lecture Ⅲ

 三日経ち、ようやく回復し仕事に戻った僕は、真っ先にお嬢様の部屋に向かった。

「お嬢様、お茶をお持ちしました」

 お嬢様はお変わりなく、寝台の上に座っていた。あぁ、よかった。移っていなくて。

 そう安心したのか出てしまった咳。

 コホン、と軽く部屋に響き渡る。

「まだ、風邪治らない?」

「いえ……大丈夫です」

「本当に?」

 熱は一日で下がった。しかし、風邪というのは厄介なもので、まだ咳は残っていた。ナンシーはそれを見て、まだ寝ていることを強く願ったし、奥様も同様だった。

「本当は……、奥様や周りの方にもう少し寝ているようにと言われました」

「じゃあ寝てなさいッ!」

 そう叫びながらクッションを投げつけてくるお嬢様。

 僕は慣れた手つきでトレーでガードし受け止める。そんなにたいしたことはしてないが、照れたような顔がとても可愛くて思わず顔が綻んでしまう。

「だって、お嬢様寂しかったでしょう? 僕が来なかったらこの部屋には誰も来ませんし……」

 やっぱり僕は、君のことが好きなのかもしれない。

 いや、好きになってしまったのだと思う。

「貴方が風邪を引いたら……お父様やみんなが心配するわ。もちろん私も」

 そういう、無条件に人を心配できるところが好き。良い意味でも悪い意味でも人間らしいところが好き。僕はもう捨ててしまった、人を心配するという心を、僕はとても愛おしく感じる。

 僕は、――そういう心を持ち合わせてはいないのだ。

 だから、僕は、普通の人と同じようには君を愛せないかもしれない。花を愛でる様に、ずっと近くで、いつまでも永遠に――。

「そうですか。ありがとうございます」

 もっと、貴方を見ていたいのだ。

「お嬢様、熱いのでお気をつけください」

 淹れた紅茶はいつもと同じ。自分の分と彼女の分と。一緒に飲むためのお茶。

 お嬢様が一口飲んで、その唇を眺めていた。

「そういえば貴方って欠点とかあるの」

 不意に彼女が聞いた。

「何故です?」

 僕はそんなことを聞かれると思わず、動揺した口調になってしまった。

「うん、気になっただけ」

 この話の流れに、それに触れる要因などあっただろうか?

「欠点……僕にですか」

 僕の欠点は十歳の時に決まってしまった。この先直すことはできないだろう、忌々しい記憶。

「そうよ、他に何があって?」

 一瞬、彼女の顔をじっと見つめてしまった。これは嘘を言ったほうがいいんだろうか。それとも本当のことを言うべきか。

 なんでこんなことを聞くのか?

 僕は、嘘をつくべきだろうか?

「僕にだって欠点くらいはありますよ? あまり信じてもらえないでしょうが――。もし、僕がお嬢様にそれを話してお嬢様がその理由を聞くのでしたら、僕は話さないことにします。はっきり言って楽しい話ではありません。むしろ、僕は話したくありませんから」

 考え抜いた結果、本当のことを話すことにした。探られているわけではないだろう。まさか知っているとは思えない。

 ただの疑問ならば、正直に答えた方がいいだろう。

 そう思ったからだ。

「理由を聞いたらダメなの?」

 しかし、僕が人間性を捨てた化け物だと言うことは気づかれてはならない。それは今後の為にも利益にはなりえない。

「ええ。ならば話しませんよ」

 僕は紅茶を一口。思考を巡らせる。

 さぁ、どう出るか?

「理由聞かないから」

「……では酒です」

「……それは飲む方?」

「お答えしかねます」

「本当に?」

「ええ。ビタ一ミリも飲めません」

「なんで?」

「理由は答えられません」

 僕は真顔でそう答えた。なにもおかしいことは言ってないだろうが――、不意に彼女が僕の顔を見て笑い出した。

 何故、笑ったのだろう?

 僕は分からなかった。彼女の顔をじっと見た。それが彼女にはさらに面白かったらしい。どんな顔をしていたんだろうか?

「おかしい……それが欠点なの?」

「まぁ、そうだと思います。あいにく記憶がないもので友達に聞いたのですが、僕の――……」

 いや、これは言うべきではないだろう。

「また今日もお話聞かせて?」

 彼女に催促されては僕も断れない。

 咳払いを一つして、今日も話し始めよう。

 あぁ、風邪の咳ではないのだ。

 そこは勘違いしないでくれ。

「じゃあ今日は僕が好きなパン屋の話にしましょうか」

 彼女はうれしそう、僕もうれしい。

 前に彼女は、「外に出られない私は、本の中でなら自由に外を駆け回ることが出来る」と言っていた。僕の話を嬉しそうに聞いている彼女を見るのは僕も楽しい。

 こんな僕の、もう人間に戻れなくなってしまった僕を、蔑まず、こう人間扱いしてくれる彼女が、僕は好きだ。

 大好きだ。――愛している。

「お坊ちゃん!?」

 いきなりドアが開いて一人の侍女が入ってきた。僕が風邪でいない時、代わりに来ていた侍女。僕のお世話係であるナンシー・アンヴィルは、僕を見ると叫んだ。

「あれ、ナンシーか。どうしたの?」

「どうしたの、こうしたのではありません! お体に障りますのでお休みくださいと何度も言いましたことか!」

「大丈夫だよ。大袈裟だなぁ。それに僕、体はそれなりに強い方だし、それくらい大丈夫だよ。それに寝台に寝ているのは暇で暇で気が狂っちゃうよ。もう眠くないし熱も下がったろう? 僕は部屋よりも外にいる方がいいかなぁ。そろそろ剣術もやらないと体がなまりそうだよ」

 彼女は、僕のことになると大袈裟だ。

「お坊ちゃんは自分自身のお立場についてもう少しよく考えるべきです!」

「そう言ったって僕はこの家を継ぐ気は無い……」

「お坊ちゃん!」

 やれやれ。僕は立ち上がって彼女に一礼した。

「お嬢様、僕は失礼致します」

「ええ」

 ドアを閉じて部屋を出る。ドアが完全にしまった後、僕は一目散に廊下を走る。

「お、お坊ちゃんんッ!?」

「護衛つけるからしばらく外に遊びに行ってくる! 護衛はつけるから!」

 十四年間この屋敷にいなかった。その日暮らしの貧民街孤児して育った僕にとって、貴族暮らしはご飯には困らないけど少々退屈だ。よく、こう「護衛はつけるから」と言って外に遊びに行っていた。

 使用人にはたんまり怒られるけど。



「よかった、風邪治ったみたいで」

 ――部屋の中の彼女は、そういいながら日記を書く。


 ◆◇◆◇◆


 カシオペアとベガススの季節。居待月。

 三日たって、彼が私の部屋に帰ってきた。

 貴方はそわそわしてうれしそうだけど、貴方が隠しているものも私、分かってしまった。

 貴方、お酒が苦手だと言っていたけれど、本当にそれだけかしら? まだ、他にあるのではなくて?

 貴方が隠している本当のことが知りたい。

 急かしているわけではないのよ? 貴方が抱えているものを知りたいの。私は、それを知らなければならない。

 そう、確信しているのだから。

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