見ないふりをした、僕は――、
僕は毎朝、誰よりも早く起き、この屋敷の住人を起こす。
これが僕の日課。自分の部屋近くの鳥籠の鳥に餌をやり、外に放し、本宅に移動、住人の朝ごはんを作る。
それが召使いの僕の仕事。
「ジャック、今日も早いのね」
声をかけてくるのはこの屋敷の奥様。ゆっくりとしたドレスの彼女はまだ若く美しい。
「えぇ、奥様。今日も天気がいいですね。少々お待ちを。すぐにお持ちしますよ」
にっこりと笑顔で答え、キッチンの奥へ入っていく。敬語はもう慣れたもので、まだ十四幾ばかりの子供だとしても、完璧にこなせた。歴史古くからある名家。カポデリス王国、公爵家。そこの召使いとして日々仕事に励んでいた。
――それが、僕の生前の姿。
だが、それは幼い時からじゃない。
幼い時、それは酷い生活ぶりだった。親の顔も知らないうちに教会で孤児として暮らし、少ない食事を分け与えた。教会で暮らす前はもっとご飯なんて食べられなかった。
だから、ここに来て目一杯働いた。
初めて見た、晩餐室のテーブルに置かれた色とりどりの食卓には目を見張るばかりで、使用人の一人として、それら全てが食べられなくっても嬉しかった。
もう生き倒れる事が無い、と。
屋根裏部屋がどんなに狭かろうと、仕事が忙しかろうと、弱音一つ吐かなかった。もうあの日に戻りたくなかったから。
「ジャック。私のお洋服はまだ?」
甲高い声。階段を上がってくる音と共に段々と大きくなる。
「お嬢様、今お持ちしますよ」
僕は顔を見上げる。そこにいたのは自分と年さ程変わらない一人の少女。とはいっても、僕の年ははっきりと分からないから推測なのだが――。
「お嬢様?」
僕の声と、お嬢様の声が重なる。
「あの……、無理をなさらないでくださいね?」
僕は倒れた彼女をそっとベッドまで運ぶ。息が上がって苦しそうな彼女は、布団に潜り込むなり水を欲していた。
「どこかで倒れられてからでは遅いのですから、おとなしくしていてください。あれだけ言いましたのに。僕が奥様に怒られるんですよ。分かりましたか?」
弱々しく頷くお嬢様。
この家の一人娘。二人の上の兄弟は、僕がこの家に来てすぐに病死した。だから、顔もあまり見ていない。
だが――、
『顔も見たくない! 俺らの前に立つな! 汚らわしい』
看病を頼まれおしぼりを持って行った時、そうはっきりと言われた。何故かは分からないが、嫌われている、それだけ分かった。
そして、あっという間に病状は悪化し、葬式は僕が参加しないまま終わった。そして、このお嬢様も身体が弱い。
――この家の跡継ぎは誰がなるのだろう。
それだけが心配だった。
「ジャック! お父様が呼んでいらっしゃいます」
一階から叫ぶ声で我に返った。
◆◇◆◇◆
『トランプしましょう。ポーカーがいいわ』
部屋に戻って来た時、お嬢様はそう言って笑った。僕が何を御主人に言われたのかも知らずに。無邪気で無知で無干渉で。いつもの笑顔を僕に向ける。
「うん、しようか……」
僕は黙ってカードを切る。机の上でしか遊べないお嬢様の好きな遊びだ。僕も得意だった。孤児として暮らしていた時、生きていくための手段だった。賭博師としてカジノで働いた。生まれつき運は強かったのだ。
「ジャック、強いもんね」
「それは……、お嬢様こそ」
切りながら四枚ずつ配る。ベッドの上の簡易卓。優雅に飾られたその上に残りのカードを置いた。
僕がこのゲームに強いのは金のため、お嬢様が強いのは娯楽のため。一言強いといっても、僕は食べるためにギャンブルに手を染めた。だから、僕の方が根本的には弱いのだ。
あっという間に戦況は逆転する。
「スリーカード」
「フルハウス」
「キッ」
「ふふっ」
「ストレートフラッシュ!」
「あぁっ! イカサマしたでしょ! ジャックッ!」
カードを引いては出す。繰り返し、夜中まで遊んだ。
お嬢様とポーカーするのは普通に楽しかった。イカサマを封じて真剣勝負。それが一番新鮮で、お嬢様の笑顔が見られる一番好きな時間だった。
だが、その時覗き込んでいた執事はその様子を見ながらゆっくりとため息を吐く。くたびれ古くなった燕尾服の老執事。彼はこの家の当主に仕える一番の側近だった。
「ジャック様……、御主人の言いつけをまた破って……、困ったものです」
だが、幼い子達の楽しそうな声を聞いて安堵する。
仕方ないか、と――。
「お嬢様があんなに楽しそうなの……久しぶりに見ました……」
「まるで兄妹見たいですよね~」
「おっと失礼。いつの間にいらしたのですか? ナンシー、貴方の仕事場はここではないでしょう」
話に割り込んで来た若い侍女は、執事に小さくウインクする。イタヅラっぽい笑顔は彼女が稀に見せるそれ。
「さっき、御主人様に呼ばれていた男の子ってジャック君ですよね? なにやら話が聞こえてしまって……長話みたいでしたけど何かあったんですか?」
老執事はふっと笑みをこぼした。
聞き耳の良い侍女である。それなら周りの貴族達が噂しているのを少しは聞いているはずなのに……。
この事実はほんの一握りの貴族と御主人しか知らない。使用人だろうと教えてはいないのだから。
この侍女も例外ではないのだろう。
「いえ。別にありませんよ」
「本当に兄妹みたいですねー、仲良しです!」
老執事が言うのが先か侍女が先か話を遮られてしまう。おっちょこちょいな子だとは知っていたが、もう少し仕える側として教えることが多い気がする。お家柄、仕えるという立場をわきまえてはいるのだが――、
そう老執事は思っていた。
「……本当の兄妹なんだよ……」
え? と振り返る侍女。
どうやらこの呟きは聞こえてなかったらしい。老執事は疲れて寝てしまった二人にそっと毛布をかけて部屋を出た。この事実はほんの一握りの人しか知らなかった。
周りの人もお嬢様も僕だって知らなかった。
そして、この時から『お嬢様と関わるな』と御主人から禁じられていた僕は、この悲しい運命に徐々に巻き込まれて行く。
――それが抗えるようになったのは、死んだその日まで無かったのだ。
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