成し遂げるには棄てなければならぬ Ⅳ
数時間後、執事から声がかかり僕は外に出た。
「すみません、お坊ちゃん。狭かったでしょう?」
「ううん。全然。むしろ楽しかったよ」
それを聞いて安心したのか、執事のそばにいた侍女はふわりと笑った。
「少しの間、あの隠し部屋がある部屋を坊ちゃんの自室としますわ。自由にお使いになって」
「いいの!? よっしゃぁっ!」
「あらあら、坊ちゃん。その言葉遣いはお局様に叱られますよ?」
侍女はクスクスと笑う。
「それと、本日付で貴方直属のメイドになりました、ナンシー・アンヴィルと申します。出身は首都リリスより北西、水の都スウルス。よろしくお願い致します」
僕は彼女について行った。彼女が夕食を作ってくれるとのことだったので、僕は手伝いに行った。召使いである僕の仕事だ。
――その時だった。
「坊ちゃん! 隠れてくださいまし!」
隣に立っていた彼女はいきなり怖い顔をして僕の前に立った。
「え?」
「……いいから。私の後ろに。気を引いている間に突き当たりの扉の中に逃げてください。早く!」
僕はわけが分からずにそのまま立ちすくんでしまった。
「早く!」
侍女の怖い顔を見て我に返って走り出した。
しかし、見えてしまったのだ。
この家の住人ではない、見知らぬ男。彼が血相を変えて廊下の向こうから走ってくる。それを止めようとしているのはさっき僕を庇ってくれたナンシーだ。
それも時間の問題だろう。
力は男にはかなわない。
そして――、
「おい! お前!」
声をかけられているのはすぐ分かった。周りには誰もいない。見えるのは廊下の例の扉の前で待ってくれている若い執事ただ一人。振り返るのが怖かった。声は明らかに殺気を放っていた。
足が動かない。
「おい! お前だろう!」
肩を掴まれ、強引に顔を向けられた。目元で今にも落ちそうな涙は我慢して、あえて強気に。
そうしないと本当に泣いてしまいそうだった。
「おじさん、誰!」
そう叫ぶと男は顔を醜く歪ませ、僕の頬をいきなり殴った。
「誰とはなんじゃこのガキ! お前かこの家を狂わせた忌み子は!」
罵声と暴力と。
周りの執事、侍女が止めるまでそれは繰り返された。
僕はもう少しで死ぬところだった。
◆◇◆◇◆
「坊ちゃん………ここ痛い?」
「ちょっと。でも大丈夫……痛っ」
無理しちゃダメよ、と侍女は言う。
僕の体には無数の殴り傷があって、紫色になった痣もちらほらあった。孤児の時、カジノで僕に負けた貧民の男が『負けたのはお前のせいだ』と言いがかりをつけて殴ってきたことはままあった。元々、くっしゃくしゃの癖っ毛も掻き乱されたままになっている。
それを侍女達に整えてもらっている。
「大丈夫です。大丈夫」
そっと呟くと口の中の切り傷から血が流れ始めた。僕はそっと顔を顰める。着ていた服は埃まみれで、所々赤く変色している。
そしてあの男の――周りが止めなければ自分を殺そうとまでしたあの顔を……思い出す。
「ッ!」
思わず手を引いてくれた侍女の掌を握り締めた。吐きそうだった。こうしていなければ、耐え切れなかった。辛かった。なんで僕がこんな目に合わなければいけないのか。僕が何をしたって言うんだ。何もかも分からなくて泣きそうで。自分の血で汚れたこの服と同じくらい惨めだった。
そんな時、僕を守ってくれたナンシーは言った。
全て。
僕に降りかかった物の真意を。
「あの方……フォーネット=フェレッティ様は旦那様の兄上に当たります。異父母ではありますが、この家の由緒正しき跡取りとしてこの家に数年前までいました。ですが、気性の荒いお方で度々周りの貴族達と揉め事を起こし先代はほとほと呆れかえっていました。そんな中、旦那様――、ジェイムズ=フェレッティ様に新たなお子さんが産まれました。旦那様はとても喜んでその双子に名前をつけてらっしゃいました。それを疎んだフォーネット様はある日、先代の目を盗み生まれたばかりの双子を悪評高いある投資家に商品として売りさばいてしまった、と言います。全く酷い話です。子どもを勝手に……。すぐにフェレッティ家の権力で足取りをつかめたものの、既に遅かったのです。兄は行方知らず。せめて、と思い私達は死ぬもの狂いで探し、返品と書かれた手紙と共に妹は返されました。怒った先代はフォーネット様を追放し、二度と戻ってこられない辺鄙に追いやったと言います」
ナンシーは丁寧に話をしてくれた。
「そして帰ってきました。今、旦那様と話をしているとの事ですが……、話し合いはつかないでしょう」
そう言って目を伏せた。
僕はその話を一噛み、二噛みしてからそう聞いた。
「それが、僕になんの意味が?」
あれだけでは説明にならない。僕が殴られる理由がなに一つ分からない。
そして侍女は、
「ジャック様。この事件はフェレッティ家の汚名ともされる大事件です。貴族が子どもを売人に売ったのです。しかも、生後間もない赤ん坊を。――ジャック様はこれを受け止められますか」
侍女ははっきりと言った。その迫力に僕の方が押されてしまう。
「大丈夫。僕はなんでも受け入れられるよ。だって僕はこの家に一生仕えていきたいんだから」
僕はにっこりと笑って見せた。そう言えば安心すると思った。こう言えば今の状況も明るく照らせるだろうと。
侍女はその言葉に安堵、いや逆に辛そうな表情だった。何故だろう、僕は何か間違ったことを言ったのだろうか。
「ジャック様……私達は逆なのですよ。貴方に仕える方なのです」
そんな侍女の覚悟ともとれる呟きを、確かにこの耳で聴いた。
「貴方様の名前はジャック=フェレッティ。フェレッティ家の第三子であり跡取りです。……十四年前、消えた男の子とは」
侍女は息を吸い込んでからこう言い放った。
「貴方でございます」
信じられないことを。
「私達は貴方を十四年間探していました」
固まったままの僕に立て続けにこう言った。
「貴方とお嬢様は、実の『双子の兄妹』です」
それから何をしたか、僕はなに一つ思い出せない。
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