誰も彼もが、抱えてる Ⅲ
「貴族のお屋敷に住んでるってこと、教えないのか?」
奴が聞いてくる。友達にジャックと自分がどこに住んでいるのか伝えなかったことを言っているのだろう。
「伝えないよ。俺はともかく、それを知らされて困るのはジャックだ」
よく知っていて「恩人」とまで思っていた相手に攫われて、売られそうにもなったのだ。そのトラウマは一生消えない。本人の記憶が曖昧なせいで、気づかれてはいないが、またもう一度知り合いに攫われたらあいつの精神が壊れてしまう。
「――そのためにあいつの記憶を消した」
「俺の記憶消去の魔法は、ちょっとフラッシュバックしたら暴発するからねぇ、気を付けてねぇ」
「完全には消せないんだろう?」
「そう、完全に消したらただの記憶喪失。頭は覚えているのさぁ。「何かあったけど思い出せない」程度に消すのが、一番都合がいい。――ただ、少しでも思い出す糸口を聞いたり、見たり、追体験なんてしたら……」
口に含んだような言い方をする奴だ。
「あいつの精神が壊れる、だろう?」
にやにやと笑う顔、俺はこいつのその顔が大ッ嫌いだ。
「攫われた、とか思い出す糸口になりそうだものねえ」
「二度と、」
攫わせやしない。絶対に。あんな思い、二度としたくない。してたまるものか。
「ねぇ、マスター」
首に腕を巻き付けながらこいつは囁く。耳にかかる声が、じっとりと熱くて重くて――。ああいやだ、本当に大っ嫌いだ。
「なんでマスターは、あの坊ちゃんに肩入れするのぉ? 俺が狙うから? それとも、」
嫌いだ、その名前で呼ばれることも、こいつも。
「アルちゃん!」
裏路地に俺が来た理由。それは自分の本当の家に行く近道だったからだった。旦那様に言われて、仕事をして来いと言われた、買い物はついでだったのだ。
「アルちゃん、お久しぶりー、元気にしてた? まぁ、こんなに大きくなってぇ。変わらないわぁ、かっこよくなったわぇ」
十三番街、
「おかえりなさい、ほらよく顔を見せて?」
こいつを母親と呼ぶことは、刃物で拷問をされても言いたくはない。機嫌がいい時にだけ世話をする母親、ギャンブルに溺れて金をせびりにしか来ない父親、片付けられてなく荒れた部屋、娼館の甘ったるい香の匂い。
人間の汚いところを練り合わせて作ったかのようなここが、俺は嫌いで、大っ嫌いで、逃げたくて、出ていった。
悪魔に生まれた時から憑りつかれていた俺は、母親の機嫌が悪い時の愚痴の捌け口になり、教会に預けられた。
「――」
この家が、俺は大っ嫌いだ。
◇◆◇◆◇
深夜になると母親は下の階の娼館に行く。甘ったるい匂いが、まだ体に染みついている。母親は、好みの顔だったという人に似た俺の顔立ちだけが好きで、俺が帰ってくるときは機嫌がいい。
でも、その機嫌がいい時は長くは続かない。仕事から帰ってくるとたいてい機嫌が悪い。だから、夜に出ていこう。
――仕事だけは済まして。
「ふう」
いろんな音が聞こえるここは、ちっとも寝れやしない。
整理整頓が行き届いていない部屋だが、隠すところはいくらでもある。それにここは古い。
「まだ、この床直してないんだ」
床板を外すと下に降りられる。子どもは立ち入り禁止だが、入っても見つからなければいい。部屋を一つ降りると、匂いがした。
頭をやられそうな濃い甘ったるく重い匂い。
「――あぁ」
この匂いは嗅いだことがある。
「ここで作られているのか」
母親からもこの匂いがした。ただの香の匂いではない。鼻から頭までおかしくなりそうな、甘く篭絡しそうな匂いなのだ。
それぞれの部屋から匂う。
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