誰も彼もが、抱えてる Ⅱ

 俺はその正体を知っていた。ジャックがそれに気づく頃に、俺はジャックの前から姿を消し、孤児院から出て行った。あいにく、奴が、本当に用があるのは俺の方らしく、ジャックの方には姿を見せない。

 ジャックが、それが「ヒトではないもの」だということに気づく頃には、奴は徹底してジャックの前には姿を見せなくなった。俺が一人の時だけ、姿を見せるのだった。

「アルジェント……。人がいない時に声をかけてくれよ。こっちも独り言を喋ってると思われたくないんだ」

「最近、君が一人の時がなかったからね。嬉しくなって思わず」

「それにしたって」

「なんだい。君が「ジャックの前には姿を見せるな」と言ったんじゃないか。ちゃんと守っているだろう?」

 俺はその問いに答えることはしなかった。代わりに遠くを見る。自分より随分背が高い奴は自分の首に腕を巻きつけて、背後にピタリと立っている。

「お前は俺の契約者様だから、ちゃんと命令には従うよ?」

 首が絞められている気がするのは、たぶん気のせいだろう。ひんやりと冷たい腕が、自分のひんやりとした汗を撫でるのも気のせいだろう。

「お前のお気に入りはジャックだろ。なぜそっちには行かない」

「そりゃ、お前が怒るからだよ」

「そうじゃなくても、あいつには近寄らないだろう」

 じっと動かないでいるのも変なのだが、俺は奴が答えるのを待った。得体の知れない何かが、ピッタリとくっついているのは気持ちが悪い。振り払おうとすれば振り払える。

「俺は悪魔だから、天使には近づけないんだよ」

「……ジャックが天使だと?」

「そうだね。半分だけね」

「どういうことだ」

「あいつはもうちょっと堕ちて、こっちに近づいて来さえすれば、いつでも遊べるおもちゃになる。お前は違うだろう。今しか、遊べるおもちゃになり得ないのだから」

 訳を聞いたのに、理由をはぐらかされた気がする。どういうことだ? ジャックが半分だけとは。

「それに、お前の口から最初の命令を聞いたのはあのジャックが理由。あいつが攫われた時、ようやくお前は俺に初めて命令した。命令、ずっとしなかったろう? したくなかったのだろう? それを引きずり出せたのは、お前の大事なジャックが人攫いに遭って見つからなくなったから。一歩間違えば、可愛い容姿ゆえに奴隷に出されるのを、お前は危惧して、俺は命令を待ったさ。焦らしたよなぁ。どんなに探しても見つからなくて、俺にようやく縋った。その時のお前の顔がとてもとても面白かったよ。人間の絶望する顔を、間近で見られた。――それだけで満足だ」

 こいつは悪魔である。

 俺が生まれたときからついてくるこいつは、人の隙を狙い続ける悪魔だ。俺がこいつに初めて会ったのは、いや、こいつは俺が生まれた時から在った。

 それからずっと、こいつはついてくる。

 悪魔と契約しているのだから、教会などには入れない。入れば聖域に浄化されて自分の身が滅ぶと聞く。

 命令をすればなんでもしてくれる悪魔は、自分が死んだら魂を取っていく。それをおもちゃにして苦痛を与え、こちらが抵抗できないのを良いことに色々なことをして弄ぶとも聞くし、食べるとも聞く。

 自分はどちらだろう。

 なんにしても、それは死んだ後のことでまだ数十年先だろうと思う。

 自分が悪魔と契約するに当たって、別段特別なことはなかった。生まれた時からなんの理由かは知らないが、ずっと付きまとうこいつを利用できればしたかった。

 そしておそらく、自分が親に捨てられる孤児になったのはこいつのせいだろう。

「あれ? アルバート! お久しぶり〜」

「あ、トム」

「どうしてたんだ? 最近顔見なくなったよなぁ」

 生まれた時から――、もうジャックよりもずっと長く付き合っている。得体の知れない何かは、まだ自分の背後にいる。「ジャックの前に姿を出すな」という命令は、幽霊や魔族が視えるジャックにはこいつの姿が見えるかもしれないと思ってのことだ。他の人には見えず、自分にしか見えない悪魔は、ジャック以外が話す時は消えることがない。

「アルバート、今はどこに住んでるの? そういえばジャックも見ないね。知ってる?」

「あー、同じところに住んでるよ」

「そう! ならよかった」

 トムと別れるとまた奴は話しかけてくる。いつだってそうだ。ジャックが攫われた時も、ずっと喋りかけられた。その誘惑に勝てなくて、どうしてもジャックを助けたくて、縋ってしまった。それからは更にこうして引っ付いてくるようになった。

 でも、あの時奴に縋らなければ、ジャックは遠い異国に売り飛ばされて更に酷いことをされていただろう、と思う。拷問に耐えきれなくて、その場で死んでいたかもしれない。

 ジャックに会えなくなるのは嫌だ。

 ジャックが死ぬのはもっと嫌だ。

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