第3話

 ***


【田中弘人】


 通学に使っているリュックサックをベッドに落とす。

 衝撃でどすんとたわんだその隣に、どすんと俺も腰を下ろした。

 今朝、この部屋を出た時のドキドキしていた自分を思い出し、呆れたような溜息が出る。朝からあんなに浮かれちゃって、別に何か言われた訳じゃないけど、きっと家族も不審に思っていたに違いない。

「あー、も、恥っずかし……」

 どうしようもない自分に、今となっては笑うしかない。

 手紙は昨日、飼い犬マロスケの散歩から帰宅した俺が見つけた。

 玄関のポストから飛び出る回覧板を抜き出し、一緒に見つけた茶色い封筒。郵便番号や住所は書かれていなくて、横向きの宛名だけが真ん中に一行書かれていた。それが自分の名であることに、正直、とてもびっくりした。

 だって、普段誰かに手紙を貰うことなんてないし。

 だから、なんかそれだけで嬉しくて。

 いや別に、ラブレターだとかそんな期待はしてないけど。

 ……ほんとは、まぁ、ちょぅっとばかし、小指の先ほどは、期待したかも。

 手紙を自分の部屋に持って上がって、今と同じようにベッドに座って開封した。なんだかすごく緊張して、その辺の記憶はあんまりはっきり覚えてない。なんでこんなに厚いんだろうって不思議に思いはした気がする。

 読み終えて、衝撃だった。

 二、三回は繰り返して読んだ。読み直した。

 頭の中がぐるぐるして、興奮して、自分が喜んでるのか悲しんでるのかよく分からなかった。なんだかとにかくもう色んな気持ちがぐわーっと上がってきて、本当のところを言うと、その時点の俺にとって手紙は本物で、悪戯だなんて考えもしなかった。書かれた内容についても、まったく疑ってなんか無かった。

 しばらくしてから突然、明良に話したい、と思った。

 一回そう思いつくとそれは、話さないと、という使命感に変わった。消えてしまった誰かからの、俺と明良、二人に向けたメッセージ。

 受け取った俺が、この誰かの気持ちを繋いで、ちゃんと明良にも伝えないと。

 でも、携帯電話を取り出して明良のアドレスページを出したところで、ふと。

 ……なんて話せばいいだろう、って。

 冷静になって考えると、それはものすごく困難なものだと気付いた。

「もしもし明良? あのさ」

 その言葉の後ろに、何を言えばいいんだ。

 この手紙のことを電話で説明するのは難しく、今自分の中に湧き起こっている気持ちは、そもそも言葉に出来そうもなかった。

 下手すると、明良にふざけた悪戯電話だと思われてしまうだろうし。

 そこでようやく、やっと、俺は思い至ったのだ。

 ――……悪戯。

 あぁそうかこの手紙、この手紙自体、ただの悪戯かもしれないんだ。

 かもしれないっていうか……いや、ただの悪戯なんじゃないの?

 だって、このご時世に、だ。まさか、こんな摩訶不思議な、作り話染みた、こんなことが本当に起こるかよ。世界のルールとか、存在の消失とか。まるでよく言われてるあれじゃないか、中二病ってやつの一種。そうじゃん、これ、まさにそれじゃん。

 信じちゃった俺、バカみたいじゃん。

 そこに行き着いた時の拍子抜けしたような気持ちは本物だったけど、かと言って、俺はそこまでガチガチの現実主義者ではなかった。というか、不思議な何かを信じたいっていう、お子様な思考が抜け切れていなかったようだ。それまでに上がりきっていた興奮はなかなか収まらず、とりあえず携帯電話を置きはしたものの、頭の中では絶対に明日のうちに明良にこのことを話そうと決めていた。

 だって悪戯にしても、……万が一本物だったにしても、この手紙は俺と明良に向けられたものなんだから。明良に話すのは当然だ。

 俺一人で「あぁ悪戯だな」って決め付けて片付けるのは良くない、だろう。

 朝の通学中に言おうか。

 長い列車内での時間で、いやでも朝は、時々だけど毎日の通学で顔見知りになったおばさんが途中から乗って来て、そのまま学校の駅まで一緒に居ることがある。それは、そこでこの手紙を出すのは、やだな。これは俺たちに宛てられたものなんだから二人だけで読みたい。学校に着いちゃったらほとんど一緒に居る時間は無いし、あぁだから放課後の、帰りの列車にしよう。

 帰りなら、俺たちの降りる駅まで乗っている、同じ学校の生徒は居ない。昼前には家に帰るのだという朝のおばさんとも一緒にならない。

 そんな風に考えて、昨日の俺は手紙を大事に鞄にしまった。

 ちゃんと悪戯だって思ったはずなのに、俺はどうしてもその手紙を読んだ時から浮かれた調子が戻らなかった。今日も朝からそわそわして、明良はなんて言うだろう、っていうかまずなんて言って見せよう、と、ずっと想像を巡らせていた。

 そして実際に、帰りの列車内で明良に手紙を見せて。

 悪戯だろ、と言い切られた。

「やっぱりそうだよな。っていうか、うん、それが当たり前だろ……」

 その時の明良の顔を思い出し、俺はベッドに横倒しになる。

 あーぁ、もう。マジで俺、バカみたい。恥ずかしい。

 リュックの中の手紙をもう一度読み返そうかと思い、体を起こす気になれなくて止めた。制服着替えなきゃいけないんだけどと分かっていながら、やっぱり体は動かない。

 明良が手紙を悪戯だと言い切ったことに、正直なところがっかりはした。

 だけどそれに対して悲しくは思わなかった。

 だって、納得の方が大きかった。そりゃそうだ自分も悪戯だって思ってたし、と。

 だからこそ、それでもどこかで期待していた自分を暴かれて、恥ずかしかったのだ。結局分かったふりしてただけじゃん、っていうのを痛感したから。

 確かに何度も読み返しているうち、その設定にのめり込んでしまっている自分には気付いていた。これが本当だったらと考えちゃって、文章から書き手の性格とかまで想像しちゃって、そんな友達と一緒に居る自分と明良を思い描いちゃって。

 俺の頭の中だけでどんどん広がっていく光景は、すごく楽しそうで羨ましいもので。

 だから、もしかして、と思える点を探したくなってしまっていたんだ。

 明良以外にも、俺のこと意味分からない「でんちゅー」なんて渾名で親しく呼んでくれる、愉快な友達が居たと証明出来そうな点を。

「……実は気に入ってたんだけどな」

 視界を半分布団に遮られながら、でんちゅー、と口に出してみた。

 音的にも字面的にも、ちょっと惚けたような感じ。苗字をネタにするにしたって、全国に戸数が多いとか、脇役としてよく出てくるとか、そういうイジり方じゃない、まさかのただ音読みしただけの。でんちゅー。

 全然カッコよくはないけど、なんとなく俺っぽい感じもする。

 呼ばれてみたかったなぁ。

 ――一階から聞こえた物音でハッとした。

 いつのまにか眠気に負けそうになっていたようだ。このままだと寝てしまうのが分かりきっているので、せめて着替えようと体を起こして立ち上がる。

 もそもそと服を着替え終わると、リュックを机の脇へと移動させた。

 ちょっと考えて、結局、手紙を取り出す。

 明良は凄い。封筒を眺めながらそう思う。

 明良は、凄い。ズルいとすら思える。

 昨日今日と、俺はずっとこの手紙のことばかり考えてしまっていた。変に期待したり、いやいやそんなって否定したり、いろいろ思考を巡らせて。

 だけど明良はあの通り、ブレずに迷わず一刀両断。列車内で明良が語った言葉に、俺はいちいち頷くしか出来なかった。

 別れ際、もし欲しかったら手紙コピーしとくけどと言った俺に、明良はすぐさま、

「はぁ? いや要らねぇわ」

 と、言った。

 手紙が届いたのが明良の家で、俺が明良に見せてもらってた方なら、それが悪戯だとしても、きっと俺はコピーを欲しがってた。そう思ったから訊いたのに、あの時の明良はそんなことを確認されるとは思ってもみなかったという表情を浮かべていた。

 同じ地域で同じように育ってきたはずなのに、小さい頃好きだった本やハマったアニメも似たようなものなのに、なんであんな風にはっきり物事を考えられるんだろう。やっぱり、そもそもの性格とかが関係するんだろうか。

 明良は、ちっちゃい頃からいつも俺のことを引っ張ってくれた。

 しっかり者で、頭も俺よりずっと良くて、友達の数からも分かるように社交性もある。だから俺の家族や先生からのウケも良い。面倒臭がりの性格や口ぶりにキツいところがあるというは本当だけど、それだって今時の若者としては正常の範囲内だ。

 それに明良は、俺が本当に嫌がることはしない。本人に向けては絶対に言えないし、明良は俺なんかからそう思われるのをウザったく感じるかもしれないけど、明良は昔から、俺の自慢の、いわば親友だと思っている。 

 ただ、そんな明良の凄さをすぐ側で実感する度に、ふわふわと芯の無い自分が浮き彫りになるのが分かってなんだか悔しい、というのも本音である。……分かってる、これは所謂、嫉妬なんだ。俺なんかが抱くのは到底おこがましい感情。周りに合わせてなんとなく生きている、そんな俺は一生明良には勝てないし、勝とうとも思えない。いろいろな面で明良から引き離されるのが怖くて「置いていかないで」と頑張っていた小さい頃の自分が今となっては恥ずかしくさえ思えてしまう。

 苦笑いを浮かべて、俺は便箋を封筒から取り出した。

 この手紙を読むのは何回目だろう。そろそろ一枚目くらいなら暗唱出来るようになった気がする。

「なんだっけ。拝啓とのセット、敬具って言ってたっけ」

 明良は当然のように口にしていたけど、正直、俺も知らなかった。むしろなんで知ってんの、と首が傾く。

 習ったっけ? やったとすれば現代文の授業かな? やばいな、全然記憶にない。でもこの手紙を書いたやつだって知らないんだから、男子校生としてはそれが普通じゃない? こんな形式ばった手紙書くことなんて、そうそう無いし。

 冗談めかして自分を宥める。あぁだけど、と思いついた。

 いつか明良に手紙を出す時には、俺だってこんくらい覚えてたぞって証拠に書いてやろうか。いつかもし、こういうことになった時に。

「あー、でもそん時には明良は俺のこと忘れてるから意味無いか」

 俺、こいつとの思い出なんて全然覚えてないもんな。

 真面目に、本当に真面目にそう考えて、ぞっとした。

 ――……いやいや、納得したはずだろ。

 明良の反応を見て、話を聞いて、そうだなそうだよなって、自分も分かってたんだって、ちゃんと、この手紙は悪戯だって納得したはずだ。

 それなのに俺はやっぱり、それでももしかして、を考えてしまっている。

 現実にこういうことが起こっている、という可能性を。

「うわぁもう俺マジでガキくさい……」

 自分に言い聞かせるようにそう口にする。

 結局一枚目しか見なかった便箋を封筒に押し込めて、一瞬、目線がゴミ箱に向かった。だけどそれがただのポーズであること、全然本気なんかじゃないことは分かっている。

 ダメだな。今に始まったことじゃなく、こういうとこがダメなんだ俺は。

 忘れちゃえばいいこととか、考えなくていいこととか、そういう無駄なことをいつまでも割りきれずに、ずるずると引きずる。俺がそれを引きずってたからって何も良いことなんて無くて、むしろウザいだけって、分かってるのに。

 消えるなら、こういう人間でしょ。

 はいお前って選ばれるなら、俺でしょ。

 俺だってもちろん消えたい訳じゃないけど、手紙読む限りでは、絶対こいつの方が良い人っぽいよ。運命っていうか、そういうもの恨まずに受け入れられて、わざとかどうかは分からないけど、あんな風に明るい調子で最後まで手紙書ききって、それに明良のことをアッキーなんて呼べちゃう、すごい肝っ玉の持ち主で。そんで、きっと明良に負けないくらい友達が多いんだ。クラスはどうだろう、俺と同じなら嬉しいな。

 って、

「だから無い無い無い無い!」

 我に返って、全然昨日と変わってない自分に頭が痛くなるくらい首を振る。

 いつの間にか考えてしまっている。全然、抜け出せてない。

 そりゃ、こういう話は好きだけど。それにしたってこれは無い、俺って妄想を現実に持ち込むまでのファンタジー頭の持ち主だったのかよ。

 酔いそうになってきたところで、その考えは唐突に訪れた。

 ――でも、ほら、これって浪漫だろ?

 ぐらりと揺れる頭の中で、そうだそうだ、と同意の声が聞こえた気がした。

 別に、考えるのを止めなきゃいけないほどのことでも無いんじゃないか? 

 例えるならそう、理想の彼女を想像するのと同じようなもんだ。俺や明良が通っているのは男子校だから、そんな話題も思い出したように度々上がる。

 ほら、そう思えばこんなの、みんなよくやってることじゃん。フィクションだって理解の上で、それを楽しむ。うん、別に……変じゃない、ことのはず。

 そんなことしないだろう明良に対して引け目を感じるほどのことでは無い、でしょ。

 封筒を手に持ったまま、俺は自分に対して、ひとつ大きく頷いた。

 信じてない。信じてない。けど、無理矢理に忘れなくてもいいだろう。

「たかが暇つぶしの……妄想ネタのひとつですよ」

 この言葉だって、別に言い訳なんかじゃない。

 少し皺の入ってしまった手紙は、小学生の頃から買い続けている漫画たちの並ぶ本棚、その空きスペースに挿したてておくことにした。

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