何故被呪術黒猫Ⅰ

「うぅ」


「にゃあ」


「ん?」


 目が覚めた時、もう辺りは暗かった。


「お前」


「……にゃあ?」


 体を舐めて毛並みを整える黒猫。左目に傷のあるそれは、アルバートのお腹の上に乗っていた。


「にゃー」


「抱っこか?」


「うにゃ」


 寝ぼけた頭で考えて、それを胸に抱き抱え、部屋を出て階段を降りた。丁寧に自分の体を舐める黒猫は、間違えてか自分の手もぺろぺろ舐める。ざりざりとした猫の舌はこしょばゆい。


 それがくすぐったくて、アルバートはその黒猫の頭を撫でた。


「やめろよ、くすぐったい」


「にゃ?」


「それにお前、俺の手まで舐めるなよ。猫にでもなったわけじゃある……まい……し……」


 アルバートはようやく気づいた。


「お前、喋れなくなってないか? にゃあ、じゃなくて、言葉を喋れ! な? 喋れるだろ?」


 アルバートはそれの体を揺さぶるが、黒猫は何も言わない。


「にゃん?」


「……おいおい、冗談はよしてくれよ……」


 アルバートは黒猫の顔を見た。


「本当に覚えてないのか!? お前は黒猫じゃない! れっきとした人だ。俺の親友のジャックだ! 忘れちまったのかよ! 俺のことも昔のことも、今のことも何もかも!」


 それでも黒猫は何も言わなかった。




 ◇◆◇◆◇




「――……ジャック! 俺は!」


「どうしたんだ、アルバ」


 跳ね起きて辺りを見渡した。自分の手を舐めているのは確かに左眼に傷がある黒猫。だが、彼は喋っていた。


「汗、すごいよ」


 ちょこちょこ近づいてくるロドルは、アルバートの首元をくんくんと嗅いだ。確かに首筋は汗でびっちょりと濡れている。


「しょっぱい」


「……舐めるなよ」


「あぁ、ごめんつい。猫の本能かな」


 ザリッと撫でる舌の感触に背筋が凍った。


 寝ている時に手を舐めていたのもこいつなのだろう。毛繕いの中で、寝惚けもあったのか自分の手も舐めていた。


 ――さっきは悪夢だ。夢だったのだ。


「夢でよかった」


 ロドルは毛並みを舐めながら変な声を出す。


「うぅ?」


「ジャック、抱っこするぞ」


「お願い」


 素直に応じるロドルにアルバートは安心した。


「よかった」


「……く、苦しい」


「ごめん」


 潰されたロドル。アルバートはロドルを抱き抱えたまま歩く。廊下をまっすぐ進むとナンシーが夕食の準備をしていた。


「アルバート君は何が好きでしたっけ。今日は頑張ってくれたので、ご褒美に好きなものを作ってあげます」


「……俺、もう好きなものを作ってもらえて喜ぶほど、子どもじゃないですよ」


 ナンシーは手を止めた。


「あら? そうですか?」


「……肉」


「豚ですか? 牛ですか?」


「……豚」


「よろしい。作りましょう」


 お昼に食べたべーコンと卵サンドを思い出した。あいつは覚えているだろうか。


「こいつはどうするの?」


「お坊ちゃんのお食事はおかゆ状にしてあげます。猫らしく猫舌ですので冷まさないと食べられそうになさそうですね」


 猫である以上そうなのだが、実に不便な身体だなと再確認する。


「月光瓶は?」


「窓辺に置いてあります。今日は満月ではないので、どこまで溜まるか分かりませんが」


 満月の日ではないから月光瓶を使わなければ黒猫に戻るのである。今日は満月の日ではなかった。


「こいつ寝てるしなぁ」


「疲れたのでしょうね」


 猫は一日のほとんどを寝て過ごす。いつの間にかロドルはアルバートに抱きかかえられたまま寝ていた。アルバートは置いてあったソファに腰掛けてロドルを膝に乗せた。


「ナンシーさん。こいつ、爪を外さないんですけど」


「好かれていますね」


「ネクタイがっちり押さえられてる」


 力を入れて小さい手を踏ん張って、しがみついている。一歳にしか見えない子猫のロドル猫は、その小さい手の爪でアルバートのネクタイの真ん中を引っ掻け、しっかり握りしめていた。


「あの」


「そのままにしてあげましょう」


「……そう……、ですね」


 腑に落ちない。


 なんで、こいつはこういう時だけ甘えん坊なのだろう。


「本当にこいつ、あの生意気なあいつと同一人物かなぁ。俺、たまに分からなくなるよ。人によって態度が違うっていうかさ」


 すうすうと寝息を立てて寝るロドル猫は、ネクタイに爪を立てたまま動こうとはしない。


「お坊ちゃんは――」


 ナンシーは包丁を扱い、野菜を切る。


「……貴方のことは心から信頼しているのでしょうから」


「まぁな」


「お坊ちゃんのことはお任せします」


「……うん」


 ロドルは起きる気配がない。ナンシーも手を止める様子はない。


「ナンシーさんはさ、こいつに仕えているのって、こいつがあんたの家の主人だから?」


「我が家――、アンヴィル家は聖戦の時に没落してしまいましたから、今の私は英雄様の時代からフェレッティ家に仕えていた使用人というわけではありませんね。でも、お坊ちゃんはお坊ちゃんですし、アルバート君はお坊ちゃんのご友人でボディガードです。……それ以外に言うことはありますか?」


 ニコッと笑う使用人。アルバートは頭をかいた。

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