成し遂げるには棄てなければならぬ Ⅲ
食卓は質素、という言葉がぴったりだった。幼い頃教会で食べたご飯。その懐かしい味にそっくりだった。
「美味しかった?」
僕は女の人に無言で頷いた。
「そう。貴族様のお口に合うかしら」
冗談なのか本気なのか分からないが、女の人はそう言いニヤリと笑った。
「あ……、いえ……元々……」
――孤児でしたから。そう言い切るのは躊躇われた。
「物心つく頃には……いえ。なんでもありません」
そう? お茶いれるわね。
そう答える女の人を見送り、ふと。
『僕に母親がいたとしたらこんな女性だったのだろうか』
と、口にパンを押し込みながら思ったものだった。
◆◇◆◇◆
『お嬢様……っ』
僕はそんな寝言を言っていたらしい。早く帰ってお嬢様に会いたい。その気の焦りもありついつい口調が荒々しくなるのは、僕の悪い癖だ。
「あの。いつになったら薬が出来るんですか」
「もうすぐねー。もうすぐよ」
「もうすぐっていつですか。そう言ってもう何日も経ちますよね」
僕は苛立ちながら、女の子の人を問い詰めた。
「そうね、すぐ。今、貴方をあの家に返すわけにはいかないのよ」
女の人は思わせ振りに。しかし、呟くとは違う、まるでわざと聞かせるようにボソリと言った。
『それはどう言う意味ですか』
と聞いてもらうのを待つかのような。そういった例えが的確だろう。僕はそれを察する。だが、それを素直に言うには、僕の年齢は既に思春期の子どもだったのだ。
「もういいよ、僕は出かけてくる」
反抗的に、女の人を言葉で突き放す。
そう? じゃあお願いね。
女の人は、小さなバスケットを部屋の奥から持って来て手渡した。
「これに草を。沢山。できるだけ沢山お願いね」
僕はその言葉を聞くか聞かぬかの寸前で家を飛び出した。
――今思えば、デファンスが魔王城や教会や色んなところで僕にした反抗と同じだったんだ。
◆◇◆◇◆
数日後、ようやく薬は出来、僕は帰ることになった。お付きの人が乗ってきた魔法陣は既に地面に描いてあり、それに乗るだけだと言う。
「あの。貴方の名前、最後まで聞いてないんですけど」
これが最後なんだろう、と思って、僕は女の人に聞いた。今まで聞いてこなかった。教えられなかった。女の人は悪戯を考えている子どもの顔で口元に人差し指を置いた。
「……リュビというのはね。この家の当主が代々受け継ぐ名前なの。だから本名ではないわけね? それは分かる?」
僕はそっと頷いた。
「この家のものはね? 絶対に名前を明かしてはいけないの。誰だって。どんな優しい人にだって。それも分かるわね?」
僕は少し首を傾げた。
「…………悪魔に本当の名前を知られてはいけないのよ」
女の人のその言葉は意味深に、僕の胸に響いた。
どういう意味なんだろう。
「悪魔や魔族は本名を名乗ってはいけない。だからこそ、本名を名乗る魔族には気をつけなくちゃいけない。――死ぬことが怖くない者は何をしでかすか分からない」
その意味を知ることになるのは、だいぶ先の話。
「私の名前はね? ――」
そう、女の人が言う前に僕を乗せた魔法陣は消えていった。
「え、ちょっ………」
女の人の顔がゆらゆら揺れて消えていく。僕は咄嗟に手を伸ばしたが届かなかった。
その様子を見たお付きの執事は、ため息を吐く。
「お坊ちゃん。あの方はいつまでも子どもなのですよ。仕方ないです。さぁ、帰りましょう。お嬢様がお待ちでございます」
「ぇ……はい……」
そして気づくとクローゼットの中に僕たちはいた。
長かった旅に羽を伸ばそうと腕を伸ばした時、お付きの執事はキッと目を吊り上げた。
「ジャック様! 少々不手際のようです。急いでクローゼットの中に!」
何かの情報を得たのか、執事は奥の部屋からかけてきた。
執事と見習い召使いの関係であっても、執事、侍女は僕のことを「お坊ちゃん」と呼び、敬語だ。それは身分関係なく、この家の養子であるからとの理由。それは慣れていたが、帰ってくるなり「様付け」とは何かただならぬことだと察する。
「早く!」
言われるままに僕はクローゼットに身を隠す。
「外から鍵をかけます。そのクローゼットは中に小さな空間がありますゆえ、奥に入ってじっとしていてください。決して出てこないよう」
執事はそう言い鍵を閉めた。
奥には小さな階段があり、下がると確かに空間があって、さながら隠し部屋だった。そして、そのことを想定していたのか置き手紙とともに、ティーカップ、焼き菓子、本など暇つぶしの道具が沢山置いてあった。
壁沿いには本棚。天井まで届いている。
置き手紙には綺麗な達筆の手紙。
『お坊ちゃん。万が一のために必要なものは全て置いておきました。この部屋はお坊ちゃんが外出している際に作ったものですから決して見つかることはありません。安心していてください』
自分がどこにいるのかは不安であったが、この手紙を見て安心した。だが、何故隠れなければいけないのだろう。
それだけが疑問だった。
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