lecture Ⅱ
「……流行病でしょうなぁ、薬を出しましょう。二、三日様子を診ます」
遠い意識の先でそんな声が聞こえる。
知らないうちに寝ていたらしい。医者はこの屋敷に待機するらしく、客間に案内されていた。
「もう一人は?」
「あぁ、お付きの従者ですか。彼は地下室に。……たいしたことではありませんわ」
「一応確認せねばなりません。御子息様に一番近かったものですから、御子息様が治った後にまた移されてかないません」
「では、こちらに……」
アルバートが病原菌のような扱いを受けている。まぁ、あいつが寒中水泳だなんて言い出したのだから、仕方ないだろう。
それにしても、お付きの従者が地下牢で、主人が寝台など格差も甚だしい。――貴族という自分の身分が甚だしい。
「瘴気だったら、恐ろしいですからなぁ」
「えぇ、そうですこと」
アルバートが地下牢にぶち込まれているのは、それを恐れてのことらしい。感染力が高い瘴気はたちまちこの屋敷に蔓延してしまうだろう。
「……そうか、お嬢様にも」
そうなればこの屋敷は終わってしまう。
大袈裟なのはそれ相当の理由があったらしい。
それはそうとして、使用人もいない部屋は静まり返っていて、退屈だった。ゆっくり休んで……、とは思うのだが、やることがない。寝ていなさいとは言われたが、ずっと寝るのにも限界というものはある。
貴族というのはこういう時なにをするものなのだろう。
窓の外の街を歩く人を眺め、本を読んで、お茶を飲んで……。
一通りの優雅なことをしてもそれでも退屈なのだ。
「暇だなぁ……」
風邪ならば三日で治るだろう。
早く治して早く仕事に戻ろう。本も読み飽きてしまった。今まで忙しくて忙しくて目も回りそうだったのに、急になにもすることがなくなって、退屈すぎて死にそうだ。
「よし、大丈夫ですわね」
日がすっかり落ちた時には、熱も下がっていた。
あとは咳とくしゃみくらいだ。
「じゃあ、遊べっ……」
「ダメです。大事を取って二日は休みなさい。これは命令ですわ」
「……使用人が主人に命令を」
「これは御主人様の命令ですわ」
御主人様は顔を見せには来なかった。部屋の外に来ているのは使用人の言葉で知っていた。度々来ているらしい御主人様は、部屋の前で門前払いをされていた。
御主人様に風邪を移すわけにはいかないので、使用人が毎回止めるのである。
「完全に治してから仕事に戻ってもらいます」
「……」
こう言われてしまっては返す言葉はない。
ただ、退屈な二日間をどう乗り切るか考えるしかない。
「アルバートくんが世話をしますから、それで我慢してくださいまし。丈夫なアルバートくんなら風邪は引かないでしょうから」
それが唯一の救いであった。
「ジャック様、おはようございます」
「……アルバート……」
まぁ、そんなにうまくいくわけもない。
「朝夕のお食事は俺が持って来ますので、ジャック様はその時間だけご予定がございます。あとはごゆるりとお休みください」
「……ちょっと待て」
「なにか?」
「アルバートが来たのだから、僕の退屈な時間を潰すための要員かと、そう思ったら、ただの風邪菌対策って酷くない……? 主人のために芸でもしてお暇を潰したらどうなんだ」
アルバートは少し立ち止まって、「あぁ」と頷いたが、すぐにまた真顔に戻った。
「すまん、親友。ナンシーさん怖かった……あと、俺、重大な仕事を任されちゃってそれの準備があって、あと、まぁうん、色々俺にも事情があって……」
「どんな事情なんだよ」
「すまん! この通り! ごめん!寒中水泳本当にごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! もうしません! 許してください! この通り!」
アルバートの怯えきった目を見て、なんとなく悟った。ナンシー・アンヴィルという使用人の恐ろしさを……。
「ナンシーさん、なにを」
「ひえぇ、ごめんなさい!」
なんだか、許してあげなければならないような気がした。地下牢でなにをされたんだろう。トラウマになるほどの叱責を受けたらしい親友が、その後しばらく「ナンシー」の四文字を聞くたびに怯えていた。
その目を見れば分かる。
――可愛そうに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます