過去未来数百年Ⅰ

 暗闇の中で様々な声がした。


 怒る声、叫ぶ声。心配する声、慰める声。ロドルは首の痛みと共に目を覚ます。ズキズキと痛む頭を押さえて起き上がった。


「頭痛い」


 ロドルが目を覚ますと、傍らで控えていた彼がそばにいる。


「これ飲めよ」


「なんだこれ」


「――ホットワイン。アルコールは飛ばしてあるから酔わないとは思うけど」


「……味がしない」


「まぁ、それは仕方ないな」


 アルバートはロドルの様子を見ていた。その目は悲しい。温かいことは分かる。しかし、味はしない。甘いとか、甘くないとか、そういうことではない。白湯のように何の味もしない。


 ロドルは葡萄酒の味が分からない。


「俺も飲むか」


 アルバートも持ってきていたそれを飲む。


 本来なら、甘い葡萄の味がするそれを――。


「何時?」


「九時。お前、一時間も寝てたんだ」


「うぅ……、頭痛い」


「血を吸われたからな。俺も吸われたし、もうこの家出たいよ。首にガーゼ貼ったけど、これ傍から見たらキス隠しじゃないか。俺嫌ダァ」


 ロドルも自分の首を触るが、そこにもガーゼらしきもの。


「止血しないと菌が入るから」


「あ、ありがと」


「ジャック、早くこの家を出よう? 俺もうここで血を吸われるのが嫌だ。首筋に垂れた血を啜られるのも嫌だ。首を触られるのがトラウマになりそう」


 アルバートは頭を抱える。ロドルは自分が布団の中にいるのに気付き、辺りを見渡した。


「アンジュは」


「あのクソババアは店にいるよ」


「クソババア」


「そ、クソババア」


「アルバは本当に、アンジュが嫌いだね」


「血を吸われるのが嫌いだから。それ以下でも以上でもない。クソババアはクソババアだよ。現にあの人、何歳だと思ってる? 俺らよりも長く、千年以上も生きてるクソババアだ……よ」


 アルバートの声が途切れたのは、後ろに誰かが立っていたからだ。アルバートは彼女の顔を見て顔を青ざめさせ、素早く半歩下がった。


 だが、彼女の方が早く、あっという間に取り押さえられる。


「アルバちゃん。クソババア、クソババアと何度繰り返せばいいのかしらぁ〜? そんな悪い子にはお仕置きしないとねぇー?」


「ひぃっ、ごめんなさい! だからやめて、なにするつもりだ、クソババア!」


「うぅーん? 何しようかしら〜」


 アルバートはアンジェリカに手首を掴まれられて逃げないようにされ、背中を蹴られていた。ぐりぐりと彼女の高いヒールが背中に突き刺さる。


「とりあえず、手錠でもして監禁でもする?」


「やめろぉっ!」


「まだ提案だけじゃないー」


 アルバートがどうにかして逃げようとしているのを、ロドルは見ていた。


「アンジュ。やめてあげてよ。アルバの口は悪いけど僕のことを思って言ってくれているんだから、悪気はないんだよ。ごめんね。だから離してあげて?」


「私の可愛い可愛い、目に入れても痛くないほど可愛い、クリムちゃんが言うんなら離してあげるわ〜」


 パッと手が放されアルバートは地面に体を打ち付けた。少し痛そうだが、顔はホッとしている。


「もう嫌……、こんな家出て行ってやる」


「アルバもそんな反抗期の子どもじゃないんだから。うん。でも長居は無用だね。他の用事もあるし」


 ロドルは布団から出て背筋を伸ばした。体は軽い。それは血を吸われてその分の血液が減ったせいか、それとも違う理由か。


「あら、もう行っちゃうの?」


 アンジェリカは残念そうだ。アルバートはその様子を忌々しそうに見る。アルバートは本当に彼女が嫌いなのである。


「アンジュ、ありがとうね」


「……ケッ」


 ロドルは感謝を。アルバートは軽蔑を。


「アルバちゃん。また今度遊びに来てねぇ? クリムちゃんもまたお茶会に来てねぇ?」


 アンジェリカはアルバートの肩に手を回し後ろから彼の顔を押さえた。アルバートはビクッと体を震わせたが、その頃にはもう遅い。足が彼女に踏まれて動かないようにされており、耳にされた口づけを抵抗するもされるがまま。


 ロドルはそれを見て怯えた顔をする。それを見た次にアンジェリカがロドルの前に来ており、パクパクと金魚が餌を食べるみたいに口を開けていた。ロドルは彼女にアルバートと同様、足を踏まれて動けなくさせていた。ロドルはそれに気がつくも、顔を上に向けた瞬間に鼻柱にもう口づけをされていた。


「じゃあねぇ、ボーヤ。また楽しませてね」


 アンジェリカは部屋を出て行った。


「……俺、やっぱりあの人嫌いだ」


「僕も苦手だ」


 純粋無垢な心を弄ばれた気がして妙に落ち着かない。


 少年二人はあの手慣れたお姉さまのテクニックに舌を巻くが、それよりも思うのはこんなに弄ばれているのも癪に触るということ。


「勝てる気がしない」


「俺もそれ思う」


 アルバートは耳を、ロドルは鼻を。


 お互い拭って感触を消し去る。

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