
えええええ、遊びが過ぎてこんな風になることって有り得るんだ。
ただでさえも運動した分の汗が出てるのに、だらだらと止まらない冷や汗がとても気持ち悪く感じる。これ体操服べしょべしょだわ絶対臭くなる。こんなこと考えられるあたり、まだ正気を保ってるんじゃないかと自分では思うのだけど、
「見える見えないってそんなに変わるぅー? 確かに形にはなったけど、俺がでんちゅーの中だけの存在でしかないっていうのは変わらないんだってば。だからこそ、俺はこうして居られるんだし。俺はでんちゅーにしか見えてないし、声もでんちゅーにしか聞こえてない。だからつまり、俺は他の人には感知出来ないの。そこんとこ、忘れずに」
グッと親指を立ててみせる隣のやつは、まだまだばっちり俺に見えている。
俺の頭、いや目か? 本当におかしくなっちゃったんだろうか。どうしよう。
明良、俺、これ、どうしよう。
無意識のうちにこの場にいない幼馴染に縋る。
そんな俺の横で、
「……ったくさぁ。そりゃあ俺が、アッキーに敵わないのは分かるけど」
と、これまでと一転した冷めたような声がした。
「今までの友達っぷりって何だったんだって、ショックだわ。俺はこうなれて、すごく嬉しかったのに。……ひっどいなぁ」
そう言い残し、隣に居たのっぺらぼうが、走る速度を上げてぐんと前に出た。
あ。行ってしまう。
そう思った瞬間、俺も自然と足を速めていた。
友達、友達っぷりってさぁ、お前こそさぁ。
お前、俺、知ってるんだからな、お前そんなに足速くないってこと。ご定番の、マラソン一緒にゴールしようねって約束、破られる側のタイプだもんな。だったらその分、今の俺みたいに取り残される方の気持ちも分かってるだろ。
自分は望んでないのに、目の前で一方的に距離開かれてくのが分かるのって、すげぇ寂しいし悔しいし辛いんだよ。
「お前こそひっどいわ置いてくなよ」
再び並んだあいつに向けて、そう言い放つ。
ぴくっと肩を震わせて、あいつは俺を振り向いた。
そしてしばらく間があって、
「…………だから俺、でんちゅーにしか見えないんだってば」
喋んなって、と呆れたようなそいつが言う。
「え、あ」
自分の失態に急いで周りを見回したが、誰も俺の方は見ていなかった。何も無い空間への独り言は、どうやら気付かれなかったらしい。
ほっとして息を吐いた俺の耳に、隣から潜めた笑いが聞こえる。
「ふふ、っふふははは、でんちゅーの今の顔はやーばかった!」
のっぺらぼうのくせに、今、絶対に良い笑顔を浮かべていることが分かる。
そのご機嫌っぷりに、お前さっきの怒りはどこ行ったんだよと言いたくなって、あぁもうダメだと俺は気付いた。
あぁもうダメだ。俺、こいつのこと受け入れちゃってる。
その割にさっきまでの焦燥感は消えていて、むしろ、ちょっと高揚感があった。……いや違う、本当は、高揚感はずっとあったんだ。
自然とやってしまった、さっきの自分の行動でよく分かった。そのまま見送れば良かったのに、俺はそいつに置いていかれたくなかった。待ってと取り縋りたくさえなった。
こいつ、やっぱり多分、俺の友達なんだ。
こいつは俺が考え続けてた、頭の中でずっと存在を感じ続けてた、あの友達なんだ。否定なんて出来るわけない。
だから……とりあえず、様子見しよう。
そうしよう。実生活に問題が出てくればまた考えなくちゃいけないだろうけど、今の時点でわざわざ自分から人に言って、バカにされたり、病院に連れて行かれたりすることはない。今の時点ではこいつは悪いものには思えないし。
俺が脳内でそう認めると、満足したようにそいつが笑う。
「俺が害のあるものじゃないっていうのは、でんちゅーが一番よく分かってるでしょ」
軽やかに隣を走る姿は、一部(顔)を除けば、どこまでも普通の男子高校生だ。
そこに居るのが当たり前のような、ずっと前からそうであったような、何の違和感もなくそこに存在している――俺の友達。
今まで聞こえていたあの声は俺の中だけでの話だった。それに、あぁそうだよ、目の前のこいつだってそうだ。本人(?)が言うように、実在しているわけじゃない。全然、真っ当な存在なんかではないのは分かってる。
だけど、開き直りは俺の特技だから、こうなるのは仕方ない。
俺、浪漫追い求めた末に掴んじゃったんだよ。なんか未完成ではあるけど、前は居たはずの大事な友達を、バカげた世界の決まりごととやらから救い出したんだ。やり方が正しくはないかもしれない、でも、これって、凄いことじゃないか?
そう考えれば、今度はなんだか笑いが込み上げてきそうになる。
すげぇ、なかなかやるじゃん、俺。なんかの主人公みたい!
「自己解決中のところ悪いんですがー」
そんな感動をぶち壊して、隣のあいつが割ってきた。
走りながらぐぅーんと両手を上に伸ばし、こきこきと首を鳴らす。
「でんちゅーもいっつも置いていかれる方だからさ、こっちの気持ちだって分かるよね。
自分だって本当は、バイバイお先にって一度くらいやってみたいって気持ち」
最後はほとんど言い捨てるようにして、あいつはまた急に速度を上げた。
「ゴールで待ってまぁーす!」
俺にだけしか見えていないという、前のめりになった背中がどんどん遠ざかっていく。
思わずそれを二秒ほどぼけっと眺めてしまってから、
フライングはずるいわ絶対負けねぇ!
今度はちゃんと頭の中だけでそう叫び返し、俺も踏み出す足に力を込めた。
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