第5話
【鈴掛明良】
鈴掛ぇー、と後ろからかかった間延びした声に振り返った。
三組の教室と廊下の間の窓、その枠に組んだ腕を乗せて、飯島が手を振っていた。体の向きは変えずに後ろ歩きで数歩下がり、なに、と呼び止めた理由を訊ねる。
「お前この間、ループ物観たいって言ってたよな?」
「まぁ、言ったけど」
その時の会話を思い出して肯けば、飯島はグッと親指を立ててみせた。
「この間買ったのそれだから、DVD貸すわ」
結構面白かったぞ、と人の良い笑顔を浮かべる飯島に、言うべきか言わざるべきかと悩む。申し出は嬉しいし、当然有り難く借りるつもりだし、飯島が言うからには本当に面白いのだろうと期待は出来るのだけれども。
「おー。けどな飯島」
結局、今後のためにもその文句は言うべきと判断した。
「速攻でオチ、バラしてんじゃねぇよ」
ループ物の物語は、大概最後にそれに気付くから面白いのだ。
「え? ……あぁ。でもこれ、実はループでしたってオチじゃないから」
俺の文句に、飯島は悪びれもなくそう言った。
確かにネタバレを嫌う飯島が、重要な顛末を言うようなミスはやらかさないかと納得する。同時に、その映画の内容がとても気になった。オチがそれじゃないってことなら、主人公がループに気付いてるタイプのやつなのか?
「いつ借せる?」
「実はもう持ってきてる」
「マジかよ。押し付ける気満々だったんじゃねぇか」
「だから言ったろ? 貸そうかじゃなくて、貸すわって」
言いながら、飯島は教室の自分の席に戻っていく。
昼休みも半ば、ほとんどの生徒はもう飯を食い終えていて、それぞれよくつるむ面子でグループになって雑談をしている。窓から身を乗り出して校庭に向け何かを叫んでいる生徒や、我が物顔で席に腰掛ける他のクラスの生徒も居る。
飯島を待ちながらそんな教室の様子を眺めていて、気付いた。
ヒロ、居ねぇな。便所かな。
「ほいよ、お待たせ」
再び俺の前に立った飯島が取ってきたDVDをぷらぷらと揺らした。
「さんきゅ。今回は邦画か」
「うん、そう。てーか最近、洋画のタイトルそのままっての多いよな。俺は日本語訳のタイトル好きなんだけどなぁ。別に英語が苦手だからって理由じゃなくて」
ぼやく飯島に同意しながら、裏返して上映年や監督名を確認する。あることに気付いた俺は、それに思わず声を上げた。
「はぁ? 五時間もあんのかよこれ?」
「あるある。けど、週末に観るなら余裕だろ?」
「暇人認定か失礼な」
手渡されたパッケージの表面を改めて眺める。
パッケージでは、薄い水色と灰色が合わさったような色の空間の中で、十数人の人間が円を描いて立っていた。全員が目線を向けている円の中央には、今となっては珍しい、ブラウン管式のテレビがひとつ。そのテレビの上に、赤いサテンのような布がぐしゃっと丸めて置いてあった。主人公が誰なのか、一見では分からない。
「内容、全然想像つかねぇな」
俺が言うと、飯島が評論家ぶったような口ぶりで素人丸出しの語りを始めた。
「せいぜい想像をしといてみるがいい。これはそれを裏切るぞ、良くも悪くも。見てる途中に流れ分かってきて、じゃあ次はって考えていってたらこう……最後にまじかよぉって感じになる。俺、見終わった夜にめちゃくちゃこの映画に影響された夢見た」
「へー。どうせこいつあたりが死ぬんだろ」
「いいやそいつは、って、やめろ、ネタバレしそうだから言わせるな」
知らない役者を適当に指差した俺に、飯島はストップと手を広げた。
その手を、俺は思わず掴む。
「え、急にどうしたの、怖いんだけど」
飯島の手の平を見て、そういえば流したままになってたな、と思い出したのだ。
かなり訝しげな飯島をとりあえず今は無視して、目の前の手をじっくりと見る。いや、正しくは手じゃなくて。
「……女子みてぇだなぁ、お前の字」
そこに書かれた、飯島の字を。
「は? あ、あぁなんだ、これ読んでたのか。三限に、黒板前出てのグループ発表があったんだよ。これ、そん時のカンペ」
洗ったんだけどなかなか落ちないんだよな、と飯島は苦笑いを浮かべた。
ふぅん、と生返事をしながら、俺は目線で再度ヒロを探す。どこかに行ってまだ帰ってきていないらしく、相変わらず教室内にその姿は見えなかった。
あいつ、あの手紙どうしたかな。
ヒロに手紙を見せられたのが月曜だったから、金曜の今日で四日経つ。大筋は覚えているけど、具体的な文章はほとんど忘れてしまった。結局犯人は、悪戯を無視するこちらに対して何もアクションを起こしてこなかった。つまんねぇことに。
俺もだったし、ヒロももう手紙のことなんて忘れてるかもしれない。
別に今更犯人を探すつもりはないけど、ついでとばかりに飯島に訊いてみる。
「なぁ飯島、お前って列車通いだっけか」
「そうだよ。毎朝がたごと揺れて来てる」
「ちなみに家どこ」
飯島が答えた地名は、俺の地元とは反対方向だった。
飯島の字は手紙のものとは全然似てなかったし、ヒロの家に行くわざわざの度合いでいえば、谷崎や野中より上だ。それなら多分、こいつは犯人ではない。
「推定無罪だな」
何気なくそう口にした俺に、飯島は軽く吹き出す。
「えぇ? 俺、なんの容疑かけられてたわけ?」
「んー……なんかちょっとした嫌がらせみたいな」
数秒だけ説明するかどうか考え、いや面倒だな、と簡単な言葉で済ませた。
俺としてはもうそれで話は終わりのつもりだったのだが、思いもしなかったらしい嫌がらせという単語に、飯島は大きく反応した。
「はッ? 嫌がらせ? 鈴掛何されたの?」
勝手に犯人候補にされていたというのにも関わらず、飯島の口調からは野次馬根性で訊いているのではなく、本当にこちらを心配しているというのがよく伝わってきた。
しまったなと思いつつ、俺は言葉を撤回する。
「いや間違えた。嫌がらせってもんじゃない、別に悪いことじゃねぇから」
「でも、それっぽいことはあったってこと?」
「無い無い。ほんとになんでもない」
「えぇどういうこと、じゃあなんなんだ?」
「さぁなんだろな。わっかんね」
投げ捨てるように口にしたそれは、飯島を適当にあしらうための発言とはいえ事実だ。あの手紙を書いた犯人の魂胆なんて俺には本当に分かってねぇし。
肩をすくめて手を開いた俺のオーバーリアクションに、飯島は眉を寄せた。
「言いたくないなら聞かないけど……」
言葉を濁した飯島と、その後は話題を変えてしばらく雑談をした。
休みの終わる三分前にはDVDについての礼をもう一度言い、俺は自分のクラスに向かった。あの時の飯島の「けど……」の続きに、詮索もするんじゃねぇぞときちんと釘を刺しておくべきだったのかもと思うのは、放課後になってからだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます