過去編2 勿忘草の追憶

信じた正義は悪か是か

「戻れないぞ」

 四年前のあの日、俺は焦っていた。大丈夫、その言葉を信じて、余裕だと思ったその隙を狙われた。相手はこの手の手慣れだった。

 夜遅くなり、俺が見えない隙を狙って、あいつが疲れているのを狙って。

 知り合いには、大方当たった。

 法外な金銭を要求する何でも屋、知り合いの賞金稼ぎ、そういう方面に精通している知り合いなら全て。

 それでも見つからなかった。

 気づいた時、走って追いかけた。もう既にあいつは意識がなかった。声をかけて止めようとした。あの男は、俺の存在に気づいてた。声をかけようとした瞬間に、殴られて俺も意識を失った。起きた時には誰もいなかった。

「ほら、俺の力を使えよ」

 知り合いに声をかけていた時、俺の傍らにしたそいつは囁く。甘く優しい声色で。堕ちてしまえと誘うのだ。

「このままだと一生会えないぞ」

 分かってる。あれは慣れた人売りだ。そんなこと分かってる。今度はもう二度と会えないかもしれない。遠くの国に売られれば、絶対に帰ってこられない。俺は外の国なんて知らないけど、それぐらい分かっているのだ。

「ほら、絶好の機会だろう?」

 今更後悔する。もうちょっと早く切り上げれば良かった。そもそもあいつに仕掛けなければ良かった。乗らなければ良かった。いや、あいつが抵抗すれば良かったとか、あいつが珍しい黒髪じゃなければ……。綺麗な顔じゃなければ、なんて俺は最低だ。

 そんなことはあいつが一番、一番自分の中で疎んでいることなのに。

「二度と会えないぞ? それでも良いのか?」

 嫌だ。絶対に嫌だ。

「ほら、契約しよう。絶対に見つけてやるぞ」

 辺りは真っ暗闇。

 裏路地を何度も入り込んだ。辺りに人はいない。いるのは俺と、そしてコイツ。

「……あいつと会えないのは絶対に嫌だ」

「ならどうする?」

 こいつはこの機会を狙ってた。俺がどうしようもなくなった時。コイツにとって、今が絶好のチャンスだ。

「俺の名前はアルバート。生まれは娼館、母親はいるけど父親は知らない。俺にあるのはそれだけだ。それでもいいなら」

 コイツはニヤッと笑ってた。

「俺の名前は『』さぁ……。ねぇ、ご主人さまマスター

 頭文字がなぜか同じで昔から気味が悪かった。都合のいい時だけ世話をする母親が「アル」と名前を呼ぶ、甘ったるい声色と同じぐらい気味が悪かった。

「命令だ、ジャックを探せ。見つけたら俺に報告しろ。突破の仕方も教えろ。出来る限りの情報を集めろ」

 俺の得意なことは諜報。情報を集めて相手に売り飛ばす。そうして生きてきた。それが仕事だった。

「御意。我がマスター」

 親友を探してその建物の構造から侵入経路を図る。それが俺がコイツに与えた、初めての命令だった。俺は契約者だ。もう二度と教会には入れない。

 決して戻れない、血の契約。

「ここだよ、マスター」

 そこは地下に続く階段だった。真っ暗闇で何も見えない。薄汚れた、じめじめとした場所。ここにあいつが囚われている。

「さて、どうする? マスター」

「……突破する」

「へぇ、頑張ってね」

 ここからは手助けを借りたいと願うことはしなかった。借りたら、俺はこの男の力を借りることに陶酔してしまいそうだった。

「もう出てくるな、ここからは一人でやる」

 悪魔の力を、もう借りたくはなかった。



 あの日のことは今でも覚えている。

「マスター、立派だねぇ。自力で捕まえちゃったのぉ? まぁ、四年もかけて」

 俺は何も言わなかった。

 自分の親友は少し離れた場所にいる。俺はあいつにこの場所には来るなと言った。見せたくはなかった。

「何人、そうしてあの場所に送ったの?」

 王宮の前の広場には、定期的に人だかりができる。木で骨組みが組まれて、王宮から執行人と裁判官が来る。後ろ手に手錠をつけた罪人がその上に上がる。

 彼の前には斧が置いてある。

「あいつには言うな」

「言えないよ」

「あいつは、知らなくていいことなんだ」

 罪人の顔は見たことがあった。

 あいつが人攫いに捕まったあの日、俺はその時見た顔を頼りに探した。そいつはすぐ見つかった。あいつの証言を聞いて、俺は嫌な予感を感じつつも、そうなって欲しくないと思っていたのに、嫌な予感は当たってしまった。

「アレは、俺の親友の他にも何人も攫って売り飛ばした極悪人だ。……俺の親友は、アレに職場を貰った。アレはその時からあいつを狙ってたんだ。あいつが一番高値で売れる歳になるまで管理して、あいつに休みを取らせて街に出る時を狙って攫ったんだ。あいつは、アレのことを信用していた。それなのに裏切ったんだ」

 罪人は、自分の親友が働いていたカジノのオーナーだった。自分の親友は、オーナーに休みを貰った、その日に攫われた。

 あの罪人は、自分の親友を攫って売り飛ばすために自分の元に雇っていたのだ。

「俺は絶対、言わないよ。あの時の記憶なんて、あいつには枷でしかない。俺は忘れないけど、あいつは忘れていい。消しても構わない。……ああ、そうだ。お前さ」


 十四歳の春。自分の親友は貴族になった。

 あの日、地下から助け出した時に背中で泣いていたあいつを、俺は絶対守りきる。何をしてでもあいつを守れ。あぁ、そうだ。今この時みたいに、あいつに害をなすものは……。

 全てあの処刑台に送ってしまえ。


「あいつのあの日の記憶って、消せる……かな」


 それが、俺が信じた正義。

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