**3章**
第9話
**3**
【鈴掛明良】
今週の土日も過ぎるのが早かった。
そんな日曜夕方の憂いを感じながら、作り置きのお茶のピッチャーを冷蔵庫にしまう。
特に今週は、昨日、思いのほか寝坊をしてしまったのがデカい。
飯島から借りたDVDのことを思い出したのが一昨日金曜の日付変更直前で、そこから五時間、まぁいけるだろうと夜中のノリでつい見てしまった。視聴中に寝オチることはなかったが、布団に入るのが遅くなった分、出る時間も遅くなってしまった。
昨日何か予定があった訳ではないが、時間帯のズレからしてもとれたのが快適な睡眠だったとは言い難いため、なんとなく損をした気分だった。ついでに言えば、DVDを再生するノートパソコンを長時間見つめ続けた目は、寝て起きてもまだ痛かった。
ばたんと閉じた冷蔵庫扉の上、俺はそのチラシの存在に気付いた。
「なにこれ」
マグネットをずらし、お茶を入れたばかりのコップから一口飲んで、訊く。鍋にカレールーを投入しながら、こっちを見た母さんが言った。
「明良、あんた昨日お茶作らなかったでしょ。飲みきったらちゃんと作っといてよ」
「あーはいはい、すいませんでした。で、なにこれ。本寄越せって?」
端的に確認をすると、そうだけど、と母さんは眉を寄せる。
「もうちょっと柔らかい言い方考えなさいよ。さっき、公民館主事の人が配りに回ってこられたの。ご家庭で読まなくなった本があれば、ご提供くださいって」
「公民館が本なんか集めてどうすんの? なんかの景品?」
住民が手書きで作ったチラシには「本を集めています」というお知らせの、その目的については書かれていない。こうやって情報が抜け落ちているのは、まぁよくあることだ。過去には、行事開催についてのチラシに日程が書かれていなかったことだってあった。
「バザーに出すならまだしも、頭下げて集めたもの景品に使わないでしょ、中古品だし」
呆れたような母さんの言葉を、そりゃそうだよなと思いつつ聞く。
「今度から基本的に日中は公民館を解放して、みんなで自由に使ってもいいようにするんだって。そこに来た人が本も読めるように、簡単な読書スペースつくるらしいよ」
「へー。お流行りの、住民コミュニティのための場所ってやつか」
それは結構だけど、あんな狭い公民館のどこにそんなスペースを作るんだ。疑問に思いながら、またお茶を飲む。
「集まったにしても、盆栽とか釣りとかそれ系の本ばっかになりそうだな」
あとは時代小説とか、詩集とか。いつだったか、葬儀の手伝いでお邪魔した近所の林さんの家には、埃かぶった洋画集があったな。あぁいうのとか。いや、でもあんなコレクションっぽいものは、あんまり手放さないもんか?
公民館に出来る読書棚の中身を想像していると、母さんの声がそれをかき消した。
「明日か明後日くらいには母さん出すから、あんたもなんかあればまとめときなさい。もう全然読んでないような本あるでしょ」
あるっちゃあるけどと返しつつ、俺は台所と続きの茶の間に移動してテレビを点ける。離れた分さっきより心持ち声量を上げ、言う。
「ほとんど小学生の頃のだし、出したとこで誰か読むか?」
去年引っ越してきた中澤さんの家には先月子供が生まれたばかりだが、それ以外でこの辺に住む子供は、俺より年下の子でも、もう中学生だ。
「分からないじゃない。大西のおばあちゃんあたりが気に入るかも」
「たしかに。字の大きさ的には読みやすいだろうな」
母さんの軽口にジョークで返す。大西のおばあちゃんは今年で御年九十六である。
それに笑って、あればでいいから見といてよ、と母さんは言った。
「お気に入りまで出せとは言わないし」
「別にお気に入りなんて無いけど」
「あれとか気に入ってたじゃない、六個の宝石かなんか集めるシリーズのやつ」
「宝石集める? ……あぁ、目ん玉抜いてくやつか」
それは確かに、俺が小学生の時に気に入っていた冒険譚だ。
壊れかかった王国を救うため、勇気ある少年が六体のドラゴンを倒す旅に出る、そんなありがちなファンタジー。主人公の少年は、途中で出会った仲間と協力をしたり喧嘩をしたりしながら、ルビードラゴン、サファイアドラゴン、トパーズドラゴン、アクアマリンドラゴン、エメラルドドラゴン、そして一番の強敵ダイアモンドドラゴンを倒すのだ。
思い出すと、懐かしさに口元がにやける。
「気に入ってたかもな、あれは。アニメ化されたのも見てたし」
俺は、鋭い牙の生えた口から紫の霧を吐くサファイアドラゴンが好きだった。本を貸したところ同じくその物語に夢中になったヒロは、六体の中で唯一優しい性格のアクアマリンドラゴンを飼ってみたいって言ってたっけか。
「目玉って、あれってそんな話だった?」
びっくりしたような声を上げる母さんに、そうだよ、と頷く。
「ドラゴンからくり抜いた目玉を神殿の穴に嵌めて、古に伝わりし復活の魔法により国は豊かになりました、ちゃんちゃんって。今思うと人間本位の結構エグい話だな」
あの頃はそんなこと全然考えてなくて、自分と主人公を重ねた妄想をするくらいにはハマっていたけど。時々あった挿絵の構図や、主人公と仲間が仲直りする時のやり取りすら、今でもどんどん思い出せる。それだけ、気に入ってた。
飽きずに何度もよく読んでたもんだなぁ、あの時は。
お茶を飲みつつチャンネルを変えていると、そういうのは記念にとっておきなさい、と何かを切る音と共に母さんが言った。
「なに、記念って。いいよもう、あっても場所とるだけだし」
「えっ、出しちゃうつもり?」
立ち上がり、空になったコップを流しに置きに行く。
「俺はもう読まないし要らないし。読まれるかどうかは知らねぇけど、ジャンル増やすための賑やかし程度にはなるんじゃね」
台所に戻ってきた俺に、でもなんか寂しいじゃない、と母さんが目を向けた。
「パパが昔好きだった本なのよって、将来、あんたの子供に渡せなくなっちゃう」
真面目に惜しんでいるらしい母さんを、何言ってんの、と呆れて笑う。
「で、本ってどこ出しとけばいい?」
「児童書って結構高価なのよ。とりあえず客間に重ねて置いといて」
「はいよ」
即座に了解の返事をすれば、本当に出しちゃうんだと母さんは何故か悲しそうに言う。
「新しいの買って、読み終わったらすぐヒロくんとこにそれ持って報告に行ってたのに。あんなにわくわくしてたあんたはどこ行ったんだろうね」
「さぁ知らね」
幼い自分について親から語られるのは、恥ずかしいものがある。反射的に切り捨てたような言葉を返してから、ちょっと考えて、台所を出る前に俺は言った。
「妄想を捨て、現実を生きる少年に育った俺なら此処に居るけど?」
ヒロは俺のことを夢が無いと言ったけど、俺は、成長しただけだ。
「あぁ、それは頼もしいことです」
夕飯の支度を続ける母さんに、だろ、と言って茶の間のテレビを見るのに戻った。
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