誰も彼もが、抱えてる Ⅳ
「気が狂いそうだ」
小さい子どもの体はどんなところでも忍び込める。俺は鼻をつまみながら人がいなそうな部屋を漁る。
あの旦那様が言うには――、おそらく液体状か、葉物のようなものか、それは粉状のもの。少しでもいいらしい。ほんの少しだけでも高値で取引されている――、らしい。
「――あった」
使用済みらしい油入れの中に透明な液体が入っていた。その近くにある小瓶の中には、まだたっぷりと中身が入っている。旦那様から絶対に直接触れるな、嗅ぐなと言われていたから、小瓶をそのままカバンに入れる。
仕事は終わり。急いでここを出よう。
「よし」
自分の部屋に戻り、そしてこの家も出るはずだった。
「――あっ」
それが出来なかったのは、玄関から入ってきたその女が、自分の方にのっそりと近づいてきたからだった。
「かぁさ――っ」
帰ってくるのが早かった。いや、酔っているタイミングで帰ってきてしまった。そして尚且つ、仕事で失敗してきた最悪のタイミングだった。
「あらぁアルちゃん、どこ行くのぉ? ママ、こんな夜におきてるようなぁ悪い子にしたつもりはないのぃ、ひっく、アルちゃん、もママを置いていくのぉ? ママ、寂しいわぁ、なんで、なんで、みんなママのところから行っちゃうのぉ? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?」
始まってしまった。
「なんでなぉ!?」
だから嫌なんだ。
「アルちゃんは、ママから離れないよねぇ? ママ、寂しいの、みんな離れていくの、ママ、悪いことしてないのに、ママ、悪い子なの? だから誰もいなくなるの? なんで、なんで?」
この人はまだ三十代になってない。俺を生んだのはおそらく、十代半ばだろう。今の俺とほぼ同じ年で子どもを生んだ。
大人になり切れないまま、そのままなのだ。
「アルちゃんはぁ、ママが大好きだった人に一番似てるの、お得意さんだったんだけどねぇ、来なくなっちゃった。いつもいい服を着ていたからきっとお金持ちだったのよ。だぶん、アルちゃんはその人とママの子ね、なんとか『ベル』って名前の人だったわぁ。名前覚えてないの、文字で書いてくれたけど、ママ、文字、読めないから」
この粘着質なところは昔から変わらない。この話も何度も聞いた。俺の名前もその人が決めたんだという。
どこにいるかも分からないのに、捨てられたのに、今でも何度もこの話をする。もう、忘れれば楽なのに――。
「アルちゃん、だからぁ、慰めて?」
こう、おねだりされるのもいつものことだ。仕事帰り、服がはだけている母親に腕を掴まれ、拘束され、無理やりベッドに寝かされる。逃げるなど許さないというように。
「もう、離さないんだからぁ」
自分の腕を枕にされてはどうしようもできない。甘ったるい匂いが部屋に充満する。おそらく、自分の母親もこの薬に手を染めているのだろう。
自分の親友が、依存している、この薬に――。
あいつは、お酒と同時にこれに染められたのだろう。定期的に飲まないと精神が崩壊する、そんな危険なものに堕とされた。旦那様は抜くのには時間がかかるといった。あいつが拉致され、監禁された時に飲まされ、嗅がされ、十分依存しきった後も、あいつはずっと犯人の元に通っていた。
切れた薬を補充する機会はあっただろう。
「――くそったれが」
頭が痛い。ぐらぐらする。嗅ぐだけなら効果は弱いから依存まではいかないと言っていたが――、これは濃すぎる。
寝ている母親が、ぐいっと腕を引っ張った。
「うぁっと」
若くきれいな顔は、すうすうと寝息を立てている。
この人はしっかりした人ならば、自分はこんなに苦労をしていない。しかし、それを責められるはずもない。この人も、この貧民街の被害者であるのだから――。
「――」
仕事帰りだからか、薄いシースールしか着ていないらしい。
だからといって、どうというわけではないけど、この人は自分の事をまだ子どもだと思っているのか。
自分が子どもを生んだような年になったのに?
「まぁ、この前よりはいいか」
と、思って眠る。そうするしかない。
◇◆◇◆◇
あの人の依存体質が遺伝した、ということは否定したい。そう思いたくはない。絶対に嫌だ。
「仕事ご苦労さん」
「はい」
屋敷に戻って報告をする。今回の収穫はあの小瓶。
「――それって何」
気になっていたことを聞いてみる。それは結局のところ何なのだろう。魔法薬にしては何か違う、俺の勘だった。
「……人の精神に直接効果をもたらす妙薬――、というと魔法薬のようだが、魔法薬ではない。なぜならば、これは魔法によってできたものではないからだ。特殊な方法、特殊な技法でのみ作られる違法薬物。――それがこれだ」
旦那様はそれをくるくるとまわしながらそう言った。
「……どういうことだ?」
「――この世界には、今の技術では到底作れないようなものが、裏の世界で使われている。――しかし、それは無から出来たものではない。作り方が書かれたレシピを元に、作られたからここにあるのだ」
そう言うと旦那様は一枚の紙を取り出した。
「アルバート君、君は、この薬が未来から作られたものだと言われたならば、――信じるかね?」
「えっ」
旦那様が出した紙にはこう書かれていた。
『一八八九年』
「今って、三四六年だよな……?」
「そう、時代が千年以上も先の上に、この文面は読めない。なにか他の言語で書かれているようだ。かろうじて読めるのがそれ。――私はこう考える。この世界は一度滅んでいる。何者かの手で。この世界はいわば二周目。その証拠の書物はいくらでもある。それをかき集めているのが、我がフェレッティ家だ」
俺はもう一度その紙を見る。つやつやとしていて、羊皮紙でできたものではない。材質が分からない。
「未来に何があるのかを突き止めるのが使命」
旦那様は驚いた顔の俺を見て、真顔でこう言った。
「そして、それを知っているのは、おそらく君の使い魔だ。そう、私は睨んでいる」
――と。
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