第10話
***
【鈴掛明良】
月曜の朝、俺の席には既に他の生徒が座っていた。
「お前こっち来てたのか」
「うん、おはよう。鈴掛ならもう観たかなと思って待ってた。……えっ、もしかして俺のクラスの方に返しに来てくれてた?」
そう言って椅子から立ち上がる飯島に、質問には答えずDVDを返す。
「見た。さんきゅ」
「面白かったっしょ」
「程々にな。つーかこれをループ物っつーのは微妙じゃね?」
鞄を机横に引っ掛けながらそう文句をつけると、うんまぁ確かに、と飯島は頷いた。
「ループ部分が拷問に近いっていうね。でも、面白かったっしょ」
「……大衆ウケは、しそうにないけどな」
言外に、自分にとっては面白かった、と表現する。
我ながらヒネくれた感想だが、それは正しく伝わったようで、映画好きの飯島は満足そうに笑った。やっぱりな、と大きく頷いている。
「鈴掛って、結構こういう不思議な感じのやつ好きだよな」
アレとかコレとかと飯島が口にするタイトルは、確かに今まで観てきた中でも、俺の好みにあった映画のものだった。
それに同意も否定もせず、俺は今回の映画の内容を思い返す。
ミステリーともコメディとも言い難く、ラブロマンスやヒューマンドラマなんかでは絶対にない、よく分からない点も多い奇妙な――確かに不思議な映画だった。
その映画は、まず、ある男が起床するところから始まる。
そしてそのまましばらく、男の一日の生活が映される。淡々と流れるその映像から男の名前や仕事先、なんとなくの性格などが掴めてくるが、どれも特に変わったところはない。むしろそれを狙ってますとばかりの、ありふれた三十路過ぎの独身男だった。
作品内の日付が変わる数時間前、かなりラフな部屋着でくつろぐ男。
そんな映像に、面白いのかこの映画と眉を寄せた時、いきなり場面が変わった。
DVDのパッケージと同じ、薄い水色と灰色が合わさったような色の空間。奥行の感じられないその中央で、あの男が体を折るようにして倒れていた。
なんとなく一目で分かった。男は死んでいる。
俺は思わず、はぁ? と目を見開いたと思う。唐突過ぎるだろ、と。
ディスクをセットしてから机の上に置いたままにしていたパッケージを手にとり、このテレビと赤い布はこれから出てくるのか、と思っていると、画面内に声が響いた。
「わたし達は、彼の死を認めてはいけません」
幼い声と同時に、倒れた男を囲むようにぐるりと人影が登場した。その、パッケージ上で円を描いて並んでいるのと同じ十六人を見て、気付く。
そういえばこいつ、あ、こっちの人もか。
「駅の本屋で立ち読みしてたサラリーマン。気付いたの、あいつが一番だった」
席の横に立つ飯島に言うと、その意を得た飯島も笑う。
「俺、宅配のお兄さんだったわ。服装的にも分かりやすかったし」
「お前からこれ借りたとき、こいつ死ぬんじゃねって適当に予想しただろ。それが頭に残ってて、はじめに登場した時から気付いてたんだよ」
円を描いて立つ人間たちは、さっきまで流れていた男の一日の映像の中、一度はどこかで登場した人物だった。
とはいえ、画面に映っていた時間はかなり短く、台詞が無かった者も居る。どこまでも平淡な男の一日をそこまで熱心に見届けていたわけでもなかったし、その時点では、どこで登場したのか覚えていなかった者がほとんどだった。
「では皆さん、議論を始めましょう!」
職業も年齢層もばらばらな十六人の中、男が通勤の途中にすれ違ったランドセルを背負う少女が議長となって、映画の中では議論が行われた。
その内容は、男が死んだ『原因』探しだ。
それは熱心な、しかし何故かとても和気藹々とした議論だった。互いに面識の無いはずの彼ら彼女らは、まるでパーティでも開催しているかのような雰囲気の中、男の死について話し合う。此処は一体どこで、何故自分たちが集められたのかと今の状況に疑問を抱いたり、文句をつけたりする参加者は誰も居なかった。
そんな異様な議論の末に、男の死の原因として選ばれたのはピーナツだった。場面が転換する前、くつろぎきった男が寝そべりながら口にしていたものだ。
男に外傷が無いことや倒れている姿勢から、それが喉に詰まり、息が出来なくなったのではないかという中年女性(男が昼飯を食べた定食屋に居た客)のご立派な見解に、賛成票が多く集まった結果だった。
心筋梗塞とか脳卒中とか、もっと他に考えられることあるんじゃねぇのか。
思わず脳内でそんな突っ込みを向けた画面の中では、少女が元気にこう言った。
「じゃあ、早速消してみましょう!」
いつの間にか少女の手には、男の食べていたピーナツの袋と、光沢の目立つあの赤い布が握られていた。円の中央、つまりは男の死体の上に、少女はピーナツを置く。
男とピーナツ、それらを隠すように布が被せられた。
「皆さん、ご唱和願います。はい3、2、1、」
――Delete《デリート》!
全員の声が揃ったかと思うと、場面はまた転換し、男が起床したところだった。
そこからまた男の一日が流れる。
淡々と流れる映像の中、注意していれば先程まで議論をしていた面子がそこここで登場しているのが分かった。さすがに途中省かれていた部分もあり、はじめより短くはなっていたが、男の一日はほとんど一度目と同じものだった。
違ったのはひとつ。映像の最後、晩酌のアテに男が取り出したのが、ピーナツではなくポテトチップに変わっていたということだ。
しかしその直後、またしても場面は転換。
水色と灰色の空間、円形に並ぶ十六人、その中央には赤い布が覆う何か。
ランドセルの少女が近づき、布を取り払う。そこにあるのは先程と寸分違わぬ倒れた男の死体で、ただし、ピーナツは無くなっていた。
男を取り囲む人間たちが、それぞれ落胆の声をあげる。少女が言う。
「これではダメなようですね。めげずに二回目の議論を始めましょう!」
そうしてまた、次の議論へと入っていく。
「俺さぁ初見では正直、三回目くらいからもうループパートいらねぇ! って思った」
そう言って腕組みをする飯島に、あれはくどかったと俺も笑う。
「全部で、……六、七回? 七回はあっただろ」
「二回目の時点で読めたもん。どうせ変わんないんだろ死ぬんだろって。それがループのセオリーだってのも分かってるけど、あれだけ同じ映像見せられてもなぁ」
もっとカットすれば五時間も要らなかっただろと言いながら、飯島の顔は言葉とは裏腹に満更でもなさそうだ。
「まぁ、だから逆に、次どこが変わるのかって探すのは結構楽しかったわ。途中全然関係ないところで微妙に変わったもんもあったし。店員のアクセサリーとかさ、気付いた? あとやっぱ、分岐させるために俺だったら何を消すかって想像すんのもなかなか」
なのに予想の斜め上行くんだよアイツら、と飯島が笑う。確かにと頷いて、俺も自分の感想を述べる。
「俺も、真面目に議論した結果があんな風になってくのが面白かった。いや一回目からおかしいとは思ったけど、死因究明の謎解きかと思いきや全然そうじゃねぇの」
十六人は、なかなか男を死から救うことが出来なかった。
議論は何度も重ねられ、『原因』が男の一日の中で登場する時間は早くなっていった。夜から夕方、夕方から日中、午前、そして朝。分岐点の訪れはどんどん早まる。その『原因』を消去候補としてあげる理由も、それが直接的な死因として考えられるからではなく、死を回避する道筋へ誘導するために選ばれるようになっていた。
あれは後半の、何回目の議論結果だっただろうか。未だ何か分からない『原因』に会わないよう男を家から出さずにおくためにと、勤め先の会社を消すとは思わなかった。
それでも男は別の会社に勤務していることになって、その会社に辿り着いてデスクに男がついた瞬間に、例の空間へ場面は転換したけども。
「なー、ほんと。俺としては早く生存ルート見つけてくれとも思ってたから、ああやっていろいろ潰してくのも、よし今度こそいけるんじゃねって期待してたわ。だけどまぁまさか、ああいう終わり方するとは」
あれで一番この映画の好き嫌い分かれそう、と飯島は笑った。
映画のラストを思い出し、俺は少し苦い気持ちになる。理不尽ともいえるあの収束の仕方は、普段ならむしろ評価していたかもしれないけど。
「あのラストは六十五点」
「あれっ? 鈴掛にしては珍しい。解釈は観客任せっていうモヤっとした終わり方、好きじゃなかった?」
「嫌いじゃねぇよ。つーか流しかけたけど飯島さっき『初見では』って言わなかったか」
ぶつ切りのように話を逸らし、薄々分かっていながら俺は訊く。
「もう二回以上見てんの? 買ったのこの間って言ってただろ?」
「うん、見た。一回目見た、次の日に二回目を見た」
見たのだろうとは予想していたが、流石にそのリピートの早さには驚いた。何故か自慢げな飯島に、理解が出来ず眉が寄る。
「あのオチに衝撃くるのは一回目だけじゃね? 二回目見るにしても、もうちょっと内容忘れた頃にすりゃ良かったのに」
俺がそう言うと、俺もそのつもりだった、と飯島は頷く。
「それにやっぱり、二回目は初見より面白さ半減したわ。けど、貸すとき言ったじゃん、これ見た日の夜に、影響受けた夢見たって。なんかその夢見たら、もっかい見て確認せずには居られなかったんだよなぁ。夢があんまりリアルなもんだったから、どこまでが正しい映画の内容だったっけって気になって」
まぁただし二回目はほぼ流し見、と飯島は笑った。
――実は俺も、夢は見た。
その映画に影響された、悪夢としか言い様のない夢。
俺の夢も怖いくらいにリアルで、起きた時にはそれが夢だったことにひどく安心した程だった。今回の俺は起きたのが昼間だったからまだ良かったが、あの夢を夜中に見たらと思うと想像だけで嫌な気持ちが広がる。きっと二度寝は出来そうにない。
このことを言ったら「どんな夢?」と訊いてくるだろうから、飯島には言わないでおく。本当はネタとして話して笑い飛ばしてしまいたかったけど、夢の内容を話そうと思えば、あのことに触れないといけなくなる。
「流し見にもなるだろ、連日五時間はキツい」
間繋ぎに至極当たり前なことを言った俺に、そこだよほんと、と飯島は大真面目に頷き、DVDを裏返して考察を語り始めた。
「それだけ使って、何を言いたい映画だったんだか。変わってて面白かったのは良かったんだけど、結局それ分かんなかったんだよな。なんかの社会風刺だったり? うーむ、謎な展開に唐突な終幕って、アラバールの不条理感と似てるっぽい気もする」
「にわかとは言え専門者のお前みたいにそこまで難しく考えて見てないから分かんねぇけど、俺としてはただのシュールなホラーだった」
率直な意見を言うと、映画研究同好会会員である飯島は楽しそうに笑って頷く。
「ツッコミどころ満載な変なことなのに、それが平然と起こっちゃって、でもみんなおかしいとも言わずに、っていうか気付かずに流しちゃうんだから。現実でこんなことが起きようもんなら、まぁシュールだしホラーだよなぁ」
現実にこんなことが起きれば。
その言葉に茶色い封筒が脳裏をチラついて、相槌を打つタイミングを逃した。悪趣味な誰かの悪戯、そのせいで。
「ってーか子役がスゲェわ! あのランドセルの子が一番印象的だった!」
飯島の出す弾んだ声に、俺はふっと詰めていた息を吐いた。
「俺、あの子めっちゃ好きだなー」
「お、ロリータコンプレックスに嵌ったかな」
「違うって、真面目に、演技的に。でも絶対美人になると思うよ、あの子」
「この映画六年前のもんだろ。じゃあもう結構育って中学高校くらいなんじゃねぇの?」
「あぁ……そうか、下手すると同い年か……」
「そこで悩むならお前既に片足入ってるんじゃね」
俺の茶化しに、だからそういうのとは違うって、と飯島が手を振る。先週のカンペは当然もう消えていた。
「そろそろクラス戻っとけば?」
時計を指して言うと、飯島は慌てたようにDVDを持ち直す。
ほとんど黙認されている状態とはいえ、一応校則では学校に不必要なものは持ってきてはいけないことになっている。教師が来る前に鞄に隠しておかなければ、現行犯として没収の目にあっても言い訳は出来ない。
「また良いの見つけたら貸すわ。気晴らしにでも、使えよな」
飯島の去り際の言葉に、あいつもしかして、と思う。
もしかして、まだ例の嫌がらせのこと気にしてんじゃないだろうな。流石にもう忘れてるとは思うけど、もしもそうなら、どんだけ人が良いんだよ。
頬杖をついて溜息を吐く。そりゃ心配してくれるのは有難いんだけど。
手紙のことを広めたくないと言ったヒロのことを考えると、飯島にちゃんとした説明は出来ない。これ以上心配されても厄介なだけだ。飯島には悪いけど、幼馴染としては一応、珍しく強く主張してきたあいつの意見を尊重してやりたい訳で。
まぁいいわ、言いたくないなら聞かないって言質は取ってんだし。
そんな風に考えて、俺はその件に関しての思考を閉ざす。
――それにしても。
「あれ、どうせならあの変な手紙読む前に観たかったな」
そしたらもうちょっと、気に入り度数が高かったかもしれねぇのに。
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