**1章**

第2話


 **1**


【鈴掛明良(すずかけあきら)】


 ――なんという変なお手紙でしょう。

 頭の中でそんなナレーションが流れる。いやほんと変、ただ変な手紙だ。

 俺は元からついていた折り目通りに、手の中のそれを畳んだ。

 何も言わずに突き返せば、分厚い便箋を受け取ろうとはしないまま、ヒロ――田中弘人(たなかひろと)はこっちに向けていた目を見開いた。続けて、ぱちんと瞬きをする。

 黙って手紙を読んでいた俺の感想を待っているらしい。

 帰宅途中の列車内、ボックス席の窓に肘をつく。

「谷崎……野中のあたりか」

 こういったバカな冗談の発案は、騒動が大好きな谷崎っぽい。でもあいつの字だと汚すぎて誰も読めやしないし、ここまで詳しい内容は思いつかないだろうから、きっと書いたのは別なやつ。だからよくつるんでる野中、もしくは三谷?

 窓の外、五月半ばの流れる緑に目をやって、あぁそれからと付け加えた。

「この変に凝った設定からすると飯島も噛んでやがんのか? 飯島なら、お前とクラス同じだしな」

「飯島? ちょっと待って、さっきから何言ってんの?」

 俺の言葉に戸惑っているらしいヒロに、眉を寄せて鼻で笑ってやった。

「おかしく騒げりゃそれでいいって、そういうノリの良いやつらの名前だよ」

 こういうことしちゃいそうな。

 中途半端に差し出したままの便箋を押し付けるようにして返す。

 少し狼狽えながら、ヒロはそれを受け取った。明良、という窺うような声に、ヒロが訊きたいのだろうことを先回りして言ってやる。

「悪戯だろ」

「……いたずら」

 間を開けて鸚鵡返しをしたヒロに頷いて、もう一度その単語を繰り返す。

「悪戯。本文にもあるだろ、ただの悪戯って。もし俺たちがこれ信じて、よくも騙したなってキレようもんなら、いやここにちゃんと書いてありますからっつって免罪符にするつもりなんだろ、どうせ」

 そんな俺の推測に、ヒロは唸り声を上げた。納得から上がったものなのか、その逆からなのか判別の付けにくい、んんん、というような低い唸り声だ。

「それともお前、その手紙信じてんの、高二にもなって」

 そうわざと茶化すように笑えば、

「まさか!」

 という語気を強めた返事は速かった。

 ただし、便箋を封筒へしまう手つきは変に忙しい。それが面白くて、シートに座り直しながら、対面の幼馴染をからかう。

「夢見がちだねぇ、弘人くんは」

「だからぁ、俺だってこんなの別に本気にはしてないって」

「その割に、俺の感想が理解出来てないみたいだったけど?」

「それは、明良みたいに、犯人コイツだなって候補が思い当たってなかっただけ」

 俺、明良以外の友達居ないし。

 自分で付け加えておきながら、その言葉にヒロはちょっと傷ついたような顔をしていた。

 俺とヒロは、赤ん坊の頃から家族ぐるみの付き合いがある。

 俺たちの地元の地域は人口が少なく、そもそも知り合い同士が多い。加えて、俺とヒロの母親は、学生時代からの友人なのだ。同じ年に生まれた勝気な俺と引っ込み思案なヒロは、近所でも学校でもよくセットにして扱われていたし、俺たち二人もそれが当然のように感じていた。特に約束をしなくても、こうして下校を一緒にする程度には。

「どうせ俺、コミュ症ですから」

 最近よく耳にする自虐を始めたヒロに、溜息が出る。

「お前なぁ、そういう考え鬱陶しいから止めろっつってんだろ」

 ヒロは確かに人見知りなところがある。

 俺とは違うクラスの中にも、特に抜き出て仲の良いやつは居ないようだ。それでも、昼飯の時にはいつも男子の集団の中に混じっているし、グループ作業の時に組み慣れている面子も居るし、用事がある時にはヒロの方からクラスメイトに話しかけもしている。

 俺から言わせれば、ヒロは自分に自信が無さ過ぎるだけだ。

「そんな言葉が言い訳になると思うなよ」

 視線を尖らせると、それを受けたヒロはぼそりと言った。

「っていうか俺的には、明良の交友関係の方が謎なんだけど」

「なんで、どこが。別になんもおかしいとこないだろ」

「いや、別クラスにまでそんなにたくさん友達いるのって、俺から見ると割と謎だよ。部活に入ってるわけでもないのに、何がきっかけで友達になんの? わざわざ友達になりたいですって、人が寄ってきそうな性格でもないし」

 むしろ結構キツいよね、なんて、真面目に言ってのけるヒロ。

 誰かと一緒の時には基本的に一歩下がっているのがほとんどのヒロも、長年の付き合いによってか俺にはあまり遠慮をしない。それにちょっと不満が無いでもないが、幼き日、断らないヒロの性格を良いことに好き勝手連れ回し、その結果散々な目に合わせたこともある自分を思えば、それも仕方ないかと感じる。だから今のムカつきも抑えこんだ。

 見ろ、そんな俺のどこが性格キツいってんだ。

「別にそこまで多くねぇし、友達ったって、顔合わせて時間があれば話す程度だぞ」

「楽しく話が続くなら充分友達だろ」

 ヒロはそう言って、むすっとしながら指を捏ね繰り回している。

「あぁそ。僻んでんじゃねぇよ、かっこ悪い」

「別に、僻んでなんてないし」

「じゃあ、妬み?」

「妬んでもないし」

「なら、嫉み?」

「そね……なに、そねみって」

 むすっとしていた顔が、ぽかんとした顔へと変わった。それが面白くて、後で辞書引いとけよと言いながら俺は笑った。

 口をへの字にして、家着いたら忘れてそう、とヒロは言う。そして続けた。

「っていうか俺、明良のこと凄いなとは思うけど、別に明良みたいに友達がいっぱい欲しいと思ってるわけじゃないって」

 次の駅が近くなり、車内放送が入る。一人二人が席から立ち上がる。でも、俺たちの降りる駅はまだまだ先だ。

「けどさ、あの、三人は、ちょっとなんかいいなとは思った」

 何の話、と眉を寄せた俺に気付いたらしい。

「……あ、これな。この悪戯の手紙のこと」

 言葉の途中で、ヒロは封筒をちょっと持ち上げてみせた。

 あぁ、なんだ。お前、急に話飛ばすから分かんねぇんだよ。そんな文句を言いかけて、やめる。寄り道してた話を戻しただけだしな。

 学校が終わり、最寄り駅から列車に乗り込んで数分。いつものようにガラ空きのボックス席の一つに座るのと同時に、話があるんだけど、とヒロが切り出してきた。

 普段は見られない幼馴染の真剣な、そしてどこか緊張したような様子に、いったい何事かと思えば、手渡されたのは一通の分厚い手紙だった。

「なんかいいなって?」

 そう続きを促すと、ヒロはしまったばかりの便箋を再び取り出して広げ、並べるようにして持った。もっかい見せろと言えば、俺からも読めるよう横向きにする。

 窓側を向いて、長い長い手紙を二人で眺める。

「もし、本当だったら面白くない?」

 手紙を見つめるヒロの横顔は、とても穏やかなものだ。

 ――本当は、三人だったんだ。

 俺とヒロと、もう一人の誰か。いつもは三人でつるんでた。こんなにくだけた文章を書くくらいだから、きっと俺たちぐらいには仲の良い、気心の知れた人間だった。

 だけど急になんだかよく分からない不思議なことが起きて、その誰かは消える。誰かが居たという事実さえ消えたから、俺たちの記憶にも全然残ってない。

 全然残ってないせいで、信じられない。

 今は信じられないけど、でも、本当は三人だった。

「いや、ほんとに、ただの冗談として、なんだけどさ」

 そう言って、ヒロは俺を窺うように見る。信じてなんかない、悪戯だって思ってるよというように。

 別にそんなバカにしねぇよ。だって確かに、俺にだって分かる。

 こんな漫画や映画やドラマみたいな、まるで自分が非日常に入り込んだみたいな、そんなことが本当に起これば、こんな田舎でぐだぐだと流れるだけの毎日が、ちょっとくらい刺激的に思えるかもしれない。居なくなった三人目、居たはずの三人目。気にならないはずがない。思わず想像するくらい、何もおかしくない。

 だからこの手紙を信じてみたくなるような気持ちは、分かる。

 ……分かるんだけどな。

 俺は本心を言うことなく、眉間にぐっと皺を寄せてみせた。

「本当だったらって、こんなアホが友達になんの? そりゃ御免だわ、俺」

 拝啓と敬具ぐらい知ってろよ、と、わざと吐き捨てるように言う。

「テンションよく分かんねぇし、説明へたくそ過ぎだし、人任せにし過ぎだし。こんなのとつるむとか疲れんの目に見えてんじゃん。つーかアッキーってなんだよ、ざっけんな。俺は会いたくねぇわ、居なくて良かった」

 一息にそう言ってヒロを見る。

 ヒロは、あー、と意味のない音を出してから、

「やっぱり、でんちゅーっていうのが俺だよね」

 と、何度か頷いた。俺の意見に対しての反論も同意もない。

 さっきのお前の意見を否定する形になるんだし、お前もしかしてショック受けんじゃないかと思って俺、ちょっと気にしたんだけど。いや、ショック受けられたらそれはそれで面倒だから、別に平気なら、その方がいいんだけど。

 俺の気遣いは不要だったらしく、ヒロの思考は既に新たな疑問に移っている。

「手紙届いたの俺の家だし、俺がそっちで確定なんだろうけど、なんでだろ。なに『でんちゅー』って。『アッキー』は明良って名前からでしょ、それで、俺なんででんちゅー? なんか電信柱に関する思い出なんてあったっけ?」

 懸命に腕を組んで首を捻るその姿が、どうにも笑えた。だって、

「お前さぁ、ほんとに気付いてねぇの?」

 俺は一発で分かったよ。

 にやつく俺に、ヒロは悔しそうな、どっちかというと焦ったような表情を浮かべた。

「え、なになに、どういうこと? なんで?」

「すっげぇ単純じゃん」

 拝啓の後に並ぶ文字を指差して、読んでみ、と言う。

「お前の苗字。田中って、読んでみろよ、音読みで」

「……え、えぇ、そんなこと?」

「そんなことってお前、そんなことも分かんなかったお前どうなんだよ」

「それはまぁそうだけど……今まで渾名付けられるにしても、明良が呼んでるみたいにヒロがほとんどだったし。意外過ぎるでしょ」

 でんちゅー、田中だからでんちゅーって、と、便箋を眺めながらアクセントを変えてヒロは何度も繰り返す。なんだかちょっと楽しそうに。

「普通、こんなありふれた苗字イジった渾名にする?」

「だからこそ敢えて狙ったんじゃね? ヒロって呼ぶのは普通だから、ちょっとだけヒネった渾名つけて、消えた人間は変でハズれた思考の持ち主っぽくしようって」

 だけどそれがむしろ違和感。

 笑いながらそう言えば、ヒロは便箋から目線を上げた。

 その上げた先は俺。じっと見てくる二つの目に、なに、と問う。

「…………明良くんに見とれてただけデース」

 長い沈黙の末に、ヒロはそう答えてふいと目を逸した。てめぇこの野郎。

「今わざとふざけただろ。なんだ、言ってみろ」

「いやだ」

 頑固なところもあるこいつだから、これに関しては訊いても無駄だろう。

 それが分かってるから、俺は諦めた。ムカつきを舌打ちで表しつつも、それ以上問い詰めることなく、黙ってヒロから便箋を奪い取る。

「おい、破れるだろ!」

「うるせぇわ。こんくらいで破けねぇよ」

 なにか変わった特徴があるでもない、本当に普通の、ただまぁなんとなく女ではないんだろうと思われる文字で綴られた、その手紙。

「野中の字ってこんなんだっけか……飯島の字は、知らねぇしなぁ」

 映画好きで俺と好みの合う飯島とは、DVDの貸し借りやその感想を話すことはあっても、去年のクラスも別だったため、手書きの字を見ることなどほとんど無かった。

 ヒロは俺の呟きで、手紙を書いた人間を推測していることに気付いたらしい。

「飯島の字はそんなんじゃない、もっと丸っこいよ」

 どこか不満気に、俺にも見せてと手を伸ばすヒロに、まだ俺も見てんだよ、と手紙の後半分を渡す。

 しばらく沈黙が続いて、こいつ本当に考えてんのか、と顔を上げたところで、

「わざわざこんだけ書いてさ、俺の家まで届けてさ、どう思う?」

 ヒロがそう言った。

 ヒロは、思いのほか真剣な顔で便箋を眺めていた。

「よくまぁやったわ、って、ちょっと感心してやる」

「そんだけ?」

 短く言ったヒロの顔が上がる。……おい、またその顔か。

 すっげぇ何か言いたそうな、だけどそっちからは言い出そうとしない、その顔。

「はぁ? なに?」

「この手紙に対する明良の感想ってそんだけ?」

 ヒロは俺を見る。俺もヒロを見る。なんなの。お前さっきから何が言いてぇの。

 若干苛立ちを感じながら考えた末、

「……あぁ、へぇ。もしかして」

 これお前の自作自演なのか。

 意地悪い声で、その思い付きを口にした。

「で、もっと褒めてほしいとか?」

 ヒロの顔に浮かぶ、ぽかんとした表情。

 俺の言葉の意味を咀嚼しきってようやく、

「違うに決まってるだろ!」

 と、ヒロは顔を真っ赤にして否定した。

 あぁまぁさっきの、見事なまでのぽかん顔を見た時から分かってたけど。

「俺、こんな面倒なことしないって! なんのためにだよ!」

 ここが列車内ということは忘れていないらしく、ヒロの声はそれなりに抑えられている。それでも、対面の俺にとってはうるさく感じる大きさだ。

 なおも否定の言葉を続けようとするヒロを、片手を立てて押しとどめた。

「はいはい悪い悪い。それで、なに? じゃあ何が言いたいわけ?」

 誤解されたくないなら言えよ、と、促す。

 加えてちょっと機嫌の悪そうな顔をすれば、ヒロはしばらく言葉を探すように唸り、だからぁ、と言いづらそうに始めた。

「……まぁ、これ、そう、こんなのって面倒じゃん」

「あぁ。『手の込んだ冗談頑張ったね』だな。俺は絶対やらん」

 一枚目、同じ言葉が書かれた部分を指でなぞる。

 まだ一枚目とはいえ、徐々に手が疲れてきた頃なのか、初っ端の「拝啓」より字の丁寧さは落ちている。この時点でこれなのに、全部で七枚とかよく書き上げたな。さっきはああ言ったけど、改めて考えると、ちょっとどころか結構感心する。

 同じところに目線を落としながら、ヒロは心底不思議そうに言った。

「こんな悪戯してなんの得があんの? 得っていうか意味っていうか」

「無いだろ。別に」

 思ったままに返せば、だよな、とヒロは頷く。

「……暇つぶしだろ、ただの。別にこんなの不幸の手紙でもないし、お前に向けてのイジメってこともないだろ。なんだ、お前そういうの許せない系か。ノリ悪いぞ」

 ヒロがあまりにも神妙な顔をしているもんだから、そんなつもりはないのに、俺の言葉はまるで悪戯の犯人をフォローしているようになってしまった。

 それに対し、いやそうじゃないってば、とヒロは慌てたように続ける。

「さすがにこんなのに怒るわけないって。ただ、飯島は同じクラスだし、去年も同じだったから話すことだってあるけど、谷崎君とか野中君とか、俺、挨拶するかどうかも分かんないレベルじゃん。なのに、俺にこんな手紙送ってくるかなってこと。明良がターゲットで、俺もついでに引っ括めたってのも考えられないことはないけど、それにしたってその二人って、接点無い俺の住所調べてまで、明良に悪戯仕掛けるような人?」

 切手も貼られず消印も押されていないこの手紙は、日曜である昨日の夕方、ヒロの家のポストにそのまま投函されていたらしい。

 学校に歩いて通える範囲に住む谷崎や野中が犯人で、毎日列車通いのヒロの家にまでこの手紙を投函しに来ようとすれば、悪戯を仕掛ける楽しみと見合うとは到底思えない切符代と移動時間を浪費しなければならない。

「まぁ、わざわざお前の家に届けに来るってのは変かもな」

 そう考えると、犯人候補に挙げていた奴らへの疑いが薄れていく。

 そもそも疑いの根拠なんて、こういうこと考えそうなのはこいつらという、俺の中の勝手なイメージでしかないのだ。

「でしょ。それで、だからって沢ヤンや龍也たちも、ここしばらく何の音沙汰もなかったのに、まさかいきなりこんなことしてくるとは思えない」

「うわ、龍也とかめっちゃ久しぶりだな」

 ヒロが出してきた名前は、懐かしいものだった。

 生徒人数が少なく、統合か廃校待ったなし状態の小中学校を共に過ごした同級生たち。さすがにそいつらとは人見知りのヒロも仲が良く、ふざけて簡単なドッキリを仕掛けあったこともある。とはいえ、それぞれ入学先の高校が別れてからはほとんど会うこともなく、はじめはぼちぼち取り合っていた連絡も、ここ一年ですっかり途切れていた。

「沢ヤンどこ行ったんだっけか。あぁ、萩川か?」

 ふいに気になって問えば、ヒロはすぐに答えた。

「そうそう。龍也は白浜第二ね。家から通ってるらしいよ」

「へぇ、結局そっち行ったのか。で、……通い? ご苦労なこって」

 萩川高生は全員強制で寮生活だし、白浜第二高校は日曜にすら補習があるほどの県一とされる進学校だ。ちなみにどちらの高校も、結構な田舎である俺たちの地元地域からは、乗り換えとその待ち時間を含めて、列車とバスで二時間以上かかる。

 公共機関を使って通える範囲の一番近い高校は俺とヒロが通っている鉾谷男子高等学校だが、それでも列車で片道一時間弱は必要である。そのため昔から俺たちの地元出身者の中には、高校入学を機に家を出て、学校の近くで一人暮らしを始める者も多かった。県を越えた外へ進学することもさして珍しくない。

 ヒロが名前を二人しか上げなかったのは、地元に残る仲の良い友人、としてカウント出来る人数がそれだけだからだ。

「萩川と白浜第二じゃ、生活からしてもそんな暇無さそうだな」

 そう考えると地元友達でも無さそうでしょ、とヒロは斜め上を見た。

「性格的にも、っていうか文章的にも、あの二人では無いっぽいし」

「そうだな。特に龍也では絶対無ぇわ」

 あの無口な龍也が手紙に書かれたように喋り出したら、俺は誰かの変装を疑う。

「ってなるとこれ、俺らが思いつくあたりの誰かの悪戯にしては、ちょっと手が込み過ぎに思えたり、納得出来そうになかったりじゃん。だからその……何ていうかさ」

 便箋に真っ直ぐ目を落として、ヒロは言葉を濁した。

 そういうことか。あぁ、成程。

 俺は笑みを浮かべる。たぶん、にやにやという言葉の合う笑みだ。

「ヒロ、お前が本当に言いたいこと、俺分かっちゃった」

 長年の付き合いって怖いな。便利だな、か?

 言えば、ヒロはバッと勢い良く顔を上げた。その色が少しずつ赤くなっていく。

「いや、だから、ほんとにそんな」

「別にバカにしねぇって」

 わやわやと手を動かすヒロに、安心しろよ、と笑う。

 もしかしてこの手紙本物なんじゃないのって、お前が本気でそう思ったって。

「知ってるから、お前の本棚のラインナップ」

「……いやその言い方どう聞いてもバカにしてんじゃん」

 とうとう認めたらしいヒロが、否定を諦めてじろりと睨むように俺を見る。

「つーか明良だってそういう漫画とか持ってんじゃん、俺より少ないけど」

「だからバカにしてないっつってんじゃん」

 それでも納得のいってないらしいヒロの顔はまだ赤い。

 血が顔に集まったせいで暑いのか、ヒロは鞄からペットボトルを取り出して、お茶をごくごくと飲み始めた。俺も喉の渇きを感じたが生憎何も持っていない。ヒロに一口強請るほどでもないしなと、気にするのをやめる。

 ペットボトルを戻し終え、はあぁと深い溜息を吐いた後、

「明良は夢がない」

 と、ヒロは俺に向かってきっぱりと言い放った。

「はぁ? なにそれ」

 お前は飲み屋でくだを巻くおっさんか。

 唐突な言葉に、怒るでもなく、思わず笑う。そんな俺の態度さえ不満なのか、ヒロは口を尖らせてつまらなそうに言った。

「ノリが悪いのはお前だよ。いいじゃん少しくらい、幻の友達を夢見ても」

「別に否定してねぇだろ、現実を見失わない程度なら好きに見れば?」

「……明良はさ、本当に全然考えなかったの」

 ヒロの口調が真剣なものに変わって、だから俺は、敢えて言葉を投げやりにする。

「微っ妙なんだよ、この手紙。設定が行き届いてないのが気持ち悪ィの」

「設定? 例えば?」

 それに気を悪くした様子も無く、ヒロは手元の手紙を読み返す。

 俺はその手紙を指差して、

「いや、まず手紙ってどうだよ」

 と、心からの疑問を口にした。

「その手紙の内容信じるなら、だぞ。直接会う別れの挨拶は引き止められるからダメにしても、だったら別に、電話とかメールとかでいいだろ。なんでそっち思い付かないで手紙になるんだよ。長々と手書きなんてダルいだろうに、手軽なデジタルに慣れ親しんだ俺らみたいな若者がわざわざ手紙を選択する意味がわからん」

 電話やメールだと、その番号やアドレス、つまり発信源から自分に辿り着いてしまうかもしれない。悪戯の犯人がそう思い、だからわざわざこんなアナログな方法がとられたんじゃないか。俺はそう考えている。

「で、手紙書くにしても、こんな上手い具合に揃った便箋と封筒あるか? お前、さぁ手紙書けって言われたら、家に一式ある?」

 俺は無い、と先に言うと、俺も無い、とヒロも頷いた。

 同じ状況なら、俺はノート替わりのルーズリーフを使っただろう。こんなクラフト系のレターセットなんて、家には無いし、わざわざ買いに行ってまで揃えようとは思わない。

「なんか、いかにも用意しましたって感じだ」

「けどさ、もしかしたら、そのよく分かんないやつがくれたのかもしれないし」

「手紙書くってのはその場で決まったのに? ……つまり魔法よろしく? 何もないとこから? パパッと取り出してきたって? 成程ねぇ有り得るかもなぁ?」

 ヒロの出した案に対してそう畳み掛けると、もうやめて、とヒロは片手で顔を覆った。

「ファンタジーな頭ですみませんね! 他には?」

「手紙にしちゃ重要なもんが無い」

「重要なもん? 切手?」

 そんな答えを口にしたヒロに、呆れて数秒黙る。

「……差出人の名前」

「え、あ、あぁ」

 まさか今の今まで気にしてなかったんだろうか、こいつは。ヒロは手紙を見下ろして、そっか、と納得したような声を出している。

 この手紙は、自分が消えるってことを伝えたいとか言っている割に、結局のところよく分からない感情文を連ねているだけのものだ。消える『自分』がどういう立場にあった何という名の人間なのかという、一番重要ともいえるものがまったく書かれていない。

 こっちが差出人のことを忘れてるって元々分かっていたのなら、まずは自分のことから書くべきだろう。そんな風な説明をヒロに述べながら俺は眉を寄せる。

「そういう設定ははじめに書いとけ、文章構成考えろって言いたい。終盤になってから『俺のこと忘れてるだろうけど』なんて書かれても付け足し臭いだけだ」

「そう言われれば確かに後出しみたいだけど……時間無くて、思いついたことから書いてってたらこんな順番になっちゃったとかは、あるんじゃない?」

「まぁな。そりゃ、まったく無いとは言えねぇ」

 素直にその意見を認め、だけど、と続ける。

「それを別にしても、俺はこの内容を受け入れらんねぇな。大事な説明はほとんど『言えない』とか『分からない』で済ませてあって、で、先回りして、『うさん臭く思えるだろう』とか、『信じられないと思う』とか、要するに嘘っぽい。俺からすると、設定が破たんしないように継ぎはぎ合わせて、突っ込まれないように誤魔化してるように思えんの」

 成程ねぇ、と頷くヒロは、少し寂しそうな顔をしているように思えた。

 純粋なヒロはそうじゃないんだろうけど、俺は結構ヒネくれてるし、それを充分に自覚している。だから、最初から俺にはこの答えしかない。

「俺はこの手紙を本物だとは信じない。誰が何を狙って書いたのかは今のとこ分かんねぇけど、これは悪戯だって、俺はずっと言い切るわ」

 持っていた分の手紙を重ねて、ヒロに渡す。

「俺なら、そもそもこんな時に手紙なんて書いてらんねぇもん。どうにかなれ、どうにかなんねぇのかって、相手が人間じゃなかろうと、最後の最後まで足掻きまくるわ」

「……俺だったら嫌だぁーって泣くくらいしか出来ないだろうなぁ」

 ヒロは俺から受け取った手紙を自分の手元の分と合わせて、折り畳んだ。

「あーぁ、居たら楽しいと思ったのにな、三人目」

「そんなに三人組って憧れるもんか?」

「まぁ、うん、三人組っていうか」

 ヒロは照れたように口を閉ざす。

「クラスのやつで新しくグループ組めば? 昼飯のメンバーから分離するとか」

 俺がそう言えば、ふいと顔を背けて即座に返してきた。

「無理だって。俺、コミュ障ですから」

 また始まったか。

 付き合ってらんねぇと目線を外したところで、あぁでもさぁ、とヒロが言う。

「悪戯の犯人探しは止めとこ?」

「別にいいけど、なんで」

「浪漫は残しておきたい」

 犯人分かっちゃったら現実見えちゃうでしょ。

 そう言って笑うヒロに、俺は思った。

 身長が伸びても、嫌いだった茄子を克服しても、とっちゃん坊やみたいな髪型を卒業しても、お前、こういう時の笑った顔は昔から変わんないのな。小さい頃、二人して悪いことをして、二人して叱られて、親が立ち去って二人だけになった時に、「……でも、ぼくは楽しかった」とこっちを見つめて呟く顔。

 なんとなくしみじみしつつ、俺が了解の返事をしようとした、一秒前。

「それにさ、こんだけ手の込んだ悪戯しといて俺らが何の反応もしなかったら、犯人はすげぇやきもきすると思うんだよね。それ面白くない? 悪戯返しみたいな」

 笑顔で付け加えられたその言葉に、俺も思わず笑った。

 考えを改めよう。

 全然純粋なんかじゃねぇわ、こいつ。

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