成し遂げるには棄てなければならぬ Ⅰ

「あいつはまだ、自分がこの家の世継ぎだということを信じていない。――強固に信じていない。むしろ否定し、拒み続ける。けれど俺には、そんなあいつにこの家を継がせる道しか、――愚かにも持ち合わせていないのだ」

 俺の御主人様であり、あいつの父上であるあの人は俺にこう言った。聞いたのはいつだったのか思い出せないけれど。

 俺はあいつが変わったことに気付かなかった。

 けれど、今思えば、あいつは俺が屋敷に帰ってきた時には、あいつの中の何かが変わっていたんだろう。

 ――俺がいない間にあいつに何かがあった。

 それを知ったのは、最期の日を迎えた後だった。


 ◆◇◆◇◆


 アルバートが屋敷を去り三日帰ってこないという。

 お嬢様の誕生日の準備だと聞いた。どんな準備か知らないが、あいつは何か覚悟したような顔をして僕の部屋から出ていった。

 僕は僕で仕事などに忙しく、お嬢様に会える日が少なくなっていた。どんなに仕事が大変でも、お嬢様の誕生日会の為なのだと思えば辛くなどなかった。

「ジャック、ちょっとお使いを頼む。街外れ……いや。国境をまたいでもらうのだが、お前なら出来るだろう。地図はこれだ。少し遠出をしてくれ」

 その当時は汽車もなければ道も整備されていない。だから、移動手段は馬か徒歩。

 渡されたのは数日分の着替えと僅かなお金。

「お使いといっても薬を買ってきて貰うだけだ」

 そう言われてピンと来た。これはお嬢様の薬なんだ、と。

 確か街外れに毎月買いに行くと言っていたのを聞いたことがある。それなのかもしれない。

「遠いのですか?」

「あぁ。首都レレスから、ココだ」

 そういって御主人が差したのは、この国の端だった。

「えぇっ!? ここまでどうやって行けばいいんですかっ!? 僕の足じゃ半月かかってもおかしくないですよ!?」

 この国を横断するような距離だ。

 馬ならともかく……いや、馬を使ったって何日かかるのか分からない。そんな危険な旅をしろということなのか……。

「いや。そんなことをしろと言うのではない、ジャック。お前は知っているか? 魔法陣というものを」

 教会で習わなかったか。御主人はそう問いかけた。

 魔法陣。名前は聞いたことがある。

 でも、それがなんだというのだろう。

「? ……それがどうかしましたか」

 僕は素直に問いた。魔法陣は悪魔や天使など、「魔力」を持ったものしか使えないものでは無かったか、と。

「家のものには数日間使いに出したと言っておく。お前が帰って来た時、この術を授けよう。

 ――これはこの家の『世継ぎ』の証」

 そう言うと、御主人は地面を指差し、目を瞑った。

 突如、吹き荒れる風と光る地面。そして目を開けた時、僕は全く違う場所に立っていた。

「えぇ……ぇ?」

 御主人様は? 皆は? 屋敷は?

 辺りを見渡しても誰もいない。

 何もない原っぱにたった一人で立っている。

「え?」

 建物はない。人の気配すらない。手入れもされていない森。

 こんな場所に置いてきぼり、どうすればいいのか。

 ――と、手を地面に着いた時、何かが触れた。それを開いてみるとその地図には、道の先の森の中にポツンと立つ、一件の家が描かれていた。

 どうやらこの道……、ここで間違いない。

「本当に飛んできたと」

 僕がそう呟いた時、

「あら。久しぶりのお客さん」

 振り返ると女の人がそこにいた。黒い髪が日に照らされて顔に影がかかっていて――。でも、声はとても優しい。

 いつの間に人がいたんだろう、それになんで後ろに。

 僕は驚いてしりもちをついてしまった。いたた、と手を払っていると、女の人は、手を差し伸べ僕の手を引っ張った。

「あ……ありがとうございます……」

「ああ、貴方、私に用があってきたんでしょう? 私の家は薬を売っているの」

 女の人は少し遠くを見た。目線の先には小さな小屋。そういえば――。見回した時、あそこに家なんてあったっけ?

 建物らしきものは無かったはずだ。僕は考え込んだが、すぐに気のせいだったのかもしれないと思い始めた。

 きっと気のせいだ。

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